第12話:黒いカード片
鳴神大迷宮、第十七層から第十八層への連絡路。
三択の転送通路を抜け、見慣れた岩肌の洞窟に戻るかと思いきや、蓮司と美琴の前に現れたのは奇妙な光景だった。
二人の前方を塞ぐように、継ぎ目の一切ない真っ白な壁がそびえ立っていた。大理石や石灰岩ではない。強化プラスチックか、特殊な樹脂のようにひんやりとして滑らかな、明らかに人工的な質感だった。
「……これは、旧設備の残骸かしら」
美琴が白い壁にそっと手を触れながら呟く。
「第十二層で見つけた配線や基板と同じように、迷宮発生時に飲み込まれた建造物の一部……。でも、こんなに大規模な壁面がそのまま残っているなんて」
壁の右端は大きなひび割れと共に崩落しており、そこから先の真っ暗な洞窟(第十八層)へと続く道ができている。どうやら、この白い壁自体が階層を隔てる仕切りとして機能しているようだった。
蓮司は美琴の学術的な考察には大して興味を示さず、崩落した壁の根元に積み上がった瓦礫の山を漁り始めていた。
「真壁、何をしてるの。あまり触らない方が……」
「おっ」
美琴の静止を遮るように、蓮司が瓦礫の隙間から何かをつまみ上げた。
泥を払い落とすと、それは手のひらに収まる長方形の薄い板だった。素材は黒い樹脂のようなもので、クレジットカードやポイントカードと全く同じサイズ感だ。
ただし、右半分が斜めに割れて欠損している。
「……なんだ、これ」
蓮司が目を細めたのは、その黒い樹脂片の表面に、見慣れた意匠が印字されていたからだ。
第十五層で聞いた玉音。第十二層で見た22:45のデジタル数字。そして、第八層で拾った金属球。
それらすべてと共通する、『青い三本線』のロゴマーク。
「おい、測量士。これを見ろ」
蓮司に手渡された黒い板を見て、美琴も息を呑んだ。
「あの金属球と同じマーク……! 待って、この端の方に何か文字が削れて残ってるわ」
美琴がライトを当てて樹脂片の端を照らすと、かすかに金色の箔押しでアルファベットが印字されているのが読めた。右半分が欠けているため、読み取れるのは前半部分だけだ。
――『GRAND A……』
「グランド、エー……」
蓮司の口角が、無意識に釣り上がっていく。
「グランドアミューズメント? グランドアリーナ? なんにせよ、立派な店名の頭文字じゃねえか。どう見てもこいつは、パチンコ屋の会員カードだ」
「早とちりしないで。ただの施設のネームプレートが割れたものかもしれないわ」
「いや、会員カードだ。間違いない。この手の中にすっぽり収まる薄さとサイズ。サンドのカード挿入口にピタッとハマる寸法だ」
蓮司の目には、すでにそれがポイントの貯まる遊技用の会員証にしか見えていなかった。
最深部の店は、ただそこにあるだけじゃない。会員制度まで用意して、常連客を迎え入れる準備ができているのだ。
(……最高じゃねえか)
蓮司は胸の高鳴りを抑えながら、その黒い樹脂片を防水ノートに挟み込み、大切に懐へしまった。
* * *
数時間後。探索者協会・外縁支部の攻略情報課。
日下部澪のデスクの上に、蓮司が持ち帰った黒い樹脂片が置かれていた。
彼女は特殊なスキャナーでそれを数分間読み込んだ後、静かに首を横に振った。
「結論から言うと、この素材と『GRAND A……』という文字列に該当する現代の企業の製造記録は、協会のデータベースには存在しませんでした」
「だろうな。そいつは迷宮の底にある店の会員証だ」
蓮司が自信満々に身を乗り出すが、日下部はそれを冷ややかな手で制した。
「真壁君、推測と鑑定結果は明確に分けてください。現状、これが何らかの会員証であるという確証はありません。単なる識別タグか、旧時代の入館証の可能性もあるわ」
「いや、サイズ感といい、あの青い三本線といい……」
「もちろん、あなたが見つけた金属球や、第十二層の時計の残骸と同一の出所である可能性は高いと考えています。未踏域由来の遺物であることは間違いないでしょう」
日下部は樹脂片を丁寧に専用のケースにしまい、引き出しの奥に鍵をかけた。
「ですが、用途が断定できない以上、これが『最深部に娯楽施設がある』という都市伝説の証拠として公表するのは時期尚早です。無用な混乱や、未踏域への無謀な単独探索を煽る危険性があるため、この物証の詳細は協会預かりとして、一時的に非公開情報とします」
「……非公開?」
蓮司は不満げに顔をしかめた。一刻も早くこの会員証(仮)の存在を公にしたかった。
「文句を言わないの、真壁。日下部さんの言う通り、未確定の情報を流すのは危険よ」
隣に座る美琴が、窘めるように小声で言った。
「それに、あなたにとって大事なのは都市伝説の証明より、明日の『回転数』でしょ?」
「……まあ、そりゃそうだが」
蓮司が渋々引き下がると、日下部は少しだけ表情を和らげ、タブレットを二人の前に差し出した。
「物証そのものへの評価はお預けですが、落胆することはありません。あなたたちが持ち帰った第十七層の『時間軸付きログ』……あの厄介な三択転送エリアの完全な解析データですが、こちらには極めて高い実務的な価値がついています」
タブレットの画面には、複数の探索者企業からの問い合わせリストが表示されていた。
「あなたたちの検証結果が、いよいよ本格的に『商品』になる時が来たのよ」
日下部の言葉に、蓮司は先ほどまで引き出しの奥を恨めしそうに睨んでいた視線を、スッとタブレットの画面へと移した。
未公開になった会員証への未練はまだある。だが、それ以上に「自分のデータがさらに金になる」という響きは、貧乏探索者の懐事情を強烈に刺激するのだった。




