第32話:激熱は外れる
時刻は二十二時二十七分。
閉店まで、残り十八分。
蓮司は景品カウンター横に設置された無機質な受付端末の前に立ち、タッチパネルの案内に従って手早く入力を進めていた。
名前、年齢、任意の暗証番号。手続きは地上の会員登録と何ら変わらない。数秒後、端末の下部からスッと一枚の『白い仮登録カード』が吐き出された。
「よし。これで打てる」
蓮司はカードを握りしめ、ずらりと並んだ島(遊技台の列)へと足を踏み入れた。
神代と美琴が、まるで未知の魔物の巣を検分するような真剣な面持ちで後ろをついてくる。
蓮司が適当に腰を下ろしたのは、剣と魔法の王道ファンタジーらしき映像が流れている、完全な架空機種だった。
台の横にあるサンド(貸出機)の紙幣挿入口を確認する。
そこにははっきりと、千円、五千円、一万円の投入ランプが点灯していた。
「……頼むぞ」
蓮司は防水財布を開き、あの日、地上のパチンコ屋へ寄った時から数ヶ月間、手をつけずにきた『折り目のついた千円札』を一枚取り出した。
指でシワを丁寧に伸ばし、挿入口へと滑り込ませる。
ウィィン、という機械音と共に紙幣が吸い込まれた。
蓮司がサンドの「貸出」ボタンを押した瞬間。
ジャラジャラジャラッ!
と、冷たい銀色の玉が下皿へと勢いよく払い出された。
「……ははっ」
蓮司の口から、抑えきれない笑みが漏れた。
右手のハンドルを握り、軽く捻る。弾き出された玉が盤面の釘に弾かれ、チャッカー(入賞口)へと吸い込まれていく。
液晶の数字が変動を始めた。
何十回もの敗北。骨の折れる痛み。動く回廊での焦燥。
そのすべての労力が、今この一回転の変動へと収束していく。
数回転目だった。
ピュイイィィィンッ!!
突如として、台の周囲のLEDランプが真っ赤に染まり、けたたましい警告音が鳴り響いた。液晶画面には金色の文字が踊り、上部から巨大な剣の役物がガシャンと落下してくる。
「な、何事だ! トラップか!?」
「真壁、離れて! 魔素の波長が異常に高まってるわ!」
背後で神代が剣の柄に手をかけ、美琴がタブレットを構えて叫ぶ。
しかし、蓮司は全く逃げる素振りをせず、むしろ食い入るように液晶画面に顔を近づけていた。
「違う、罠じゃない! 激熱だ……!」
画面の中では、主人公らしき勇者が巨大なドラゴンと死闘を繰り広げている。カットインは赤。テロップは金。誰がどう見ても大当たりの期待度が最高潮に達する、ド派手なクライマックス演出。
「いけえええええっ!」
蓮司が祈るように、台の中央にある巨大なボタンを押し込んだ。
プシュン。
ド派手な演出は一瞬でかき消え、画面には揃わなかった数字と、通常ステージに戻る勇者の後ろ姿だけが残された。
「……え?」
美琴が間の抜けた声を出す。
「外れた……のか? あれほど派手な予兆があったというのに、何も報酬が出ないのか?」
神代も困惑したように眉をひそめた。ダンジョンの常識で言えば、あれだけ派手な予兆があれば、即死級の罠が発動するか、隠し扉が開くかの二択だ。何事もなく日常に戻るなどあり得ない。
だが、当の蓮司は。
「ああ。外れたな」
彼は全く怒る様子もなく、むしろ心底嬉しそうに、肩を揺らして笑っていた。
「最高だ。激熱でも、確定じゃない。この理不尽なハズレこそが、ここが本物のパチンコ屋である何よりの証拠だ」
期待は外れる。その「当たり前」を迷宮の最深部で味わえたことが、彼にはたまらなく愛おしかったのだ。
その後、追加の千円札を投入し、二十二時三十九分。
今度は赤も金も出ない、全く期待していなかった地味なノーマルリーチから、あっさりと数字が揃った。
キュインキュインキュイン!
という短い確定音と共に、右打ちの指示が出る。
だが、ボーナスラウンドを消化し終えた後、確変(連続当たり)には突入せず、あっさりと通常画面に戻ってしまった。
単発。
手元に残った出玉は二百発少々。小さな箱の底が、かろうじて隠れる程度だった。
『――本日はご来店いただき、誠にありがとうございます。まもなく、閉店のお時間となります――』
店内放送と共に、優しく物悲しい『蛍の光』のメロディが流れ始める。
時刻は二十二時四十一分。これ以上の続行は不可能だ。
「……時間切れね」
美琴がため息をつく。
二千円分の貸玉には到底届かない。
しかし、席を立った蓮司の顔は、この数ヶ月間で一番の、憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔だった。
「ああ。十分遊ばせてもらったよ」
彼の目的は金を稼ぐことではない。「最深部の店で打つ」という執着を果たすこと。その勝利条件は、この十八分間で完璧に満たされていた。
蓮司は少ない出玉を持って景品カウンターへ向かい、白い仮登録カードと共に店員へ渡した。
「精算と、本会員への移行をお願いします」
「かしこまりました。……こちらが、お客様の本会員証となります」
店員から差し出されたのは、一枚の光沢のある黒いカードだった。
表面には、第十二層の瓦礫の中で見つけた樹脂片と全く同じ『GRAND ABYSS』の青い三本線ロゴ。
蓮司が何気なくカードの裏面を裏返すと、そこには小さな文字でこう記されていた。
『――VIPステータス認定。地下会員フロア利用可――』
「地下……会員フロア?」
蓮司の目が光った。第三十七層のさらに下があるのか。
腕時計は二十二時四十二分を示していた。店内退出の約束まで、あと一分。
目を輝かせる蓮司の首根っこを、後ろから美琴がガシッと掴んだ。
「今日はここまで。帰るわよ」
「お、おい! あともう少しだけ、地下の様子を……」
「ダメ。閉店時間は閉店時間よ。ルールは守りなさい」
神代が退店導線を示す青いネオンの先を確認し、頷いた。
「ここから第三十一層のベースキャンプへと繋がる直通ゲートが用意されている。空間の歪みはない、安全な退路だ」
蓮司は胸ポケットの『緊急帰還符』に触れた。使わずに済んだ。
「……仕方ねえな。地下のシマの様子を見るのは、次の遠征の楽しみにとっとくか」
蓮司は黒い会員証を大切に防水財布へしまい込むと、迷宮の底に鳴り響く電子音を背にして、直通ゲートへと歩き出した。
二十二時四十三分。五人全員が店を出て、第三十一層のベースキャンプへ帰還した。
十二敗のハズレを記録し続けた男の巡礼は、ひとまず一つの確かな『大当たり』を引いて、区切りを迎えたのだった。




