第21話:地図より履歴
鳴神大迷宮、第二十五層。
灰原から託された旧深層メモと、『22:45』という絶対的なタイムリミットの存在。
閉店時間が実在する以上、もはや悠長に構えている暇はない。しかし、焦ったところで一足飛びに最深部へ行けるわけでもない。蓮司は湧き上がる焦燥感を無理やり押さえ込みながら、目の前の現実的な攻略に集中していた。
「――美琴、前方の魔素圧はどうなってる」
「少し待って……ダメね、波長が乱高下してるわ。五秒ごとに炎属性と氷属性が切り替わっている。基礎地図通りの安全地帯なんて、今のこの回廊には存在しないわ」
三脚の計測器を覗き込む美琴の声には、強い緊張感が滲んでいた。
第二十五層から第二十七層にかけてのエリアは、極めて厄介な性質を持っていた。
回廊の形や小部屋の配置といった『地形自体』は固定されており、探索者協会が発行する公式の基礎地図がそのまま使える。しかし、どこに罠が仕掛けられているか、魔物がどのルートを巡回しているかという『状態変動』が、上層とは比較にならないほど激しく、かつ不規則なのだ。
基礎地図を頼りに安全なはずの通路へ足を踏み入れた瞬間、そこが致死性のトラップ地帯に変わっていることも珍しくない。
「地形が変わらない分、中身のシステムを極悪にしてるってわけか。性格の悪い台だぜ」
蓮司は防水ノートを広げ、過去数日間に渡って自分が身体を張って集めた『失敗のデータ』と、美琴のリアルタイムの測定数値を照らし合わせた。
単に「ここが危険だった」という場所の記録ではない。
「……分かったぞ。ただの乱数じゃない」
蓮司はペン先でノートの記述をトントンと叩いた。
「美琴、さっき奥の鉄格子の扉が開く音がしたよな。俺の記録によれば、あの音が鳴った直後は、氷属性の魔素が一旦リセットされる。その代わりに、足元のタイルの色が沈んだ場所から炎のトラップが連鎖起動するはずだ」
事象の連鎖。ある特定の出来事が起きた後、内部の状態がどう移行するか。蓮司は迷宮の挙動を『履歴』として読み解いていた。
「つまり、炎のトラップが発火し終わった直後の数秒間だけ、完全に安全な『空白の時間』が生まれる」
「……なるほど。魔素の減衰サイクルと完全に一致するわ。次回の空白時間は、十秒後よ」
美琴が確信を持って告げた直後。
二人の前方に立つ、純白の防具に身を包んだ男――Aランクパーティー『白嶺』のリーダー、神代岳が静かに剣を抜いた。
「十秒後だな。了解した」
現在、蓮司と美琴は『白嶺』と共同前線を張っていた。
閉店時間という明確なリミットを知った以上、もはや自分たちのペースにこだわっている場合ではない。突破力を最大化するため、蓮司から神代に協力を持ちかけたのだ。
「八、九……十、今よ!」
美琴の合図と共に、神代が疾風のように回廊へと飛び出した。
蓮司の予測通り、猛烈な炎のトラップが吹き荒れた直後、罠のエネルギーが再充填されるまでの数秒間、そこには完全な空白の道ができていた。
神代は一切の罠を気にする必要なく、最短距離を駆け抜ける。その先に待ち構えていた第二十五層の甲冑騎士の魔物が反応するよりも早く、神代の大剣が雷を纏って一閃し、魔物を両断した。
「……クリアだ。次の指示を頼む、真壁君」
血を振り払いながら振り返った神代の言葉に、蓮司はノートのページを捲って即座に応える。
「三つ先の交差点でまた状態が切り替わる。次は毒の巡回だ、止まらずに抜けろ!」
美琴の『リアルタイム測量』。
蓮司の『履歴からの状態予測』。
神代の『圧倒的な戦闘力』。
三者の専門性が完全に統合された攻略は、凄まじい速度で深層の回廊を切り拓いていった。
地形は固定、状態のみが変動する。この1〜31層における迷宮の基本ルールにおいて、蓮司たちの手法は一つの究極の完成形だった。
彼らは無傷のまま、その日のうちに第二十七層の中継帰還ゲート(チェックポイント)まで到達するという、協会記録に残る驚異的な踏破速度を叩き出したのだった。
* * *
数日後。探索者協会・外縁支部の攻略情報課。
蓮司と美琴は、日下部に呼び出されてオフィスを訪れていた。
「あなたたちに、報告しておきたいことがありまして」
日下部はいつもの冷静な口調だったが、その目元には隠しきれない高揚感が滲んでいた。
「これまであなたたちから提供を受け、試験運用していた『時間軸付き補助地図』ですが……本日をもって、協会本部の承認が下りました。鳴神大迷宮における、全探索者向けの『標準様式』として正式採用されます」
「標準様式、ってことは……」
「ええ。今後、十五層以降へ向かうすべてのパーティーに対し、このフォーマットで作成された地図が公式に配布されます。情報の更新も、あなたたちの手法をマニュアル化して行われることになりました」
日下部が窓口のブラインドを少し開けると、一階の受付ロビーが見えた。
そこには、これから深層へ向かうであろうCランクやBランクの探索者チームが、真新しいタブレット端末にダウンロードした『時間軸付き地図』を囲み、真剣な顔で作戦会議をしている姿があった。
「試験運用区間では、今月の重傷者が先月の半分以下になりました」
美琴は感無量といった様子で、小さく息を吐いた。
「……変わる迷宮でも、地図は作れる。それを証明できたわ」
しかし、蓮司はタブレットに表示された地図のサンプルをスワイプしながら、ひどく渋い顔をしていた。
「……おい、日下部さん」
「何ですか、真壁君。まだ報酬の額に不満が?」
「金の話じゃない。この地図の、危険度を示すアイコンなんだけどよ」
蓮司はタブレットの画面を指差した。
そこには、時間帯ごとに変化するエリアの危険度が、分かりやすい記号で表示されていた。
「安全な時間が無印。注意が必要な時間が『△』。んで、致死性のトラップが起動する危険な時間が『☆』マークになってるよな?」
「正式仕様は別の記号でした。ですが試験運用に参加した探索者たちが、真壁君の原本を見て、致死時間帯を勝手に『☆』と呼び始めたんです」
日下部は淡々と画面を切り替えた。現場から届いた要望欄には、『戦闘中でも一目で分かる』『☆で統一してほしい』という声が並んでいる。
「現在は簡易表示モードに限り、暫定採用しています。最終仕様はまだ審査中です」
「いや、直感的って……」
蓮司は額を押さえて天を仰いだ。
無印は通常モード。△はチャンス。そして☆は、激熱(致死)。
「これ、他の連中は真面目な顔して『十秒後に☆が来るぞ』とか言ってんのか?」
「ええ。先に現場へ定着してしまいました」
大真面目に頷く日下部と、隣で「何が問題なの?」と首を傾げる美琴。
蓮司は、窓口で「次の☆まで十二秒」と打ち合わせる一団から目を逸らした。




