第7章 地獄の黙示録(三 〜 五)
三
パク・ヨハンの新しい義足と義手は7年前に使ったものよりも品質が悪かった。7年前のものはヘッドギアをつけると指先を自在に動かすこともできたのだが、新たに与えられたものにはそのような電子制御の機能がなく、脱着も面倒で、ひどく重かった。
「まえに使っていたものを返してくれよ」
と、パク・ヨハンは何度も言ったが、一等書記官は相手にしなかった。
生活環境もひどかった。
会議室の片隅にマットと寝袋が用意されてあり、毎日そこで寝るのだが、トイレには行かせてもらえなかった。逃亡するのではないかと疑われていて、小便はそれ用の瓶の中にさせられた。大便については座面に穴があけられた椅子を使うしかなかった。座面の穴にゴミ袋をかぶせ、その袋の中にするのである。そして、自分でその袋を閉じ、それ用のドラム缶の中に入れるようになっていた。
食事もひどいもので、タンパク質はほとんどゼロで、硬いパンと水だけの日もあった。あとはサプリを飲まされた。
外部との連絡もゆるされず、配信動画なども観ることができなかった。
そのうえ、厳しい訓練を受けさせられた。 スーツ・ケースの中に入るためのストレッチだけでなく、射撃の訓練も受け、腹筋運動や懸垂やスクワットもさせられた。
「オレはもういやだ。刑務所に戻る」
と、パク・ヨハンは何度も言ったが無視された。
そして、ある日、自分の仕事の内容を聞かされた。
「ターゲットはミクマルというチベット人だ。これはムーチェン大統領の経済政策を批判していて社会不安をあおっている」
と、ピカピカのスーツを着た白人は言った。
作戦はシンプルだった。パク・ヨハンはスーツケースの中に入ってチベット国まで行き、しかるべきときが来たらスーツケースから這い出てターゲットを撃つ、ということだった。
「スーツケースの中に入るのは何時間なんだ?」
「20時間だな」
「小便はどうするんだよ?」
「手術のときのように管をつけてやる。管の先には袋がついてる」
「メシは?」
「20時間くらい我慢できるだろ」
「冗談じゃねえ、そんなことやってられるかよ」
「オマエ、ここまで話を聞いておいて、そのまま刑務所に戻れると思っているのか?」
「どうせ、終わったらオレも殺すんだろ?」
「うまく任務を果たせたら殺しはしない」
「ウソだ」
「今この場で任務を拒否することはできる。だが、今すぐ死ぬことになる」
7年前のパク・ヨハンは死を怖れていなかった。が、このときはもう28歳になっていて、人生の重みを感じはじめていた。刑務所での7年間は絶望の日々であったが、生への渇望がそのぶん蓄積されていた。
四
パク・ヨハンはスーツケースに入ったまま羽田空港第4ターミナルからラサ行きの直行便に乗った。スーツケースの運び屋はタイ国のパスポートを使った。
出国の手続きの際に渡航目的を訊かれると、
「ジン・ミツル財団に売り込みたい商品がある」
と、運び屋は答えた。
庶民はすでに海外旅行などをしなくなっており、民間の航空会社はすべて倒産していたため、その便はチベット国の国営企業が運航していた。
便名は、CH101、となっていた。
テロ組織などはすっかり消滅していたため、セキュリティチェックは甘かった。
機材はホンダ・ジェットが最後に発表したエシュロンⅢという型の復刻モデルで、これは50人乗りであった。オリジナルのエシュロンⅢの貨物室にはエアコンが装備されていたが、通貨統合後に造られた復刻モデルの貨物室にはエアコンがなかった。このため、パク・ヨハンはひどく寒い思いをした。
貨物室から降ろされ、ベルトコンベアーに乗せられて到着ロビーのターンテーブルに乗るまで、パク・ヨハンは何度も強い衝撃を受け、死ぬかと思った。スーツケースには「こわれ物」のタグが付けられていたが、ラサ空港の作業員たちがそのタグを見ることはなかったのである。
運び屋はスーツケースを持ってラサ空港からタクシーに乗り、2つ星のホテルに入り、そこでCIAの工作員にスーツケースを渡した。工作員は頭に円筒形の帽子をかぶっていた。ホテルのベルボーイがかぶる帽子である。
工作員はスーツケースをガラガラ引きづりながら5つ星のホテルに入り、クロークの中に入り、そこでインドから来た官僚のスーツケースとパク・ヨハンの入ったスーツケースをすり替えた。
この時点でパク・ヨハンはすでに18時間以上スーツケースの中に入っていた。
この間、サプリメントを数種類ミックスしたものを一袋だけ腹に入れていたが、空腹で目がまわりそうになっていた。が、眠りはしなかった。
「ダライ・ラマ16世がまだみつからないそうですな」
「パンチェン・ラマも大変らしいですよ」
という英語の会話がパク・ヨハンの耳に入ったのは、スーツケースに入って19時間がすぎた頃だった。
インドの官僚とブータン国の官僚が送迎車を待ちながら世間話をしていたのである。
「今日は式典が終わったらまっすぐお帰りになるのですね?」
「そうなんです。急に会議がひとつ入りまして、パーティーには参加できないんですよ」
「しかし、3歳の子どもを国師にするというのは、パンチェン・ラマも思い切りましたな」
「いやいや、ミクマルという子どもは子どもではないようですよ」
「わたしも動画は観ましたけど、たしかにあの表情といい、態度といい、子どもではないですな」
「A V E(積徳経済)にはわたしも賛成ですが、現実問題としてそんな大転換ができるのかどうかですよね」
「ジン・ミツルの生まれ変わりというのがホントならばやれるのかもしれませんが・・・・・・」
「ムーチェン大統領は黙ってないでしょうから、難しいでしょうねえ」
「またしても暗殺なんてことになると大変なことになりますな」
「ジン・ミツルが2度も暗殺される?」
「ありえますよ。ムーチェン大統領にすれば、自分がやった通貨統合をすべて否定されることになりますから」
「人間は結局、自分のことしか考えられませんからな」
「いやいや耳が痛いです」
「あははは・・・・・・」
それらの雑談から、パク・ヨハンは自分がそのムーチェンの手先になっていることを知った。
AVEがなんのことかはわからなかったが、ムーチェンが何かの大きなな改革を阻止しようとしていることはなんとなくわかった。
インドの官僚は配下の者にスーツケースを運ばせ、一緒に送迎車に乗った。 ポタラ宮の玄関前に着くと、配下の者はスーツケースを玄関内に運び込み、
「帰りに受けとります」
と、チベット国側の接待用員に言った。
接待要員はパク・ヨハンの入ったスーツケースを別室に運び込み、ドアを閉めた。
しばらくすると、
「よし、出ろ」
と、パク・ヨハンの耳に入っていたイヤホンから声が出た。
パク・ヨハンは内側からスーツケースを開けようとしたが、左右にも荷物があってなかなか開けられなかった。
が、大きな音をたてずになんとか外に転がり出た。
しばらく身体を伸ばし、義足と義手をつけた。そして、尿道に入っていた管を抜き、尿の入った袋をもう一つの袋に入れて密閉し、スーツケースに入っていた白い接待要員の服を着た。それから、CIAに渡された吹き矢をポケットに入れた。
「よし、部屋を出ろ」
と言われたのは30分後であった。
通路に出た。
だれもいないはずだったが、人がいた。
が、接待要員の服を着たパク・ヨハンを不審に思うことはなかった。
パク・ヨハンは大広間のステージの裏側の入口に向かった。
義足が足に合わず、ぎこちない歩き方だったが、だれにも何も言われなかった。
ステージ裏から中に入り、カーテンの裏に立った。
接待要員は多数いて、ひとりひとりの動きを監視している者はいなかった。
式典がはじまり、数名のスピーチが終わるとミクマルがステージに登ってきた。
その横顔を見ながらパク・ヨハンは吹き矢を構えた。
矢を吹いたあとは荷物室に戻り、またスーツケースに入ることになっていた。
が、釈然としないものを感じた。
矢を吹けば大騒ぎになるが、自分を取り押さえる者が必ずいるはずで、うまくすり抜けて荷物室に戻るなどは不可能だと思った。そして、
——こんな子どもを殺すのか、
という思いとともに年老いたムーチェン大統領の顔が浮かんだ。
パク・ヨハンは吹き矢をポケットに戻し、ミクマルの前に出た。
騒然となった会場を見わたすと、奥に作戦を指揮していた白人がいた。ピカピカのダークスーツを着ていた。
「あいつを取り押さえろ!」
と、パク・ヨハンは指をさして叫んだ。
指さされた白人は驚きのあまり凍りついたが、すぐに玄関に向かって歩きだした。
取り押さえられたのはパク・ヨハンであった。
五
—— ムーチェンが3歳児の暗殺を指示! 実行犯はCIAにスカウトされた犯罪者!
というニュースは世界をかけめぐった。
が、チベット国以外の国では、すぐにその話題は消えた。
FBIがムーチェンを拘束することはなかった。
「どうして予知できなかったんだ?」
と、山剛は予知能力者たちのリーダーに尋ねた。
「申しわけありません。我々も年をとりました」
と、リーダーは頭を下げた。
1,120人いた予知能力者は980人にまで減っていた。
「結局、暗殺は成功しなかったので予知できなかったのだ」
と、ミクマルは笑った。
山剛は、なるほど、と思った。
「それよりも、ムーチェン大統領の独裁をなんとかせねばならん」
と、ミクマルは言った。
仏法の勉強ばかりしていたミクマルであったが、チベット国の国師となったために政治を語りはじめていた。
「あの者はACUが行うはずだった種々の投資をすべて凍結し、倒産した企業を救済せず、ベーシックインカムによって貧困層を塩漬けにし、人々の気力を奪っている」
と、ミクマルは表情を曇らせた。3歳児であることが不思議な雰囲気であった。
これに対し、山剛は、
「ムーチェンは不動の権力を握っています。どうやって倒します?」
と言った。
「簡単さ」
と、ミクマルはにこやかに笑い、
「ホワイトハウスに核攻撃をかければよい」
と言った。
山剛はさすがにギョッとして、
「罪のない者も大勢死にますよ」
と言った。
すると、ミクマルは、
「死んだ者は生まれ変わる。問題は生まれ変わったときの社会がどうなっているかだ。我々は現行の社会システムを変えねばならない。でないと人類は生き残れない」
と言った。




