第23話:最弱だった男
鳴神大迷宮、第二十九層。
地形自体は固定されているとはいえ、深層へ進むにつれて『状態変動』の牙はより鋭く、理不尽さを増していた。
先頭を歩いていた蓮司が、足元のタイルの僅かな魔素の明滅に気づいた時には、すでに頭上の岩盤が限界を迎えていた。
「……上だ! 崩れるぞ!」
蓮司の叫びと同時、落雷のような轟音が回廊に鳴り響いた。
天井に仕掛けられていた大規模な崩落トラップの起動。数トンもの岩の塊が、パーティーを分断するように容赦なく降り注ぐ。
猛烈な土煙が視界を奪い、鼓膜が破れそうなほどの粉塵の嵐が吹き荒れた。
「ゲホッ……くそっ、美琴! 神代!」
蓮司は硬獣の革張り籠手で頭部を庇いながら咳き込み、通信用の魔道具に向かって声を上げた。
土煙が少しずつ晴れていく。
蓮司の背後は、完全に巨大な瓦礫の山によって塞がれていた。白嶺のメンバーと美琴は瓦礫の向こう側。そして、蓮司一人だけが、第三十層への連絡路に近い孤立した広間に取り残された形だ。
『――真壁君! 無事か!』
魔道具から、神代の切羽詰まった声がノイズ混じりに響く。
「ああ、生きてる! そっちはどうだ!」
『全員無事だ。だが、この瓦礫の量はひどい。今から総がかりで破壊して合流するが……約三分かかる! なんとか持ち堪えてくれ!』
「三分……」
蓮司が呟いた直後、広間の奥から、ギリギリと金属が軋むような不快な音が聞こえてきた。
薄暗い影の中から這い出してきたのは、体長三メートルを超える巨大な魔物。分厚い黒曜石のような外殻を持ち、先端から猛毒の滴る巨大な尾を振り立てた『鎧蠍』だった。
B級下位相当。
純粋な戦闘力で言えば、Dランクの蓮司が単独で倒せる相手ではない。一撃でも尾の毒針を食らえば、数分で全身の神経が麻痺する。
だが、今の蓮司の口元には、恐怖の色は全く浮かんでいなかった。
「持ち堪えろ、って。要するに三分間、死なずに逃げ回れば俺の勝ちなんだろ」
倒し切る必要はない。
『生存という勝利条件』が明確に提示された以上、蓮司にとってそれは、ただの慣れ親しんだ作業でしかなかった。
シャァァァッ!
鎧蠍が不気味な鳴き声を上げ、六本の脚を蠢かせて猛烈なスピードで突進してくる。
速い。だが、第二十三層で死にかけた風鎌鼬のスピードを経験している蓮司の目には、その初動は十分に捉えられる速度だった。
「右のハサミからの薙ぎ払い……大振りだ」
蓮司は頭で考えるよりも早く、身体に染み込ませた『決め打ち』のステップで左斜め前方へと身体を滑らせた。巨大なハサミが蓮司の横を通り抜け、空を切る。
すぐさま、鎧蠍が長い尾をしならせ、死角から毒針を突き刺してきた。
「そこも知ってる」
蓮司は短剣で無理に弾こうとはせず、新しい籠手で覆われた右腕を盾のように掲げ、角度をつけて毒針の軌道をいなした。
ガキィンッ! という硬質な音。
毒針の先端が籠手の表面を滑り、火花が散る。衝撃で体勢は崩れたが、硬獣の革が猛毒の侵入を完全に防ぎ切っていた。事前の投資(装備更新)が、ここでも彼の命を繋いだ。
(一回目のパターンは凌いだ。次は……)
蓮司は広間の中をただ闇雲に逃げ回るわけではない。
岩柱の位置、崩落した瓦礫の配置、そして鎧蠍の旋回半径。これまでに蓄積した「失敗の履歴」と「空間把握のデータ」をフル回転させ、彼は自分の立ち位置をミリ単位で調整していく。
鎧蠍が苛立ち、毒液を広範囲に撒き散らす。蓮司はそれも岩柱の裏に隠れてやり過ごし、すぐに姿を現して魔物のヘイト(敵意)を自分に向けさせた。
『……真壁君、あと一分だ!』
通信機から神代の声が飛ぶ。
「急がなくていい! ついでに、入ってきたら即座に三時の方向へ最大火力をぶち込めるように準備しとけ!」
蓮司は叫びながら、広間の右奥、最も開けていて、かつ敵の背後が『分厚い石壁』になる位置へと後退していく。
彼の目的は「三分間しのぐこと」だけではない。
合流した神代たちが、最も安全に、最も確実にこの凶悪な魔物を仕留められる「完璧な的の位置」へと、敵を誘導することだった。
(よし……そこだ)
鎧蠍が蓮司のフェイントに引っかかり、大きく前傾姿勢をとって石壁を背負う形になった。回避スペースのない、完全にロックオンされた処刑ポジション。
その瞬間。
ドゴォォォォンッ!!
蓮司の後方にそびえていた瓦礫の山が、内側からの爆発的な魔法によって吹き飛ばされた。
土煙を突き破って飛び出してきたのは、純白の防具を纏ったAランクのトップ探索者、神代岳だった。
神代は一瞬の迷いもなく、蓮司が指定した『三時の方向』へと跳躍した。
「ハァァァァッ!」
完全に死角を奪われ、逃げ場を失った鎧蠍の巨体に、神代の雷を纏った大剣が容赦なく叩き込まれる。
断末魔すら上げる暇もなく、B級下位相当の強力な魔物は、一撃で黒い灰の山へと変わった。
* * *
「……怪我はないか、真壁君」
剣を納めた神代が、少し息を弾ませながら蓮司の元へ歩み寄った。
その後ろから、美琴もホッとした顔で小走りに駆け寄ってくる。
「ああ、掠り傷一つねえよ。籠手がいい仕事してくれた」
蓮司は灰の中からドロップ品の魔石を拾い上げ、パンパンと泥を払い落とした。
神代は広間の出口を確認し、自分の隊列端末を蓮司へ差し出した。
「第三十層からは、君を先頭に置く。私は君の指示を待つ」
美琴も異論を挟まず、端末に隊列変更を登録した。
「いや、火力がないから強い奴に任せただけだろ」
蓮司は首の後ろを掻きながら、心底面倒くさそうにぼやいた。
「硬い装甲をチマチマ削るなんて、ダルくてやってられないからな。俺は玉の動き(データ)を読んで、一番効率のいい当たり筋を見つけるだけだ。後は、それが得意な奴が削ればいい」
「……ダルい作業、とは?」
「だから、役割分担ってやつだ。俺が釘を読んで、あんたがハンドルを握る。一番手っ取り早くてコスパのいいやり方だろ」
「……ええと、つまり、私の剣撃を褒めてくれている、と受け取っていいのかな?」
「まあ、そんなとこで」
神代はしばらく瞬きをした後、隊列端末を蓮司の胸へ押しつけた。




