第4話:派手な方がハズレ
鳴神大迷宮、第十層。
ここは通称『モザイク回廊』と呼ばれている。足元の石畳が、不規則なサイズでパッチワークのように敷き詰められているためだ。
薄暗い回廊の中で、蓮司は立ち止まって足元をじっと観察していた。
彼の目の前にある一枚の石板が、心臓の鼓動のような周期で、毒々しい真紅の光を明滅させていた。そこから一歩右にある石板は、周囲と同じようにくすんだ灰色で、何の変哲もない。
「……さて、どっちだ」
普通に考えれば、赤く発光している床は危険だ。踏めば爆発するか、矢が飛んでくるか、毒霧が噴き出すか。少なくとも、一般常識を持つ探索者であれば、赤い床を避けて灰色の床を踏むだろう。
だが、蓮司は防水ノートのページをパラパラと捲り、数日分の記録に目を落とした。
『四日前、前衛の男が赤い床を踏み、強烈な破裂音が鳴ったがダメージはゼロ』
『二日前、別のパーティーが赤い床を避けて灰色の床を踏んだ直後、天井から酸の雨。一名重傷』
『昨日、俺が赤い床に石を投げた。音だけ。灰色の床に石を投げた。酸で溶けた』
結論は出ている。
蓮司は躊躇うことなく、激しく赤く明滅している床の上へと足を踏み出した。
――バアァァンッ!
耳を劈くような破裂音と共に、赤い魔素の光が蓮司の身体を包み込んだ。
しかし、それだけだ。
熱もなければ、衝撃もない。ただ視覚と聴覚を派手に脅かすだけの、ハリボテの威嚇演出。
「やっぱりな」
蓮司は平然と赤い床の上を歩き抜けた。
筐体が震え、光と音で煽っても、外れる時は外れる。ここも同じだ。赤い床は足を止めるためのブラフで、何も主張しない灰色の床に実害がある。
罠のエリアを抜けた先、少し開けた小部屋に出ると、そこには先客がいた。
年齢は蓮司より少し下、二十代後半だろうか。ダークブルーの機能的な防具に身を包み、傍らに長い槍を立てかけた女性が、三脚に据え付けた見慣れない真鍮製の機器を覗き込んでいた。
胸元には、銀色に輝くBランクのドッグタグ。
(測量士か)
蓮司は歩みを止めず、壁際を通り抜けようとした。迷宮内で他人に干渉するのはトラブルの元だ。
しかし、機器の調整を終えた女性がふと顔を上げ、蓮司の姿を認めて声をかけてきた。
「ちょっと待って。あなた、今ひとりで向こうの回廊から来たの?」
「ああ、そうだけど」
彼女は早瀬美琴と名乗った。探索者協会からの依頼で、この第十層の魔素流の変動を再計測しに来た専門家だという。
美琴は、蓮司の安っぽい装備とFランクのタグを見て、信じられないというように目を細めた。
「あそこの罠のパターン、今日は昨日までと完全に切り替わっていたはずよ。公式の基礎地図通りに歩いたら、間違いなく酸の罠を踏むように魔素が誘導されていたわ。どうやって抜けてきたの?」
「どうって……赤い床を踏んで歩いてきただけだが」
「赤い床? あれは強力な魔素の凝集反応を示しているわ。確かに実害の少ないブラフの可能性も計算上はあったけれど、確証がない状態で踏むなんて無謀すぎる」
美琴の非難めいた言葉に、蓮司は首を傾げた。
「無謀じゃないさ。何回か他人が踏むのを見たし、自分でも石を投げて試したからな。派手に光ってるやつほど、意外と実害はないもんだよ」
「試した……? あなたの個人的な経験則で?」
美琴は怪訝な顔をしたが、ふと、蓮司の手元にある薄汚れた防水ノートに目を留めた。
「それ、何?」
「ただのメモ帳だ。俺の失敗の履歴」
蓮司がノートを開いて見せると、美琴は目を丸くした。
そこには、達筆とは言えないが几帳面な字で、何日にもわたる日付、罠の発動条件、魔物の配置、さらには「どのルートを選んで行き止まりだったか」「どの攻撃を避けられずに怪我をしたか」といった、ありとあらゆる『失敗の記録』が書き連ねられていたからだ。
「……信じられない。あなた、これだけの量の失敗を全部記録しているの? 同じ敵に何回も負けて、外れのルートを何回も歩いて……?」
「ああ。一回じゃ傾向が読めないからな」
「失敗ログにも価値はあるわ。でも、時刻も条件も確度も整理されていないまま地図へ載せれば、現場ではノイズになる。読むのに迷った一秒が、命取りになるのよ」
美琴はノートの余白に混じる殴り書きを指で叩いた。
「地図に載せるために書いてるんじゃない。昨日の正解が今日変わった時、何が違ったかを探すためだ。俺みたいなど素人は、ハズレの履歴がないと当たりの条件を絞れない」
「確率……?」
「今日罠だった場所が、明日も罠とは限らない。でも『どういう条件でハズレたか』が分かれば、次は致命傷を避けられる」
蓮司はノートをパタンと閉じ、懐にしまった。
美琴は、彼がどれほどの異常な反復を繰り返してここまで来たのかを、その分厚いノートの束から感じ取り、言葉を失っていた。
「それにしても」
蓮司は美琴の高度な専門用語による説明を思い出し、ふと思い出し笑いをした。
「魔素の凝集反応だかなんだか知らないが、やっぱり派手な演出のわりには実害が薄かっただろ? あの赤い床。あれが一番笑えるんだよな」
「……は?」
美琴が怪訝な顔をする中、蓮司はそれ以上説明することもなく、ひらひらと手を振って小部屋を後にした。
美琴は去っていく背中を見送り、もう一度、赤い床と蓮司のノートを見比べた。




