第22話:一回で決めなくていい
鳴神大迷宮、第二十八層。
蓮司と美琴の『時間軸付き地図』が正式採用され、『白嶺』との合同チームには社会的な注目が集まっていた。
白嶺のスポンサー企業が用意したという、小型の浮遊型魔道具がパーティーの少し後方を飛び回り、攻略の様子をリアルタイムで地上へ送信している。
「……なんか、見られてると思うと息苦しいな」
蓮司は煩わしそうに首を鳴らした。
地上の協会やスポンサーが、今日の到達深度を見ている。
そんな重圧の中、第二十八層の最深部で彼らの前に立ちはだかったのは、事前情報が一切存在しない未知のエリアボスだった。
それは漆黒の甲冑に身を包んだ『影縛りの騎士』。
実体を持たず、迷宮の壁や床に落ちる「影」の中を自在に潜行し、探索者の死角から不規則に凶刃を突き出してくるという、極めて初見殺しに特化したギミックを持っていた。
「くっ……! シールド、右後方へ展開!」
白嶺のリーダー、神代岳の鋭い声が響く。前衛が咄嗟に防御を固めるが、影からの奇襲を完全に防ぎ切ることはできず、白嶺のメンバーの防具が次々と削られていく。
圧倒的な火力と連携を誇る彼らであっても、敵が「どこから出てくるか」が分からなければ、強力な魔法や大剣を当てることはできない。
後方で観測を続ける美琴も、焦ったようにタブレットを操作していた。
「ダメ、影に潜っている間は魔素の波長が完全に遮断される! 出てくる瞬間を狙うしかないわ!」
「陣形を崩すな! 焦らずに対処すれば押し切れる!」
神代は剣を構え直し、メンバーを鼓舞した。
彼の脳内では、魔力残量、回復薬の数、そしてメンバーの疲労度が高速で計算されていた。被害は出る。だが、自分たちの実力であれば、このままゴリ押しで突破することは可能だ。何より、スポンサーの監視カメラが回っているこの「初の大遠征」で、手ぶらで帰るという選択肢は神代のプロとしての矜持が許さなかった。
「おい、神代! ストップだ!」
だが、そのプロの判断を真っ向から否定する声が上がった。
ノートにペンを走らせていた蓮司だ。彼は前線に向けて鋭く言い放った。
「今日はもう引くぞ。全員、撤退の準備をしろ!」
「……何を言っている、真壁君!」
飛んでくる黒刃を弾き落としながら、神代が信じられないという顔で振り返る。
「まだ戦える! ポーションの残量にも余裕はある。ここで引き下がれば、地上で結果を待っているスポンサーや協会に対して顔が立たない!」
「顔が立たないから死んでもいいってのか?」
蓮司の口調は冷ややかだった。
「アンタらが優秀だからギリギリで押し切れるかもしれない。だが、そんなボロボロの状態で勝ったとして、次の二十九層でイレギュラーが起きたらどうする。全滅だぞ」
「それは……」
「それに、俺のノートにはもう十分なデータが書かれている」
蓮司は手元の防水ノートをポンと叩いた。この数分間の防戦一方の状況で、彼は敵が影に潜るタイミング、出てくる前後の数秒間のパターンをすでに三つも記録していた。
「今日無理して一回で倒し切る必要なんてどこにもない。データを持ち帰って、明日万全の状態でタコ殴りにすればいいだけだろ」
蓮司の言葉に、神代は唇を噛み締めた。
神代は何かを言いかけた。だが、蓮司は先に続けた。
「……一回で決めなきゃいけないなんて、どんな悪辣なスペックだよ」
「スペック……?」
「そうだよ。どんなに金突っ込んだか知らないが、一回のチャンスで絶対に結果を出せなんて、遊べる前提が崩れてるんだよ。外れたら終わりの一発台じゃあるまいし、死なずに帰る道が残されてるなら、何度でも回せばいい。俺は、次を回せなくなるような賭けには乗らない」
「…………分かった」
数秒の葛藤の後、神代は剣を下げ、通信用の魔道具に向かって短く命じた。
「全員、撤退する。防衛陣形のまま、帰還ゲートへ後退!」
浮遊型魔道具のレンズが、その撤退を地上へ送り続けていた。
* * *
翌日。
蓮司たち合同チームは、再び第二十八層の最深部に立っていた。
目の前には、昨日彼らを苦しめた『影縛りの騎士』が、再び影の中から凶刃をちらつかせている。
だが、盤面は昨日とは全く違っていた。
「真壁、魔素の揺らぎを確認したわ!」
「右斜め前、三時の方向だ。神代!」
蓮司の叫びと同時、美琴の測量データと前日の『失敗の履歴』が完璧に合致した。
影から出る直前、ほんのコンマ数秒だけ、対象の足元のタイルの魔素が特定の波長で瞬く。昨日持ち帰った数分間の防戦データから、蓮司が導き出した「確変の予兆」だ。
神代は蓮司が指定した空間に向けて、敵が姿を現すよりも早く、特大の雷属性の魔法剣を振り下ろした。
「ハァァァァッ!」
轟音と共に、影から飛び出そうとした騎士の巨体が、空中で雷に焼かれて完全に両断された。
一度出所さえ分かってしまえば、白嶺の火力の前に小細工は通じない。昨日あんなにも苦戦した未知のボスは、ものの数十秒で、ほぼ無傷のまま蹂躙され、黒い灰となって消え去った。
静寂が戻った広間で、神代は剣の汚れを払い、蓮司の元へ真っ直ぐに歩み寄った。
「……真壁君。昨日の君の撤退判断は、正しかった」
神代はそれだけ言い、次の回廊を示す地図を蓮司へ渡した。
「よしてくれ。俺は俺のやりやすいように立ち回っただけだ」
蓮司は照れ隠しのように首の後ろを掻いた。
「結果を出せば、スポンサーの連中も文句は言わねえだろ。一回で出なくても、二回目で当たりを引けばトータルでプラスなんだからな」
神代は短く笑い、浮遊型魔道具の電源を切った。




