メンフィスという砂上の楼閣について
アヴダヴの住む家は一軒家である。それもかなり大きく、避暑地にある貴族の別荘のような家だ。むろん、この邸宅は彼が購入した物ではない。早逝した彼の両親から譲り受けた物である。
彼の父親は商人であり、彼の妻は貴族の娘だ。そうなると彼は一見運だけの恵まれた男のように思えるがそうではない。両親の早逝に伴い、家の資金は全て母方の家に絞られて同時に妹は大病を患った。急遽金が必要になった彼は借金をして士官学校に通い、士官学校での俸給を投資に当ててなんとか家の維持費と妹の入院費を工面できたのである。これは彼が運だけではない証拠であるし、投資家としての才があった証拠である。
もっとも、彼の妹に対する寂しくないように変わらぬ家で育って欲しいという思いは打ち砕かれる事になったのだが。
「すまなかった」
家の上庭の小さな墓、タンポポの優しく咲いている。家に帰ると毎日彼はその墓に謝罪をする。
この墓は彼の死んだ妹の墓である。だがこの下に妹の棺はない。あるのはタンポポだけだ。彼は妹の死体を火葬して砕いた骨をここに撒いたのだ。
メンフィスにおいて火葬は悪である。何故なら神聖たる太陽の一端である火を穢す事などあってはならないから。故に土葬や鳥葬が基本なのだが、彼はそれを選択しなかった。妹を治さなかった神に対して不信心、それを妹の肉体を焼いて葬るという形で形にしたのである。
ふと、彼は思い立って鞄を家の玄関口において街に繰り出した。
王都メンフィス、メンフィス王国の首都でありファラオのお膝下。太陽の祝福を受けたこの街はファラオの威光がある限り安泰である。
聳え立つ巨城、日干し煉瓦の街並み。アヴダヴはこの街を愛していた。産まれ育った故郷という事もあるし、何よりこの街は流動性のある街だ。家宰ラムセスの更新令という政策によってこの街は近未来のモデル実験都市になっている。それが彼にとっては面白いのだ。何故なら新たな時代を作るのは貴族の凡人ではなく彼のような凡人の中の秀才であるという感覚が彼の使命感を刺激していたのだから。
「すいません、すいません」
古いものは博物館へ、新しいものは形へ。これがラムセス更新令だが博物館に保管されるのは価値ある物だけだ。だからこうやって価値ある物を作った者は弾かれる。アヴダヴに縋るこの浮浪者の老人のように。
「これで飯でも買うといい」
適当な額の銭を渡すアヴダヴ。アヴダヴはこの老人を知っている。この男は機織り職人だ。アヴダヴも彼から服を買っていたのである。しかし10年前くらいだろうか、メンフィス王立紡績社が出来て機織り職人の失業が多くなり、等々去年彼もその仲間入りしだ。
「ありがとうございます」
飯を食うに十分な金を与えたというのに少し不満そうな顔。普段なら礼知らずめと思いながら去るところだが、あのきちんと仕事をしていた男がこんな顔をするのか?そうアヴダヴは考えた。
「だとするのなら……」
アヴダヴの閃光のような思考。軍人としてではなく、投資家としての思考。
飯を買えないのにラインで大量生産された家具や玩具なぞ誰が買うのか。それで誰も物を買わないで、どうやって銀行は貸したお金を返却するんだ?
気づいた頃にはアヴダヴは走っていた。メンフィスの東、東部金融街まで。
古典建築の金融街に辿り着いた時、彼はそっと胸を撫で下ろした。人々は叫んでいる、ファラオ万歳、ファラオはアトランティスにて勝利したと。誰も少し、ほんの僅かに落ちている株価には目を止めていなかったのだから。




