おもいやり
その日、青年は少しだけ体調が悪いことを感じていました。昼は体が重いだけでしたが、夕方になると咳が出るようになり、料理長に念のために翌日の仕事は休むようにと言われました。守主の食事は自分が持っていく、とも料理長に言われましたが、青年は翌日の分だけを頼み、夕飯は自分で運ぶと申し出ました。
口に布を当て、重たいからだに鞭打って歩きました。最近は守主の食事に特に気を遣うようになっていましたし、菓子作りを習いにいったりと動きづめだったことがひとつの原因でしょう。
いつもより時間をかけて階段を上ると、守主はそわそわした様子で青年を出迎えます。
なにかあったのかと青年が聞けば、青年の口元を指差し、眉を八の字にします。
「風邪をひいてしまって」
青年が答えると、守主は心配そうな表情をしました。労わるように、そっと青年に手を伸ばします。
「あまり近くによると、うつってしまいます」
青年は一歩下がりましたが、守主は一歩近付きました。触れようと手を伸ばしてきて、仕方がないので青年は食事を守主に押しつけるように渡すと階段へ向かいます。守主が頑固なことは知っていたので、このままでは触れられてしまうと、青年は恐れました。
「明日は別のものが食事を届けに来ますので」
それだけをどうしても伝えたくて口にすれば、守主はぴたりと動くのをやめました。俯いて、とても悲しそうな顔をします。青年は振り向いてその姿を確認すると、慌てました。
「明日だけです。明日は、お休みをいただいたので。明後日からは、また私が来ます」
ぱ、と守主の細い指が青年の服の裾を掴みました。そして、そのままぐいぐいと引っ張ります。青年は守主が触れるために演技をしたのだと気付くのに、少し時間がかかりました。
「守主さま」
青年が声をかけると、守主はちらりと青年を見ました。今度は服ではなく、腕を直接引っ張ります。
冷たい手でした。
守主はそのまま青年を自分の部屋に連れていきました。青年が階段を上ることに不自由だと知っていたのか、とてもゆっくり階段を進みました。
守主の部屋は、思わずため息が出るくらいあたたかでした。
「あの」
青年が戸惑っていると、守主は青年を椅子に座らせ、食事を机に置くと棚から茶色の小さな紙袋を持って来ました。青年は差し出されたそれを受け取り、見覚えがあるものだと気付きます。
「この前の薬ですか」
それは、守主の体調が悪かった日、青年が用意したものでした。袋を開けてみると、まだ何包か残っています。青年ははっとして守主を見ました。
「私に、くれるのですか」
守主は大きく頷きました。
青年は袋を持ちながら、少し高くなって熱でぼんやりとする頭で、感激していました。守主が、自分のために薬を、と考えてくれたのです。薬が減っていたということは、守主はきちんと薬を飲んでくれたのでしょう。その残りを、体調が悪い青年に分け与えようと思いやってくれたのです。
けれど、と青年は首を横に振ります。
「これは、守主さまの体調が悪くなってしまったときのためにとっておいてください」
青年の言葉に、今度は守主が首を横に振りました。青年は眉を下げます。
「私はいつでも薬を手に入れられます。けれど、守主さまはそうではないでしょう?ですから」
青年の言葉を遮るように、守主はぶんぶんと首を振ります。薬の袋を指さしたあと、青年の顔をさしました。どうしても青年に薬を飲ませたいようでした。拒む青年に怒ったような表情をして、コップに水を汲んで青年に差し出します。
青年は困ってしまいました。
「守主さま」
守主は譲るつもりはないようで、ぐいぐいと青年にコップを受け取らせようとします。
青年は守主の優しさと頑固さに、ふっと笑ってコップを受け取ります。
「ありがとうございます。いただきますね」
守主はほっとしたように表情を和らげると、じいっと青年の手元を見つめます。青年が薬を飲むことを、しっかりと確認したいようでした。青年は薬の包みを一つ取りだすと、口にあてた布をずらして口に含んでぐい、と水で流しこみました。
守主は満足そうに頷きます。青年は薬の袋を守主に返します。
「これで、きっと明日には治っています」
青年が微笑むと、守主はまた頷きました。大切そうに薬の袋を胸に抱く守主に、青年はふと思いつきます。
「また、薬を持ってきておきますね」
この部屋はあたたかで守られているような気分になりますが、薬の類はいっさいないようでした。風邪薬以外にも、いくつか種類を揃えた方がいいだろうと青年は考えます。
風邪薬、頭痛薬、痛み止め。消毒もないようだから、きっとあったほうがいい。
けれど、考えていると足が痛みはじめ、頭痛もするようになってきました。思わずこめかみのあたりを指で押さえると、守主が心配そうに顔を覗きこんできます。青年は心配をかけないようにと、痛みに耐えながら微笑みます。
「そろそろ、失礼しますね」
これ以上長居をしては、守主に風邪をうつしてしまうかもしれません。青年は立ち上がろうとしましたが、足が痛んで上手くいきません。痛まない足に重心を置いても、痛みのせいで上手く体を支えられないのです。
守主はそれに気付くと慌てて青年の腕に触れ、寝台を指差します。それが意味することに気付き、青年はゆるゆると首を横に振ります。
「いけません、私は大丈夫ですから」
守主の寝台を自分が使うなど、と青年は痛む頭で考えます。痛みを堪えて足を引きずっていけば、いつもより時間はかかるでしょうが家に帰ることができるはずです。最悪、一番家の近い友人のところに助けを求めればいいのです。
守主に心配をかけ、思いやってもらっただけでなく寝台を借りるなどただの料理人の域を超えています。
ふらつきながらなんとか立ち上がると、頬に汗が流れるのを感じました。青年が思っていたよりも、ずっと体調は悪いようでした。
守主は青年の背に手を当て、支えようとします。青年が一歩動く度に苦痛に耐えるのを、ひどくつらそうな表情で見守っていました。何度も寝台を使うようにと促しますが、青年は頑なにそれを拒みます。
守主がとうとう泣き出しそうな顔になり、青年は乱暴に額や頬の汗を拭うと精一杯痛みを隠して優しい表情になるようにと勤めました。
「薬、ありがとうございました。明日は別のものが来ますが、驚かないでくださいね」
守主はじいっと青年の顔を見つめたあと、小さく頷きます。
「食事、あたたかいうちに召し上がってください。今日も、おいしいですから」
守主は頷きます。青年はほっとして、頭を下げると部屋を出ました。いつも食事を届ける部屋までは守主が付き添ってくれ、階段のところで別れます。青年が再び礼を言うと、守主は心配そうな表情で青年を見つめていました。
青年は階段を降り切り、塔を出るまで守主が見守ってくれているようだと感じました。
次の日には熱がぐっと上がり、心配して様子を見に来た同僚に病院に連れていかれました。そこで薬を出してもらい、もう二日はゆっくりと休むようにと言われました。青年は仕事があるからと粘りましたが、医者は許しませんでした。その医者は青年の足を治療した医者で、熱が原因で足の痛みが増していることに気付き、悪化することを心配したのです。
青年は医者のことを信頼し、恩を感じていました。なので、医者の言うことには従うしかありません。守主との約束を破ってしまうことに罪悪感を感じながら、同僚に自分が不在の間の守主の食事を頼みました。
同僚に話を聞いてみると、その日は昼も夜も守主は声をかけても物音ひとつ立てなかったそうです。
はやく仕事に戻りたいと、青年は熱でぐらつく頭で考えました。




