↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/32

第7話:22時45分

鳴神大迷宮、第十二層。


 五万円を投資して手に入れた『硬獣の革張り籠手』の恩恵は、蓮司の想定以上に大きかった。


 この階層に出現する『ブレードウルフ』という狼型の魔物は、動きが素早く、前脚の鋭い刃で斬りつけてくる。以前のペラペラな合成樹脂プロテクターであれば、掠っただけで肉を裂かれ、そのまま出血による撤退を余儀なくされていただろう。


 だが今は違う。


「……そこだ」


 蓮司はブレードウルフの飛びかかりに対し、無理にステップで避けようとせず、顔の前で両腕を交差させてガードの姿勢をとった。


 ガキィンッ! と硬質な音が響き、革張りの籠手が刃を完全に受け止める。衝撃はあるが、骨まで響くことはない。


 敵の攻撃を「防げる」という確証は、蓮司に圧倒的な余裕をもたらした。攻撃を弾かれて一瞬だけ硬直した狼の喉元へ、蓮司は冷静に短剣を突き立てる。


 魔物が黒い灰となって消散するのを見届けながら、蓮司は小さく息を吐いた。


(やっぱり、投資は惜しむもんじゃないな)


 防御という選択肢が増えたことで、敵の攻撃パターンを至近距離で観察する余裕が生まれた。結果としてノートに書き込めるデータの質が上がり、不測の事態による負傷(=三日間の休業ロス)のリスクも激減した。


 蓮司はドロップ品の魔石を拾い上げ、周囲を見渡した。


 この第十二層は、それまでの階層と少し毛色が違う。岩肌の洞窟であることには変わりないが、ところどころに古代の遺跡か、あるいは近代的な建造物の残骸のような「滑らかな人工の壁面」が剥き出しになって混ざり込んでいるのだ。


「そこ、足元の配線みたいな蔦に気をつけて」


 少し入り組んだ回廊を抜けた先で、不意に声をかけられた。


 声の主は、三脚に据え付けた真鍮製の計測器を覗き込んでいる早瀬美琴だった。彼女は相変わらずダークブルーの防具を隙なく着こなし、壁の一角に計測器のレンズを向けている。


「またあんたか。測量士ってのはこんな中層まで一人でうろついてるもんなのか?」


「私の仕事は地形と魔素流の変動を記録することよ。むしろ、あなたみたいなFランク……今はEランクになったんだったわね。Eランクが単独でこの階層をうろついている方がよっぽど異常よ」


 美琴は手元のタブレットに数値を入力しながら、視線だけを蓮司に向けた。


「籠手、ちゃんと役に立ってるみたいね」


「ああ。おかげで負傷撤退が減ったよ」


「それは何より。……ねえ、ちょっとそこから私の真似をして壁を見てくれない?」


 美琴に手招きされ、蓮司は彼女の隣に並んで壁を覗き込んだ。


 そこは、岩肌がごっそりと崩れ落ち、奥から黒っぽい人工的なパネルのようなものが露出しているポイントだった。


「この壁の奥から、不自然な魔素の波長……微弱な電流に近いものが漏れているの。第十二層の環境魔素とは完全に切り離された、独立した回路よ」


「電流? 迷宮の中でか?」


 蓮司は目を細め、壁のひび割れの奥に埋まっている「それ」を凝視した。


 石でも、魔物の骨でもない。それは明らかに、プラスチックや樹脂で成形された電子機器の基板のような『機械片』だった。


「……おい」


 蓮司の喉が、ヒュッと鳴った。


 機械片の隅のほう、黒い樹脂の表面に、見覚えのあるマークがプリントされていたからだ。


 それは、あの時、第八層で拾った金属球に刻まれていたのと同じ意匠。


 ――『青い三本線』。


「あんた、これ……」


「そう、現代の工業製品に近いわね。でも、意匠のデータベースには該当するものがないの」


 美琴は蓮司の驚きを「未知の遺物に対する純粋な反応」と受け取ったのか、淡々と説明を続けた。


「少しだけ魔素を流し込んで、回路が生きているか確かめてみるわ。光量が強いかもしれないから、目を庇って」


 美琴が計測器の出力を上げ、壁の奥の機械片に向けて特殊な波長の魔素を照射した。


 ジッ……ジジジッ。


 微かなノイズ音が鳴り、機械片の中央に埋まっていた長方形のパネルが、唐突に赤い光を放った。


 液晶画面だ。


 ひび割れ、ところどころのドットが死んでいるその画面に、浮かび上がったのはデジタル表記の数字だった。


 ――『22:45』


 時間にして三秒ほど。数字を明滅させた後、プツンという音と共に液晶は完全に沈黙し、二度と光ることはなかった。


「……数字? 時刻かしら」


 美琴はタブレットに即座に今の状況をメモしながら、学術的な考察を口にし始めた。


「十五年前に大迷宮が出現した時、地下にあった何らかの旧設備が飲み込まれて迷宮の一部になった……と考えるのが一番自然ね。あるいは、行方不明になった旧世代の探索者の遺留品か。もちろん協会には報告を上げるわ。でも、古い時計の残骸だとしたら、これだけで未踏域の証拠にするには弱いかもしれないわね」


 彼女の言う通り、それがパチンコ店の実在を証明する決定的な証拠になるかといえば、かなり怪しい。単なる偶然の一致、あるいは過去の遺物の名残と片付けられてしまう可能性も高かった。


 しかし。


 隣で沈黙している蓮司の様子は、先ほどまでとは全く違っていた。


「……おい、嘘だろ」


 蓮司は、まるで自分の寿命があと五分だと宣告されたかのように、顔面を真っ青にしていた。


 つい先ほど、シールドビートルの突進を躱した時も、ブレードウルフの凶刃を間近で受け止めた時も、彼は一切表情を変えなかった。致死性の罠を前にしても、淡々とノートに記録をとっていた男だ。


 その蓮司が、額に脂汗を浮かべ、わずかに唇を震わせている。


「ちょ、ちょっと。どうしたのよ、急に顔色悪くして」


 怪訝な顔をする美琴に対し、蓮司は液晶があった場所を凝視したまま、うわ言のように呟いた。


「……にじゅうにじ、よんじゅうごふん」


 美琴にとって、それはただの時計が止まった時刻に過ぎない。


 だが、蓮司には違った。


 ――閉店時間。


 どれだけ確変が続いていようと、有無を言わさず客を追い出す刻限だ。


 あの青い三本線。そして、22:45。


 蓮司の中で、都市伝説の解像度がまた一段、不気味なくらいに跳ね上がった。迷宮の底に店があるだけではない。あの店には「営業時間」の概念が存在するのだ。


(やばい……もし本当にあそこに店があって、22:45で閉まるんだとしたら……)


 閉店時間に間に合わなければ、辿り着いてもシャッターが閉まっている。


「おい、測量士。俺は先を急ぐぞ」


「は? 急ぐって、今日はもう十分潜ったでしょ。これ以上は疲労で……」


「ダメだ。時間がねえ。閉店しちまう……!」


 切羽詰まった顔で回廊の奥へ急ぎ足になる蓮司を見て、美琴は「閉店?」と首を傾げた。


 未知の迷宮の謎に学術的な興味を抱く専門家と、ただひたすらに「自分の打つ時間がなくなる」という恐怖に突き動かされる男。


 二人の深刻さのベクトルは、決して交わることのないまま、迷宮の奥へと向かっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。