第31話:あった
鳴神大迷宮、第三十七層。
無貌の機神が消滅し、重厚なシャッターが完全に上がりきった時、蓮司たちの視界を強烈な白い光が刺した。
それは、松明の炎でも、発光する魔素の輝きでもない。現代社会のどこにでもある、無機質で圧倒的な光量を持つ『蛍光灯』の灯りだった。
一歩、足を踏み入れる。
硬い石畳の感触は消え、靴底が沈み込むような柔らかい感触に変わる。床には、赤や金色の幾何学模様が描かれた、ひどくけばけばしい色合いの分厚い絨毯が敷き詰められていた。
そして、その空間の中央に鎮座しているもの。
――ジャラジャラジャラジャラッ!
――ピロリロリロリロンッ!!
鼓膜を震わせる爆音。
等間隔にずらりと並んだ台の列。一つひとつの台の中央には巨大な液晶画面が嵌め込まれ、目まぐるしく極彩色の映像を垂れ流している。台の周囲を囲むプラスチックの役物は激しくフラッシュし、下部の受け皿からは、無数の小さな銀色の球がぶつかり合う音が絶え間なく溢れ出していた。
客の姿は一人もない。それなのに、右端から左端まで、すべての台が赤や金の光を吐き、剣を落とし、竜を咆哮させている。
どの台も今にも当たりそうで、まだ一台も当たっていなかった。
空調の効いた冷たい空気には、微かなタバコの煙と、甘ったるい芳香剤の匂いが混ざり合っている。
通路の奥には広々とした景品カウンターがあり、そこには揃いのベストを着た店員らしき人影が立っていた。
遺跡でも、幻影でもない。
そこに在ったのは、疑いようのない、物理的な『遊技施設』だった。
「……あ、あった」
蓮司の口から、掠れたような声が漏れた。
十年以上前から匿名掲示板で語り継がれ、誰もがただのオカルトだと笑い飛ばしてきた都市伝説。
『鳴神大迷宮の最深部には、全台激熱のパチ屋がある』。
第八層で拾った一個の玉から、ここまで来た。
蓮司は短剣を握ったまま、一番手前の遊技台を見つめた。
伸ばしかけた手を止める。ここまで来て、安全確認を飛ばすわけにはいかない。
それでも、蓮司の瞳の奥はじんわりと熱くなっていた。
蓮司が深い感動に浸っている間も、後方ではプロの探索者たちが素早く動いていた。
「神代さん、背後のシャッターはロックされていません! 手動での開閉も可能です。退路は確保できています!」
「了解した。早瀬測量士、空間の状況は」
神代の問いに、美琴がタブレットの画面から顔を上げる。
「驚くほど安定しているわ。ここまでの地形変動が嘘みたいに、座標が完全に固定されている。これが深層潮の間にだけ現れる『終端アンカー領域』……。魔物の生命反応もゼロよ」
「緊急帰還符への魔力パスも正常に通っているな。……信じ難いが、ここは現在の迷宮内で最も安全な空間かもしれない」
神代が剣を鞘に収め、警戒レベルを一段階下げる。
「安全確認、完了だ」
その声を聞いた途端、蓮司の指から力が抜けた。短剣が絨毯の上へ滑り落ちる。
蓮司は拾おうともせず、遊技台の分厚いガラスに触れた。ひんやりとした質量と、液晶から漏れる熱が掌へ伝わる。
「本当に、あったんだな……」
蓮司は名残惜しそうに台から手を離すと、足元の短剣を拾い上げた。
十分に安全確認が取れたその時、奥の景品カウンターに立っていた人影が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
黒いベストに白いシャツ。胸元には名札のようなものが光っている。動きは滑らかだが、どこか無機質な気配を纏う『店員』だった。
「……いらっしゃいませ。当ホールへのご来店、誠にありがとうございます」
店員が、完璧な角度でお辞儀をした。
その流暢な現代の日本語に、神代と美琴はビクッと肩を揺らした。
「君は……人間なのか? それとも迷宮が生み出した自立型の幻影か?」
神代が鋭い視線を向ける。迷宮の底に現代社会の施設があり、店員が言葉を話している。これは迷宮の成り立ちそのものを覆す、学術的にも歴史的にも計り知れない大事件だ。
白嶺のメンバーたちが息を呑んで店員の返答を待とうとした、まさにその時だった。
「おい、そんなことはどうでもいい」
蓮司が、神代を押しのけるようにして一歩前に出た。
「ここ、本当に玉を借りて遊べるのか?」
「……は?」
神代が間の抜けた声を出し、美琴が「ちょっと真壁! もっと他に聞くことあるでしょ!」と背中を叩いた。
店員は蓮司のストレートな問いに対して、表情一つ変えずに再び深くお辞儀をした。
「はい。当ホールは現在営業中ですので、遊技は可能でございます」
「……ッ!」
蓮司がガッツポーズをしそうになった直後、店員は言葉を継いだ。
「ただし、遊技をご希望のお客様には、まずあちらの受付端末にて『初回登録』をお願いしております」
店員が手で示した先には、銀行のATMのような縦長の機械が設置されていた。
「初回登録か。会員カードを作る手続きみたいなもんか」
蓮司は素早く左腕を持ち上げ、腕時計の文字盤に視線を落とした。
時刻は、『22:27』。
「二十二時三十分までに入口未到達なら撤退」という条件は、すでに解除されている。
次の絶対条件は二十二時四十三分の店内退出。それまで十六分。閉店までは十八分。
(登録に時間を取られても、数回転は回せる)
蓮司の胸のポケットには、三十秒で地上へ帰れる緊急帰還符が入っている。帰る時間はギリギリまで削れる。
そして何より、蓮司の右手はすでに、懐の防水財布の奥底をしっかりと握りしめていた。
地上の店で激熱を外したあの日から、絶対に手をつけず温存してきた、折り目のある千円札三枚。
ようやく、本当に、この金を使って最深部の台と勝負できるのだ。
「測量士。神代」
蓮司は振り返り、これまで共に死線を潜り抜けてきた仲間たちに向けて、今日一番の輝くような笑顔を見せた。
「悪いが、俺はちょっと用事を済ませてくる。少しの間だけ、待っててくれ」
そう言い残すと、蓮司は迷うことなく受付端末へと真っ直ぐに歩き出した。
残されたわずかな時間で、蓮司の遊技が始まろうとしていた。




