守主と神さま
瞬間、音が消え失せます。
塔の揺れがぴたりと止み、辺りが白くやわらかな光に包まれました。
青年が恐る恐る体を起こすと、目を見開いた守主の前に今まで見たことがないような、恐怖さえ感じるような美しさのだれかが佇んでいます。
すらりとした長身に輝く白の服を纏って、静かに微笑んでいます。
だれかは、ゆったりとした動きで身をかがめると守主に手を伸ばし、頬に触れました。守主は驚いたような表情を一瞬だけ見せて、けれど嬉しそうにそれを受け入れます。そして、その手に自分の手を重ねました。守主は表情を和らげ、触れた手に身を寄せます。ふたりはとても親しげな様子でした。
あれは、神さま?
青年は食い入るようにふたりの姿を見つめます。守主が口を動かすと、だれかは優しく微笑んで頷き、青年には聞こえない声で会話をしているようでした。しばらく話をしたあと、だれかはやさしく守主の手をひいて立ち上がらせます。
ふたりはしっかりと手を繋ぎました。だれかは幸せそうで、守主も同じように思えました。なにかを話しながら、ふたりは塔の奥に歩き出します。
守主さま。
声は出ませんでしたが、青年は叫びました。このまま、守主が神さまに連れられて消えてしまうと思いました。
ふたりはふいに足を止めると、守主だけが青年の方を振り向きました。青年の姿を見ると、幸せそうな顔を少し曇らせ、ぎゅっと眉を寄せます。
先ほど自分を心配してくれたときと同じ顔だと思うと、青年は我慢できませんでした。
「神さま、お願いします。守主さまを連れていかないでください」
青年は声を張り上げます。ふらふらと立ち上がって、しっかりとふたりの姿を見据えました。
「もし、もし人間が憎いのなら私が罰を受けます。どんな苦痛にだって耐えてみせますから」
守主がはっとしたように目を見開きました。そして、違う、駄目だとでもいうように首を振ります。青年は力を振り絞って、一歩、前へ進みました。
「だから、守主さまを連れていかないでください、…守主さまは、…」
青年は、けれど力なくその場に崩れ落ちます。もう、体は限界でした。気持ちだけは前を向いても、もう立ってはいられなかったのです。それでも、片足でなんとか体を支え、顔だけは上げ続けます。
目を逸らしてはいけないと思いました。
守主は目を潤ませ、じっと青年を見つめています。神さまは、静かにそこに佇んでいます。
青年の唇は震えました。
「守主さまは、なにも知らないのです。ずっとひとりだったのです。あたたかい食事も、きれいな菓子も、…だれかと触れ合うことも、なにも、知らなかったんです。これから、知ることがたくさんあるのです」
青年の視界は歪みます。それでも、何度も瞬きをして、ふたりを見つめます。
「私は、嬉しかった。守主さまが新しいものを知って、喜んでくださるのが、とても嬉しかったのです。そして、願いました。もっと喜んでほしい、いろいろなことを知ってほしい、…ひとりは寂しいことだと、知ってほしいと」
守主のために、食事が冷めない方法を考えました。もし冷めてしまっても、それでも美味しく感じられるように味付けや使う食材にもこだわりました。珍しい菓子は自分の分を守主に与えましたし、ただ喜んでほしくて、菓子の作り方だって習いました。
この塔の中でひとり、寂しい思いを少しでも紛らわせてほしかったのです。
話をする僅かな時間を、楽しみにしてほしかったのです。
喜んでほしかっただけなのです。
青年が顔を歪めると、守主はぶんぶんと首を振ります。青年を見て、口を動かします。守主の声は、青年には届きません。
それがひどくもどかしくて、切なくて、悲しいことでした。
「お願いします。…神さま、どうか」
青年は震える声で請いました。
そのときです。
神さまが物音ひとつ立てずに青年を振り向くと、守主の手をはなしました。そして、一歩一歩、優雅な動きで青年に近付きます。その神々しさに、青年は息すら忘れて見入りました。
神さまは微笑んでいました。
とても優しく、慈愛に満ちた表情でした。
人を憎んでいるとは、どうしても思えないくらいにあたたかです。
神さまは青年の目の前で、視線を合わせるように膝を折ります。目を見開いて動けない青年の額に、そっと手をかざしました。
その途端、青年の中にあたたかなものが流れ込んできます。
それは、神さまの記憶でした。




