足音
青年は階段を上ります。今日は珍しく雪が少なく、寒さも少しだけましでした。
とん、と、とん、と。
青年が階段を上る足音は、独特でした。怪我をした足に負担をかけないようにしているので、自然とこうなります。仕事仲間にも、お前が来るとすぐに分かる、と言われます。
音を鳴らしながら食事を届ける部屋に足を踏み入れると、青年は思わずその場で固まりました。
「守主さま?」
そこには、毛布をからだに巻き付けて椅子に腰かける守主がいました。そんなことは初めてで、青年は信じられず何度も瞬きします。
守主は青年を見ると、椅子から立ち上がりました。そして青年に近付くと、軽く頭を下げます。
青年は慌てて食事を抱えたまま床に膝をつき、頭を低くしました。急な動きに足が悲鳴を上げましたが、そんなことには構っていられません。
「どうされましたか、なにか、…」
守主は青年よりもずっと身分が上ですから、頭を下げられるなんてことは考えもしませんでした。混乱して、上手く言葉も出てきません。青年が必死に頭を働かせていると、守主は青年の前にしゃがみ、困ったような表情で青年の顔を覗きこみます。
「…あの、守主さま」
青年も困った顔になります。守主は青年が少しだけ顔を上げると、手で顔を上げるようにと示します。青年が失礼します、と顔を上げると、ようやくほっとした表情になりました。
この間もこんな感じだったな、と青年は思い出します。
守主は青年の持つ盆に視線を落とすと、ぱ、と目を輝かせます。青年は気付きました。
「あ、そうか。食事をお持ちしました」
青年が布にくるんだままの盆を差し出すと、守主は嬉しそうにそれを受け取ります。
「すみません、いつもより少し遅かったですね」
青年は目を伏せます。今日は王宮に来賓があり、夕食の準備に時間がかかったかために守主のところへ来るのがいつもより遅くなっていました。きっとお腹がすいて待ち切れなかったのだろうと青年は考え、申し訳なくなります。
表情が暗くなった青年に気付き、守主は首をかしげます。そして、青年の腕にそっと触れると立ち上がるように促します。守主はなにも言いませんが、食事が遅れたことを咎めるつもりはないようでした。守主が白い息を吐くのに気付いて、青年は慌てます。
「寒いでしょう、からだが冷えてしまいます。はやくお部屋にお戻りください」
守主は頷きます。青年が思わず背中を押して促すと、階段を上がりかけた守主がふと立ち止まり、青年の方に向き直りました。
「どうされました」
守主はほっそりとした指を机の上に置いてある空の盆に向け、青年がそちらを向いたのを確認してから再び頭を下げました。
青年はやっと気付きました。守主は、食事の礼を言おうとしていたのです。
青年は頭を下げられたことには恐縮しましたが、嬉しくなって破顔しました。
「今日の食事もおいしいですよ。あたたかいうちに召し上がってください」
守主は、食事の時間になると三階の部屋で待つようになりました。初めのうち、青年は驚き、部屋で待つようにと頼みましたが、守主は何度言っても三階で待っていました。青年は守主が意外に頑固だと知り、諦めてなるべく待たせないようにと食事を運ぶ時間を毎日同じにするように努めました。
なにも話さない守主を不思議に思っていましたが、給仕長に話を聞いてみれば守主は声を失っているらしい、と教えられました。神さまだけを呼べるように、神さまに声の全てを捧げているから、と。青年はなにも言わない守主に納得しました。
だから、守主に話しかけるときは、言葉がなくても応えられるようにと考えます。
「守主さま、甘いものはおすきですか」
守主は青年から盆を受け取ると頷きます。
「今日、街から菓子が届いたんです。餡を皮で包んで焼いたものなんですが、とてもおいしいのでぜひ食べてみてくださいね」
菓子は盆を包んだ布の上にありました。つるりとした加工が施された紙の袋には、鮮やかな模様が描かれています。守主は興味深そうにそれを眺めていました。
「街では有名な菓子屋で、定期的に王宮に届けてくれるんです。食べられたことはありますか?」
守主は首を横に振って、そっと菓子の包みに手を伸ばします。とても嬉しそうな様子に、青年は微笑みました。
「気に入られたら、また持ってきますね」
青年と守主が話をするのは、ほんの五分ほどです。青年には他にも仕事がありますし、この寒い部屋に守主を長く留めておくことは気が引けたからです。
けれど、もう少したくさん話がしてみたいと、青年は思っていました。




