第7章 地獄の黙示録(前段)
一
その日の朝、ムーチェンは遅くまで寝ていた。イライラする夢ばかり見て夜中に何度も目が覚め、朝方になってようやく熟睡したのだった。このため目が覚めてもベッドルームを出ず、朝食を運ばせた。
ザーサイとピータンとスッポンの煮物と粥を腹に入れるとまた横になり、配信動画を観た。
すると、
——ジン・ミツルが復活!
というニュースが目に入り、ガバリと起き上がった。
レポーターはしきりとミクマルに質問を重ねていた。
ミクマルは迷惑そうな顔をしながら応対していて、質問にはほとんど答えていなかった。
が、積徳経済の話になると饒舌になった。
「Accumulate Virtues Economy(積徳経済)だと!」
と、ミン・ムーチェンは思わず口に出した。
ACU加盟国内ではムーチェンの現金給付がベーシックインカムとして機能するようになっていた。人口が半分以下になっているので一人あたりが受け取る給付金の額がそれなりに大きくなっていたのである。デフォルトによって国家の機能が崩壊し、産業が消失して失業率が9割というような地域があちこちにあったわけだが、それでもムーチェンの地位が崩れないのは大多数の人々がベーシックインカムに依存していたからである。
マネーにひれ伏す人間の性こそがムーチェンの権力の源泉であった。
そして、そのムーチェンにとって積徳経済というアイデアは危険きわまりない思想であった。
「あの子どもは生かしておけん」
と、ムーチェンはジョシュアに言った。
「それでは、パク・ヨハンに恩赦を与えてはいかがでしょう?」
と、ジョシュアは提案した。
「それは妙案だ。CIAとのコラボでやればうまく行くだろう」
と、ムーチェンは言った。
パク・ヨハンは岡崎市の連邦医療センターの精神科病棟に収監されていた。
自らの手足を切断したことで精神疾患があるとされていたからである。
尚、センターという名称になっているが、これは刑務所である。
毎月1度は母親が面会に来ていたが、他にはだれも来ていなかった。父親は事件後に失業し、自殺していた。
「面会だ」
と、刑務官は言った。
パク・ヨハンは母親が来たのだと思ったが、そうではなかった。
面会室の強化アクリル板の向こうに腰かけていたのは擦り切れた背広を着た初老の白人であった。痩せこけていて貧乏そうであった。
「わたしは政府の者だ」
と、初老の白人は言った。
「ウソだ」
と、パク・ヨハンは言った。
政府の者ならばパリッとしたダークスーツを着ているはずだと思ったのである。
だが、それはパク・ヨハンがジン・ミツルを殺す前の情景であり、その7年後の世界はガラリと変わっていた。とにかく物が不足していて、上等のスーツなどは手に入らなくなっていた。
だが、パク・ヨハンは外のことは何も知らされていなかった。古い映画を観ることはできたが、ファンタジー系のもののみで、政治情勢などについての情報は遮断されていた。
「オマエは世間を知らない。わたしはこれでも上級職の者だ」
と、初老の白人は言いながら身分証明書を見せた。
—— 国務省 一等書記官(First Secretary, Department of State)、
という肩書きになっていた。
「それが本物だとどうしてわかる?」
と、パク・ヨハンは苛立った声を出した。
が、一等書記官はかまわずに話をはじめた。
「私たちはオマエを外に出してやることができる。私たちに協力するという条件つきだ」
「オレがあんたらに協力?」
「そうだ」
「どんな協力をすればいい?」
「それは外に出たら教える」
一等書記官の態度や言葉は冷たかった。
舐められまいとしていた。
「オレは神の僕だ。神の意図に反することはしない」
と、パク・ヨハンは言った。
すると、一等書記官は立ち上がり、
「ならば一生そこに入っているがいい」
と言って背を向けた。
「ちょっと待てよ!」
と、パク・ヨハンはアクリル板を叩いた。
二
精神疾患があって政府高官を暗殺したというような者に恩赦が与えられるというのは、通常ならばあり得ないことだった。が、パク・ヨハンには与えられた。
連邦医療センターの玄関前でパク・ヨハンを出迎えた母親は涙ながらに息子を抱きしめた。
が、パク・ヨハンは無表情なまま母親の抱擁を受け、それがすむと一等書記官とともに古いカローラに乗った。
運転手は東南アジア人のようだった。一等書記官はその助手席に乗った。パク・ヨハンの左右には屈強な白人が2人腰かけた。皆、古びたヨレヨレのスーツを着ていた。
「ひでーボロ車だな」
と、パク・ヨハンは言った。
一等書記官は笑った。
「政府の仕事をするのなら黒塗りのいいクルマが使えるんだろう?」
「そういう職種もある」
「オレがやる仕事はちがうのか?」
「オマエの場合は目立たないようにすることが大事なんだ」
「人を殺すのか?」
「・・・・・・」
窓の外をながめたパク・ヨハンはしばらくして一等書記官の言う意味がわかった。
市街地に入ったが、建築物はどれも朽ちかけていて開いている店舗はほとんどなかった。通行人はなく、道路にはヒビが入っており、ところどころに草がはえていた。走っている車両もまばらで、新車は見かけない。舗道に乗り上げている車両などは窓が割られていたりして塗装もはげていた。
「母さんが貧乏くさいカッコウをしていたのは父さんが死んだからだと思ってたけど、みんな貧乏してたんだな」
と、パク・ヨハンがつぶやいた。
一等書記官はその顔をチラリと見て、
「日本圏はまだいい方さ。まだ仕事がある。アメリカ圏はもっとひどい。ヨーロッパにはもうほとんど人が住んでいない」
と言った。
「そんなバカな。オレは反キリストを殺したんだ」
と、パク・ヨハンは言った。
すると、パク・ヨハンが乗っていた古いカローラが市役所らしき建物の入口前に停まった。
「降りろ」
と、言われ、パク・ヨハンはカローラを降りた。
建物のロビーは広く、奥にはいくつもの窓口が見えた。
エスカレーターがあったが動いていなかった。
7年ぶりに義足をつけたパク・ヨハンはスタスタ歩けなかった。
屈強な白人2名に何度か背中を押された。
会議室というプレートがついたドアを通って中に入ると、そこには20名ほどの兵士がいた。 テーブルの上には地図や図面などが広げられていて、ピカピカの背広を着た若い白人がひとり、図面をみながら周囲の兵士たちに指図していた。
その白人はパク・ヨハンの顔を見ると動きを止めた。
「来たか」
と、白人は言った。
若々しい青年であった。
「オレのことは知らなくていい」
と言った。
そして、その横にあったスーツケースを顎で指し示し、
「入ってみろ」
と言った。
言われた通りにパク・ヨハンはスーツケースの中に入った。しかし、7年前のようには行かなかった。尻や膝が硬くなっていて、うまく曲がらない。
兵士のひとりがスーツケースを無理に閉じようとした。
「痛いよ、ちょっと待ってくれ」
と、パク・ヨハンは言った。
「なんだ、そんな程度か」
と、白人が言った。
「ストレッチをやらさねばなりませんな」
と、一等書記官は言った。




