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第1章 嬴政の記憶



     一



 ジン・ミツルの父親は物理学者であった。名は、たかしといった。空間が粒子と波動の輪でできているという説はこの敬が書いた「空間粒子説」という論文にある。その説は一時期話題になったが、大学から十分な予算をもらえず、敬は自説を証明することができなかった。

 ミツルの母親は経済学者で、名は、幸奈ゆきなといった。マクロ経済学を研究していたが、ミツルを出産したあとは研究から離れた。

 ミツルは2歳ぐらいまでは普通の子どもであったようだが、ある日、意味不明の言葉をつかいはじめた。自分のことを「ドリム」というような音で呼ぶようになり、それがだれにも理解されないとわかると「グワンテーク」というような音で呼ぶこともあった。


 幸奈はミツルをあちこちの病院に連れていったようだが、発達障害の一種であるとされ、それ以上のことがわからなかった。当初は、自分勝手に架空の言葉をつくって話すということで自閉スペクトラム症(ASD)という脳の機能障害が疑われたが、普通の日本語も話せたため、脳機能は正常であるとされた。

 尚、当時のミツルは言葉ばかりではなく、態度にも奇異なところがあり、幸奈や敬に対してひどく尊大な態度をとった。

 そのため、解離性障害が疑われた。

 これは、強いストレスやトラウマによってアイデンティティに異変が生じ、別人格が現れるものなのだが、ミツルからはトラウマを抱えた脳の活動異常は検出されず、ストレス反応も認められなかった。


 ミツルが3歳になると、幸奈はミツルが話す言葉が実在する外国語なのではないかと疑い、言語学の専門家を数名あたってみた。そして、ミツルが話していた言葉が2千年以上昔の漢語であることがわかり、ちょっとしたニュースになった。

 すると、 ミツルのことを知った前世記憶の研究者がヴァージニア大学からやってきて、古代の漢語の研究者と合同でミツルの話す言葉が解析された。


 この頃になると、ミツルは文字を書くようになっていた。が、その文字は現代の漢字ではなかった。細い曲線がうねうねした文字で、それは印鑑に使われる「篆書体てんしょたい」であった。地域によってバラバラだった漢字を秦帝国が統一したときの最初の書体である。

 そして、ミツルが言うドリムという音は「朕」という単語の上古音(秦の頃の発音)で、グワンテークは「皇帝」という単語の上古音であった。


 ヴァージニア大学から来た研究者は、それで、

 「あなたの名前は本当はテンスとかテングというような発音ですね?」

 と、ミツルに質問してみた。 テンスとかテングというのは「政」という文字の上古音である。

 3歳のミツルはこの質問に怒り、

 「ダーツベク(大辟)」

 と叫んだ。「死刑」という意味であった。


 敬と幸奈は自分の息子が始皇帝の生まれ変わりであるかもしれないと聞かされて腰を抜かした。 ちなみに、古代中国では人の諱(いみな=本名)を口にしたり書いたりすることは失礼なこととされていた。で、王の本名を口にしたり書いたりすることは処罰の対象となっていた。このため、公文書には始皇帝のことを「正」と書いていた。「政」という始皇帝のいみなを書くことが禁止されていたからである。

 始皇帝は自らを神のような存在に祭り上げることで自分が征服した6つの王国をひとつの国家にまとめあげようとしていた。諱を目の前で口にする者はいなかったであろうが、もしもそういう者がいたならば死刑を宣告されても不思議はない。

 だが、3歳のミツルがそのような事情を知っているはずはなかった。


 「昔のことは忘れなさい」

 と、幸奈は何度もミツルに言ったらしい。

 このため、ミツルは自分のことをドリムと呼ぶのをやめたようだ。

 が、成人してもときどき篆書体を使っていた。

 通常、前世の記憶を持つ子どもが前世について語るのは7歳前後までで、その後は前世についての記憶を失う。前世の話をしても話が通じないうえ、新しいアイデンティティが確立されると前世のことを思い出す必要がなくなるのだろう。だが、ジン・ミツルの場合はそうではなかった。


 幸奈はミツルが小学2年生のときに他界した。

 ヴァージニア大学医学部がミツルについての論文を発表すると、輪廻転生を否定する狂信的なクリスチャンがミツルに対して敵意を抱くようになり、ミツルを殺そうとつけねらい、路上で刃物を振り回したのであるが、その場にいた幸奈がミツルをかばって刺され、3日後に死亡した。

 このようなことがあったため、ミツルには現世から逃避する場所が必要となり、前世の記憶を持ち続けたのかもしれない。


 尚、父子家庭となったミツルの家は楽しいものではなかったようだ。

 「空間粒子説」を証明しようとしていた敬が研究の予算のことで大学の経営陣と対立し、研究を続けられなくなったりしていたのである。いつも不機嫌な父親との2人暮らしはミツルの心にさらなる暗い影を落としたと思われる。


 だが、ミツルが中学生のときに敬は交通事故で他界した。

 ミツルは敬の呪縛から解放された。


 敬には家屋などの財産があった。

 ミツルはそれを現金化しようとして、未成年後見人となった敬の妹に同意を求めた。

 が、ここで話がこじれたらしい。


 当時、世界はエノーマス・ウエンズデイと呼ばれる金融危機に直面していた。

 発端は日本と米国の間で生じた軍事衝突であった。

 当時の日本は、ものづくり産業の低迷やエネルギー問題や移民問題などで財政が極度に悪化しており、そのうえ国政を動かしていた政治家の半数以上が帰化人もしくは移民2世という状態であった。政府は財政再建を名目にして天皇制を廃し、さらに、レジスレイターというAIアプリの提言を入れて米国債の大量売却に踏み切った。が、米国はこれをゆるさなかった。

 紛争は一夜で終結したのだが、終わり方が悪かった。日本側がAIによる禁じ手を使ったため、米軍第7艦隊の半数が横須賀港に沈み、横田基地の米軍司令官が死亡した。米軍の敗戦は、株、国債、為替の暴落をまねき、円もドルもマーケットの信用を失った。為替の乱高下に対応できなくなったクレジットカード会社などのキャッシュレス決済事業者は一斉に営業を停止し、銀行は現金の引き下ろし可能額を制限した。

 これにより日米で金融崩壊がはじまっていた。

 このようなときに不動産を現金化するというのはあり得ない選択であったわけだ。


 が、ミツルは日本にいることに嫌気がさしていた。それで、国外に出ることを考えていた。現金を欲しがったのはそのためだった。結局、十分な現金は得られなかったが、それでも単身で北京に渡った。

 その旅費は祖母にもらったお年玉と敬が使っていたハイスペックなコンピュータを売ってまかなった。


 このとき、中国はすでに中夏民主主義共和国となっており、5名の天将が国家主席の上に立つ新しい政権構造ができあがっていた。共産党時代の中国は習近平による経済政策の失敗と外交政策の敗北と異常気象による洪水などによって凄まじい経済破綻を招き、数億人の餓死者を出していた。が、クーデターによって成立した中夏政権は経済のV字回復に成功し、ミツルが中学生のときには安定成長期に入っていた。


 北京に入ったミツルはすぐに手持ちの現金をほとんど使い果たした。日本円が紙切れ同然になりつつあったからである。

 窮したミツルは北京大学で音韻学を研究していたヂャオ・トン(趙彤)教授を訪ねた。 秦の時代の漢語の発音には不明な部分が多く、ヂャオ・トン教授はその研究においての第一人者であった。ミツルは自分が知っている上古音を教えることでヂャオ・トン教授に取り入り、大学内でなんらかの地位を得ようと考えたのである。


 だが、大学の門前には警備員がいた。

 警備員は薄汚れた日本人少年を追い返そうとした。

 ミツルは、そこで、

 「ヂャオ・トン教授を呼べ」

 と2千年前の中国語で言った。

 通じなかった。

 が、警備員はミツルの態度や声音に威厳を感じ、教授に連絡を入れた・・・・・・ということになっている。しかし、実際には金品を渡したのであった。それは、幸奈の形見となったプラチナ製の腕時計であった。


 「不用找了(お釣りはいらぬ)」

 と、ミツルは現代中国語で言ったらしい。

 警備員はその腕時計を盗品ではないかと疑い、その場で公安職員を呼び、ミツルを引き渡した。公安職員はミツルを本部に連行し、取り調べを行った。

 「わたしは上古音を知っている。ヂャオ・トン教授の役に立つ」

 と、ミツルは言った。

 その発言を確認するためもあって公安職員はヂャオ・トン教授の研究室に連絡をとった。


 ヂャオ・トン教授はミツルのことを知っていた。

 始皇帝の生まれ変わりかもしれない、というヴァージニア大学の発表はすでに過去のものであったが、その方面の専門家としては忘れられないニュースであった。

 「是非ともお会いしたい」

 と、ヂャオ・トン教授は言った。


 ヂャオ・トン教授の研究室はさほど大きな部屋ではなかった。 中夏政府は目先の利益ばかりを追い求めた共産党時代とは打って変わり、大学における基礎研究などにも大きな予算を割いていたが、上古音の研究は10年以上まえから行き詰まっており、ヂャオ・トン教授が引退したところで研究は打ち切られることになっていた。


 ちなみに、上古音は現代の中国語の発音とはまるで違う。今の中国語にはない複雑な子音の重なりがあったりして音を再現できない文字がいくつもある。例えば、「格」と「路」や「落」は現代では全く違う音になっているが、それらの文字についている「各」は音を表す音符であるため、上古音では「格」「路」「落」はまったく同じ音であった可能性がある。が、その音がどのようなものであったのはわかっていなかった。

 

 「この石文が読めるか?」

 と、ヂャオ・トン教授はミツルにまず1枚の写真を見せた。

 それは数年前に発掘された始皇帝陵付近の遺跡から出てきた石版文書のひとつであった。さほど大きなものではなく、文章量も少なかったのだが、発音の仕方に3つの説が出されていた箇所が多数あった。 ミツルがそれを上古音で読むと、教授は自分の説が間違っていなかったことを確信し、大いに悦んだ。


 尚、その石文に彫られていたのは、秦王家の祖である「嬴」という姓を持った一族の由来についての機密であった。この「嬴」は漢音(日本語の音読み)では「えい」となるが、上古音では「グェン」もしくは「レン」であり、現代中国語では「イン」のような音になる。

 嬴の一族は東方から来て西方(甘粛省)に拠点を持ったということになっていたが、その石文にはもともと西方の遊牧民が祖であった、となっていた。そして、ミツルが発した音はまさしく西方起源の音であった。 


 ヂャオ・トン教授は次々と文書を見せ、ミツルの発音を嬉々として記録した。





     二

 

 ヂャオ・トン教授が発表した論文は中夏考古学界を震撼させた。

 ミツルは中夏政府の保護下に置かれ、兵馬俑へいばようの規模がどの程度のものなのかとか、始皇帝陵の地下宮殿の内部構造の詳細について、また、実際に儒者460名を穴埋めにしたのかとか、実の父親は呂不韋だったのかなど、専門家たちがノドから手が出るほど欲しがっていた情報を次々と出した。

 ただし、ミツルが出した情報はまったくマスコミ報道されなかった。

 


 後にミツルがドキュメンタリー番組の中で語った話によると、

 ある夜、ミツルのところに訪問者があった。

 ミツルは中夏政府から与えられた高級マンションのリビングルームで司馬遷が書いた『史記』の中の「秦始皇本紀」を読んでいた。

 呼び鈴が鳴ったのでインターフォンのディスプレイを覗くと、玄関前に3名の男が立っていた。

 代表者らしき男は、ダークスーツを着ており、他の2名は白衣を着ていた。

 ダークスーツの男は、

 「政府の人間だ」

 と言った。

 が、部屋に入っても自分の名を名乗らず、ソファに腰かけるといきなり質問をはじめた。


 「始皇帝の目は青かったか?」

 「いいえ」

 「母親の趙姫の目は青かったか?」

 「いいえ」

 「父王の目は青かったか?」

 「いいえ」

 「始皇帝が山東省の泰山タイシャンに登り、自分の功績を彫った玉冊ユィツァを山のどこかに埋めたというのは事実か?」

 「・・・・・・」


 泰山とは山東半島にある標高1,545メートルの山で、「万物の生命の源」とされていた。 始皇帝がその泰山に登ったのは、自らが天の命をうけて地の支配権を確立したことを神々に報告する儀式のためである。玉冊とは、薄くて細長い翡翠の板を何枚か銀の糸で繋ぎ、すだれのようにしたものらしいのだが、未発見なために詳細はわからない。その簾のような翡翠の束には始皇帝の業績が記されてあったらしい。記録によれば、その玉冊は翡翠でできた箱の中に納められ、その箱の蓋が開かぬよう銀の糸を巻き、その結び目を粘土で固め、その粘土の上に印を押したとなっている。その翡翠の箱はさらに石のケースに入れられ、箱の隙間に金や鉛などを溶かして流し込み、それによって密封されたという記録もある。そして、その件は秦王朝の国家機密にされていた。

 

 「答えてもらおう。玉冊の件は天将さまたちにとっても重要なことなのだ」

 と、ダークスーツの男はさらに言った。

 白衣の男2名はアタッシュケースの蓋を開き、中の機械を調整していた。ウソ発見機であった。


 「玉冊の件は天との契約に関することなのでお話しすることはできません」

 と、ミツルは言った。

 ダークスーツの男は目を剥き、

 「黄口小儿(小僧)!」

 と言った。

 ミツルはこれに対し、

 「賤奴(下郎)」

 と言って笑った。


 ダークスーツの男は携帯PCで部下を呼び、ミツルを拘束させた。

 ミツルは国家安全部の取り調べ室に入れられた。

 中夏の国家安全部は中華人民共和国の時代とまったく同じ組織であった。

 鉄の椅子に縛りつけられたミツルはバケツで水を浴びせられ、殴られ、電気ショックによる拷問を受けた。

 が、何ひとつ語らなかったようだ。


 始皇帝は自らの帝国が自分の死によって崩壊することを怖れ、不老不死の薬を求め、薬だと信じて硫化水銀を飲んでいた。これにより、激しい腹痛、関節痛、筋肉痛、頭痛、手足に刺すような痛みやしびれを味わい、49歳で死亡した。

 その苦痛に比べると、国家安全部の拷問などは生ぬるかったらしい。 

  

 それでも、20日目の拷問がはじまるとミツルは死を覚悟した。

 しかし、

 ・・・・・・どうせ、いつか死ぬ。死ねばまた生まれ変わる、

 と思い、ひたすら死を待ったそうだ。


 そして、そのときミツルの脳裏に浮かんだことがあった。

 拷問を担当していた医者らしき男が心筋梗塞で倒れる姿であった。

 そして、その数時間後にその男は倒れた。

 

 ジン・ミツルが予知能力に目覚めたのはこのときであったようだ。


 その後、拷問は終了となった。政府の上層部は取り調べ官が拷問などをしていたとは知らず、現場で死亡者が出たことで現場の状況を知り、拷問を命じた男を処分した。


 解放されたミツルはそのまま病院に送られ、10日後にようやく退院できた。そして、自室に戻って携帯PCのスイッチを入れてみたら日本国が消滅していた。日本と米国が合併し、新たにUSAN(United States of America and Nippon)という国が誕生していたのである。その際、日本円とUSドルが廃され、新たにDENという通貨がつくられていた。


 尚、ミツルの携帯PCには次のようなメッセージが入っていた。


 <あなたは今、USANの国民となる資格を得ました。USANの国民となることを承諾する場合は「YES」を、拒否する場合は「NO」をタップしてください。尚、拒否した場合、あなたは国籍を失います。改めて永住権を請求することはできますが、審査を受けることになります。回答は今すぐでなくてもかまいません。1週間後の13時まででけっこうです>


 回答の期限は3日前であった。 ミツルは無国籍になっていた。 

 ヂャオ・トン教授はミツルに中夏の国籍を取得することを勧めた。

 「わたしが後見人になります。政府も歓迎してくれますよ」

 と、ヂャオ・トン教授は言った。


 しかし、ミツルはその気になれず、

 「この中夏という国は、わたしがつくった国とは似ても似つかぬ別の国です。罪のない者を拷問するなど考えられません」

 と言った。

 ただ、日本に戻ってUSANの国籍を取得しようとも思わなかったらしい。


 「それでは、どうするおつもりですか?」

 と、ヂャオ・トン教授は尋ねた。

 ミツルはこれに対して、

 「カネを用意して自分の国をつくります」

 と答えた。



 

 ミツルはその足で北京の街に出て、中夏福利彩票なるものを10口買った。 これは、宝クジのようなものだが、自分で番号を選べる。

 一口10元で買えるが、賞金プールが1億元以上あった場合、1等の当選額は3,000万元であった。

 ミツルの予知能力は不安定であったが、10口のうち1枚が1等となり、3,000万元を得た。これは都心部の高級マンション1戸ぶんほどの金額であった。

 ただ、外国人がそれだけの金額を受けとる際にはパスポートを提示せねばならなかった。それに当選金が5万元を超えているので20パーセントの所得税がかかった。

 ミツルはヂャオ・トン教授に当選金の受け取りを頼み、2,400万元を手に入れたらしい。



 

     三

 




 ジン・ミツルは国際金融市場で巨万の富を築いたのだが、その原資をどうやって用意したのかが不明となっている。クジで当選金を得たのは1回だけであったようだ。 投資ファンドをつくって世界の富豪たちからカネを集めたと自伝には書かれてあるが、そのファンドをつくる元手をどうやってつくったのかがわからない。

 一般に、表には出せない手段を使ったのだ、と言われている。


 

 ちなみに、ミツルがクジで2,400万元を得た翌年、クリスティーズのオークションにだれもが驚く高額の骨董品が出品された。

 それは、

 伝国璽でんこくじ

 と呼ばれる翡翠の印璽であった。

 それをつくらせたのは始皇帝であった。


 中国の王朝は何度も入れ替わっており、皇帝の地位に即く者の民族的な背景もその都度ちがっている。だが、そこには、歴代の王朝の正統性を担保する神器のようなものがあった。

 伝国璽がそれである。

 伝国璽は、秦帝国滅亡後は漢王朝に引き継がれ、後漢の戦乱のときに一度失われたが、洛陽の井戸の中で死んでいた宮女が身につけていた箱の中から発見され、魏、晋へと継承された。その印璽を持つ者は正統な皇帝となる。『旧五代史』の記述によれば、後唐(923年〜936年)の最後の皇帝が焼身自殺した際に一緒に燃え、そのまま消失したとされている。が、1294年に元朝のクビライが没して、その孫が即位した際、モンゴルの英雄の末裔の未亡人が代々秘蔵していた伝国璽を新しい皇帝に献上したという記録が『元史』にあり、元が明に滅ぼされた際、元の最後の皇帝が伝国璽を持って北方のモンゴル高原へ逃げ去ったという記述が『明実録』にある。


 尚、その印璽が本物かどうかの鑑定は3段階のプロセスを経た。まずはクリスティーズ社内の専門家により、石の質感、彫りの技術、文字のスタイルなどが精査され、さらにオックスフォード大学やハーバード大学の考古学者の監修の下で蛍光X線分析や工具跡の電子顕微鏡による判別が行われ、最終的には北京大学の古印章学を専門とする教授陣がAIを使って検証した。

 そして、このプロセスにより、出品された印璽は本物であると認められた。

 ちなみに、本物の伝国璽は角のひとつが欠けていて、その部分を金で補修してあり、その補修の痕の有無によって本物かどうかを判別できると『漢書』に記されているのだが、クリスティーズに出品された印璽にはそのような補修の痕跡がなかった。

 このため、それは伝国璽ではないという見解を示す専門家が多数あった。

 始皇帝は予備の印璽をもうひとつ持っていて、それは泰山タイシャンでの儀式の際に玉冊ユィツァとともに山のどこかに埋めたという伝説があり、出品された印璽はその予備の印璽ではないかという見解があった。そうだとすると、それは伝国璽ではない。副璽とか別璽べつじと呼ばれるものとなる。


 だが、その印璽の角の破損と補修の件は不問に伏された。

 印璽が破損して補修されたのは、それが漢王朝に引き継がれて以降のことなのだが、そもそも漢王朝に引き継がれたとされている印璽が本物かどうかわからない、というのがその件についての結論であった。

 漢王朝に始皇帝の印璽が受け継がれたという記録は多数の文献資料に記されてあるが、それらはすべて『史記』の記述を継承したものにすぎない。その『史記』には、秦の3代目の皇帝が漢王朝の創始者である劉邦に伝国璽を献上したと記されているのだが、『史記』は漢王朝の正統性を謳うために書かれた文書であり、湖南省の井戸の底から発見された秦の公文書(里耶秦簡)の内容と照らしてみると記載内容に齟齬がある。『史記』を書いた司馬遷は、秦帝国を意図的に貶めようと史実を脚色したことが判明している。漢王朝の正統性を謳うには秦が天命を失っていたとしたかったわけだ。

 そして、発見された秦の公式文書には2代目の皇帝についての記録はあるが、3代目の皇帝についての記録はない。印璽を劉邦に献上したとされる3代目の皇帝が実在したかどうかは怪しい、というのが鑑定を行った教授たちの最終的な結論であった。


 尚、鑑定において最後まで問題となったのは発見の経緯であったが、その件については公表されなかった。また、出品者がどこのだれであったのかも公表されず、落札したのは中夏政府であった。

 その落札額は1000億DENであった。

 これは、ちょっとした中核都市の年間の予算額に匹敵する金額であり、日本圏での公共事業にあてはめると地下鉄工事10キロメートルぶんほどの金額であった。

 中夏政府は、それを本物の伝国璽として北京の故宮博物院(紫禁城)に展示した。

 

 中夏政府はクリスティーズとの取引を行い、泰山に埋められた予備の印璽を本物の伝国璽として展示したのではないかと推察される。それがジン・ミツルによって密かに泰山から掘り出された物であることがわかっており、始皇帝の印璽という意味では本物だと証明されていたため、それをあえて伝国璽として落札した可能性がある。巨額のカネを支払ったのは、それが本物であると世間に認めさせるための演出だったと考えられる。


 伝国璽には8つの文字が掘られている。

 「受命於天、既寿永昌」

 というのがそれであり、和訳すると、

 「天より支配権を受けとった自分の国は長寿となり、末永く栄える」

 というようなことになる。

 クーデターによって政権を奪取した中夏政府としては、その正統性を担保するための目に見える物が欲しかったであろうし、それを得るためにはカネを惜しまなかったであろう。


 つけ加えておくが、オークションには手数料がかかる。それは出品者と落札者が支払う。 落札額が巨額の場合、その手数料も巨額となるが、手数料の比率は通常よりも低くなり、このときは10パーセントとなった。

 中夏政府は、この取引で1050億DENを即金で支払ったらしい。

 1050億DENは大金であるが、中夏政府は人民元をほとんど無制限に発行できる。そして、外貨準備高は500兆DENを超えていた。 出品者がジン・ミツルであったかどうかはわからないのだが、出品者がクリスティーズから受けとった額は950億DENであったと思われる。

 クリスティーズ社はこの取引で100億DENを得たことになる。取引を成功させるためには細心の注意を払い、あらゆる困難を乗り越えるための努力を惜しまなかったであろう。

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