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アイシス、初めての将棋





 ついに艦橋はアトランティスを捉えた。


 「凄い……これ」


 巨大な機械の鯨、鰭は翼で背中には無数のビル群。そして無数のビル群の空気の幕がその肉体を輝かせていた。しかしそれだけではない。ビル群の中には主砲や対空砲と思しき兵器が隠れている。だがそれらの兵器の社格を制限するかのように摩天楼が立っている所を見るに、もうあれも使えないんだろう。さながら、朽ちた鯨である。


 「ごめんなさい、アイシスさん」


 私がアトランティスの巨大さに圧倒されている中、マサツグさんは私の肩に手を置いた。


 「ちょっとこの後、二人きりでお茶しませんか?私の部屋で」


 「えぇ、構いませんよ。マサツグさん」


 彼女と共に彼女の部屋に向かう。


 「どうぞ」


 彼女の部屋、まるで凡ゆるアトリエである。描きかけの絵画が置いてあったり、ギターが置いてあったり、あるいは陶芸用のろくろだったり手芸用の毛玉と針だったりと、様々な芸術がそこにあった。そして彼女の部屋で一番惹かれたのは壁にかけられたあの仮面である。


 「ツノの生えた女の人?」


 ツノの生えた女の人の仮面。表情から怒ってる事はわかる。けれどそれしか伝わらない。


 「般若の面ですね。好きなんですよ、能とか落語とか」


 ノウ、ラクゴ、キョウゲン。アトランティス語を勉強した時に知った芸術である。大昔は伝統芸能だったらしいんだけれど、継承が出来なくて廃れてしまったんだとか。


 「ただ私のは文献からのサルベージ、猿真似に過ぎない。さて、アイシスさん。アトランティスに入るのならアトランティスの服を着なくちゃなりません」


 クローゼットから取り出す2着の服。シュンの記憶にあった服と似ている。片方はおへそが出るタイプのTシャツとダボっとしたズボン、もう片方はシルエット大きいトップスとまたまたダボっとしたズボン。


 「ハングクスタイルって、アトランティスでは言います。どっちにします?」


 「左、がいいです。暑いの嫌いなので」


 お腹を出すタイプの露出度高めのファッション。だって私スビアと違って知ってるんだ。シュンは清楚系が好きと言いながらこっちの露出度高めの方に心惹かれるタイプだ。だってシュンはなんだかんだ言って男性らしい男性だからね。


 「やっぱり別れるんですね。スビアさんは右を選びました」


 「私の方がシュンには詳しいので」


 「そうですか。罪な人ですね、あの人も。でも分かりますよ、あぁいう人は良い男です。アペプさんと似ていて」


 アペプ兄さんとシュンが似ている……それは決してない。だってシュンはアペプ兄さんほど不義理じゃないし。それに自分勝手でもない。


 「だってシュンさん、アトランティスに行くのに選んだ服柄シャツとサングラスなんですよ。アペプ様と丸被りで。似合ってない訳じゃないですけど、流行りではないです」


 「それは関係ないでしょ……確かに二人とも服のセンスずれてるけど……」


 マサツグさんは私の顔を見て少し笑った後、部屋の隅にあった小さな机を取り出した。その机には正方形が横9マス縦9マスに並んでいる。まるでチェス盤みたいだ。


 「チェス、お上手なんでしょう?なら将棋、打ってみませんか、一局だけで良いので」


 「ショーギ……打った事ないので、ルールブック見ながらでもよければ」


 並べられる駒、渡されるルールブック。駒の動きを把握する。


 「もちろん、私は2枚落としますよ。あと先手も差し上げます」


 自分の陣地には角と飛車がある。向こうには角と飛車がない。ハンデって奴だろう。こういう場合って先手向こう側なんじゃないっけか。とにかく、打ってみよう。


 「マサツグさん、打ちながらで良いので、アペプ兄さんの事教えてください」


 「良いですよ。あと貴方本当に未経験ですか?9八香で玉がそこにあるんだったら、もうそれは穴熊でしょう」


 いつの間にか組んでいた防御陣地。玉を一番奥に置いてと銀が真ん中、左に金を縦にして屋根のように歩が並ぶ。多分一番硬いかなってなると思った囲いである。だって向こうが強い駒落として攻撃力落ちてるんだったら、こっちは守り守って粘り勝ちしちゃえば良いってのは当然だと思うから。


 「これが効率的だと思ったので。それでアペプ兄さんの貴方はどんな関係なんです?」


 パチン、パチンと鳴り響く。音。彼女は歩を盾にして銀で進んでくる。なら、飛車で左から防御できるようにすれば良い。


 「お付き合いをさせていただいています。ほら、可愛いですから、あの人」


 可愛い?アペプ兄さんが?あの過激なインテリ気質の人面獣心が?正気じゃないと思う。アペプ兄さんの顔がドストライクだとしても、絶対にあの性格は選べない。


 「それにあの人は貴方のシュンさんと同じで、空っぽなんですよ。だから私が真摯にこれが好きと言えば、一緒にそれを究めてくれる。能も落語も一緒にやりましたから」


 「あの人が空っぽ?まさか。むしろあの人はドロドロとした義憤を常に募らせてる人に見えますけど」


 「義憤、義憤ですよ、結局。私憤がなくて義憤だけがあるって、それは自分が無いってことに他ならないでしょう。もっとも、面白い話ですよ。価値がどういうものなのか、それを思考することに重きを置く人に芯となる自分が無いなんて」


 シュンとこの人との会話を盗み聞きしたとき思ったけれど、なんかこの人、人の悪口を言う時凄い饒舌だ。


 「自分の彼氏を馬鹿にするって、それは馬鹿な男に惹かれた私が馬鹿ですって言う事になりませんか?」


 「馬鹿の極みですから、私もアペプさんも。それで良いんです。それに手のかかる子ほど可愛いのは貴方もそうでしょう?」


 段々、この人がわからなくなって来た。だってアペプ兄さんをクズって思う事はあったけれど、心の底から馬鹿ってもう事は一度もなかった。アペプ兄さんは馬鹿では無い。中退とは言えメンフィス神学校に主席合格して研究も何個か発表しているし、セトと同じで考古学もできてしまうし、彼女の言葉が正しいのなら芸能だってできる。そんな人を馬鹿と言えるほど私は馬鹿では無い。


 「相当利口な人なんですね、貴方は」


 「何も産まない知性を知性と言うのなら、それは学者さんとかに失礼になるでしょう。あとパンツを脱がないと銀を取りますよ」


 「え、パンツを?」


 「桂馬を7七に進める事です。でも7七に進めると、穴熊は防御力を格段に落としてしまう」


 いつの間にか詰められていた。しかし、私の想定通りならこの囲いは堅牢な筈。まだその時じゃない、ここの銀がなくても飛車が睨んでくれているから。


 「そこでパンツを脱げないような人だからシュンさんを尻に敷けないんです。ああいう駄目な人は尻に敷かないとすぐに腐ってしまう」


 パチン、パチン。音があたりに響く。そして私はいつの間にか積んでいた。


 「あ……」


 穴熊の斜め、角が居る。そしてこの銀は動かせない。銀の前に桂馬。もう、詰みだ。私の玉は身動きが取れなくって負けたのである。


 「まるで将棋ですよ、貴方のシュンさんは。自分で囲って身動き取れなくて詰んでるんですから」


 「私にどうしろって言うんですか、貴方は」


 「別に。どうにも出来ませんよ、貴方はパンツを脱ぐべき場面で脱ぎませんでした。シュンさんの願いは絶対に叶わないって知ってるくせに」


 「別にそれで良いです。貴方が言ったように、虫ケラのようなものにも情欲は与えられている訳ですから」


 この言葉の意味、それは多分どんな身分であっても一縷の幸福はあるって意味だと私は思う。そうであるのなら、私はシュンが酷く苦しんで得る多大な幸福よりも、シュンが苦しんで獲れる一縷の幸福を欲する。もうあの人には苦しんで欲しくはないんだ。もう、頑張っただろうから。


 「それを直接言えないから貴方は駄目なんです。まぁいつかは来るでしょうが」


 「これが終わったら言いますよ、きちんと。期限はもう迫っていますから」

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