墓参り
私は張本さんの墓参りに来た。張本さんは市の無縁仏の共同墓地に葬られたと聞いたからだ。
小高い山の中腹に、共同墓地はあった。埋葬者名簿で確認すると、一番新しい欄に、張本さんの名前があった。
敷地の奥に進み、墓石の前に来た。
花を生け、線香に火をつけ、手を合わせ、黙祷した。
小さい頃は、墓参りの意味が分からなかった。死んだ人が生き返るわけでもないし、ましてや化けて出るわけでもない。無意味な行為に思えていた。でも、今は違う。
張本さんのためではなく、自分のためだ。もう一度彼女に会いたかった。そして、ここに来ると会える気がした。
もちろん、実際には会えないけど、自分の心の整理のために、どうしても来たかった。
私は、そっと墓石を触った。
生きている時に彼女に触ったのは、貨物列車に飛び乗るために、手を引っ張ってもらった時だけだ。もっと触れたかった。触れてあげたかった。
名古屋のホテルで、首から出血し押さえるために触ったのは、含まれない、あーいう触れ方は含みたくない。
張本さんは、最期に私に、自分の分まで幸せになってと言った。それが私の心に強く残り、これからの義務感、一種のノルマのような気がしていた。悪いノルマではない、むしろ良いノルマだ。
今まで、何で生きているのか、何のために生きるのか、分からなかったけど、このノルマは生きる目標になった。
ありがとう。
本当は、こういうことは親の役割だろう。でも、私の親はそんなことを言わなかった。世間体と、学校の成績と、あと本質的でないことをいろいろ。
「もっと早く、別の形で会えたら、良い友達になれたのに」
彼女の言葉を思いだした。
私は、人と友だちになっても良いのかなあ?
ずっと昔に忘れた気持ちが蘇ってきた、中学の時、一応友達はいたなあ。ここ1年の引きこもり生活で、そんな感覚を忘れてしまっていた。
孤独が長すぎて、孤独に慣れて、孤独が普通だと思って、孤独を苦痛だと思わなくなっていた。
彼女と会って、自分が孤独だということを、改めて認識した。
人恋しい、いや、友だちが欲しい。
急に胸が苦しくなるほど、そう思った。
考えてみると、私に優しくしてくれた人は、何人かいた。一戸さんもそうだった。
一戸さんの墓参りにしなければ。大宮に帰ったら、一戸さんの墓参りしよう。
私は墓地を後にした。




