第28話:ゼロから取る
鳴神大迷宮、第三十四層。
重厚な扉を抜けた先は、これまでの岩肌の洞窟や遺跡のような回廊とは打って変わり、無機質な灰色の壁が続く迷路のような空間だった。
遠くから、微かにではあるが、チープでアップテンポな電子音のBGMが鳴り続けている。
「……音は近づいているわ。でも、空間の変動が激しすぎて、音源の正確な座標が割り出せない」
美琴が苛立ち交じりにタブレットを叩く。異常な魔素圧によって、彼女の測量機材は先ほどからノイズとエラー表示を繰り返していた。
だが、問題は機材の不調だけではない。
神代が、松明の明かりを頼りに周囲を警戒しながら、蓮司に問いかけた。
「真壁君。灰原先輩の『旧深層メモ』には、この階層について何と書かれている?」
蓮司は懐から手帳を取り出し、ページをペラペラと捲った後、ふうと息を吐いてそれをしまった。
「ここから先、メモは現行ルートと対応しない。灰原さんたちが通った旧ルートとは、地形も座標も違う。つまり、使える記録はここで終わりだ」
地形は動き、測量は乱れ、先人の記録も使えない。五人は分岐の前で足を止めた。
しかし。
「……おい、真壁。なんでちょっと嬉しそうなのよ」
美琴が、怪訝な顔で蓮司の顔を覗き込んだ。
極限の緊張状態にあるパーティーの中で、蓮司だけが、防水ノートを新しいページに開きながら、ニヤニヤと口角を吊り上げていたのだ。
「嬉しい? そりゃそうさ」
蓮司は灰色の壁と、いくつにも枝分かれした通路を見渡し、心底楽しそうに言った。
「事前情報ゼロ。攻略サイトにも載ってない。誰もデータを取ってないまっさらな状態なんて、最高にワクワクするだろ」
「は……?」
「誰も解析してない新台の初日、朝一の一回転目みたいなもんだ。どの演出が熱いのか、どこに罠が潜んでるのか、全部自分の手でイチから確かめられるんだからな。攻略者冥利に尽きるってもんだぜ」
神代は一瞬呆気にとられた後、小さく肩を揺らして笑った。
「君のその図太さには、本当に救われるよ」
だが、蓮司はただ無謀にはしゃいでいるわけではない。
「神代。ここからは、俺がわざと『小さな失敗』を作る」
蓮司はノートを左手に持ち、右手の『硬獣の革張り籠手』の具合を確かめながら言った。
「怪しいと思った床や壁に、あえて触れてみる。どういうトラップが発動するか、何秒のタイムラグがあるか、反応を測るんだ。アンタは俺が致命傷を負わないように、俺の動きに合わせて即座にカバーを入れてくれ」
「……なるほど。私を命綱にして、自ら罠の法則を暴きに行くというわけか」
「そうだ。一回で正解を見つける必要はねえ。ゼロからデータを作って、ルートを組み立てる」
神代が力強く頷き、剣を抜いて蓮司の斜め後ろにぴったりとついた。
蓮司が先行し、あえて通路の中央、僅かに色の違うタイルを踏み抜いた。
カチッ、という微かな音が響く。
「……上だ! 氷柱!」
蓮司が叫んで後ろへ飛ぶ。同時に、神代の大剣が上段へ振り上げられ、天井から落下してきた巨大な氷の槍を粉砕した。
氷の破片が降り注ぐ中、蓮司はすかさずノートに書き込む。
『色の違うタイル。踏んでから発動まで一・五秒。天井からの物理攻撃』
「よし、次だ。あそこの交差点、右から変な魔素の匂いがする」
蓮司はわざと右の通路の角から少しだけ身を乗り出し、すぐに引っ込めた。
直後、無数の不可視の風の刃が角をかすめて飛んでいく。
『曲がり角の索敵トラップ。視覚ではなく、熱源反応か。発動はほぼノータイム』
「神代、熱源をごまかすために、あの角の先に火球をぶち込んでくれ!」
「了解した!」
蓮司が小さく罠を動かし、神代が潰す。白嶺の盾役は蓮司の死角を塞ぎ、遊撃役は通過した分岐へ細い誘導糸を残していく。美琴は五人分の動線と魔素の変化を、同じ時刻表へ重ねた。
一つ結果が出るたび、次に踏める床が増えた。
やがて。
複雑に変化する回廊の奥に、ぼんやりと青白い光を放つ重厚な扉が現れた。
第三十五層への入り口だ。
「……着いたわね」
美琴が安堵の息を吐きながら、タブレットを降ろす。
蓮司はノートを懐にしまい、左腕の腕時計に視線を落とした。
「時刻は……二十一時二十九分」
閉店の二十二時四十五分まで、あと一時間と十六分。二十二時三十分の到達判定まで、あと六十一分。予定した進捗再評価の一分前だった。
「これだけ寄り道してデータ取った割には、悪くないペースだ。急ごうぜ」
蓮司が先頭を切って、青白い光を放つ扉を押し開けた。
だが、その先に広がっていたのは、さらに続く回廊でも、広大なフロアでもなかった。
「……なんだこれは」
神代が眉をひそめる。
扉の奥にあったのは、少し開けた石室。そして、その奥の壁には、人一人がようやく通れるほどの細い通路が、パーティーの人数分――ちょうど五つ、等間隔に口を開けていたのだ。
石室の中央には、ひび割れた古い石碑が建っていた。
美琴が石碑に刻まれた古代文字にライトを当て、慎重に読み上げる。
「『ここから先は、己の個の力のみで進め。助け合いは許されず。試練に敗れし者は、安全にこの場へ還されるだろう』……ですって」
「個人試練、か」
神代が鋭い視線で五つの通路を見据えた。
ここまでは、美琴の測量、蓮司のデータ、神代の武力という三者の連携で進んできた。だが、この第三十五層は、その連携を強制的に分断し、個人の能力だけで突破しろと要求しているのだ。
失敗すれば死ぬわけではない。「この場へ還される」ということは、第十七層の三択通路と同じく、時間だけをロスする強制転送のギミックだろう。
(死なないなら、何度でも試せる。だが……)
蓮司はチクタクと進む腕時計の秒針を見た。
問題は、命ではなく「時間」だ。一人で試練を突破するのに手間取れば、それだけ閉店時間が迫ってくる。
「……上等だ。自分の台(通路)は自分で出すしかないってことだな」
蓮司は五つの通路のうち、一番右端の穴の前に立った。
残り時間は、約一時間。
蓮司は、己の反復だけを持って孤独な試練へ足を踏み入れた。




