第10話:乱数じゃない
鳴神大迷宮、第十六層。
等間隔に並んだ分厚い木の扉を前に、蓮司は手元の時計と防水ノートを交互に見比べていた。
「美琴、魔素の波長はどうなってる」
「……あと十秒で第三フェーズに入るわ。中央の扉から魔素が引いて、左の扉に極端な滞留が発生するはずよ」
三脚に固定した計測器から目を離さず、美琴が緊張した声で告げる。
「五、四、三、二……今よ!」
合図と同時、蓮司は迷いなく『中央』の扉を力強く押し開けた。
昨日までであれば、三つある扉のうちどれが安全かは、開けてみるまで分からない完全なギャンブルだった。だが今日は違う。
扉の奥には、火炎も、毒ガスも、凶悪な魔物の群れもいなかった。静寂に包まれた、次の回廊へと続く薄暗い安全な通路が口を開けているだけだ。
「……ビンゴだ。これで三周目も完全に計算通りに扉が開いたな」
蓮司は新しい籠手で顎を擦りながら、ノートにペンで大きなマルを書き込んだ。
昨日、二人が導き出した仮説――『扉の当たりハズレはランダムではなく、三十分ごとの決まった順番で循環している』という法則。
この数時間、二人は先へ進まず、その場で三周分を検証した。すべて同じ順番だった。
「信じられない……」
背後で、美琴がタブレットの画面を見つめながら小さく呟いた。
「Bランクの先行パーティーですら、安全なルートを特定できずに撤退を繰り返していたエリアよ。それが、地形の測量データとあなたの失敗の時間を掛け合わせただけで、こんなにあっさりと突破口が見つかるなんて」
「どんなに複雑に見える台でも、中身がプログラミングされてる以上、必ずどこかに法則はあるってこった。乱数に見せかけてるだけで、所詮は作られた箱庭なんだよ、この迷宮は」
蓮司はパチンコの基板の仕組みでも語るような口調でそう言い捨てると、ノートを懐にしまった。
「さて、検証は十分だろ。帰ろうぜ。これ以上長居すると、俺の集中力と体力が持たん」
「……ええ、そうね。これだけ確実なデータが取れれば、上に報告するには十分すぎるわ」
美琴もまた、満足げな笑みを浮かべて測量機材を片付け始めた。
* * *
数時間後。探索者協会・外縁支部の攻略情報課。
普段は上位探索者たちが情報の売買や報告に訪れる静かなオフィスで、窓口の奥に座る女性職員――日下部澪は、美琴が提出したタブレットの画面を食い入るように見つめていた。
「……これは、すごいわね」
日下部は三十代半ばの、切れ長の目が印象的な女性だ。彼女は第十層への進入制限を蓮司に告げた際の窓口業務も担当していたため、蓮司の顔をよく覚えていた。
「第十六層の変動回廊。これまでは『三つのうち一つがランダムで安全』という不確定情報しかなく、多くのパーティーが強行突破で負傷者を出し、攻略が停滞していました。ですが、この資料を見れば……」
タブレットに表示されているのは、美琴が作成した第十六層の精緻な見取り図だ。
だが、ただの地図ではない。その図面の横には、蓮司のノートから書き写された『時間軸ごとの安全なルート』が、秒単位のタイムテーブルとしてびっしりと併記されていた。
「時間と魔素の波長を照らし合わせることで、どのタイミングでどの扉を開ければ安全なのかが完全に可視化されている。……早瀬さん、これを一人で?」
「いえ」
美琴は隣で所在なさげに立っている蓮司を顎でしゃくった。
「私の測量データだけでは、仮説の域を出ませんでした。彼が実際に被弾し、罠を作動させて記録した『物理的な失敗のログ』。それと時間を掛け合わせて、初めてこの法則が証明されたんです」
日下部は驚いたように蓮司へ視線を向けた。
「真壁君。この原本、預かっても?」
「写しなら。次も使うんで」
蓮司は面倒くさそうに首の後ろを掻いた。
「それより、その地図、金になるんですか?」
「ええ、もちろんです」
日下部は表情を引き締め、キーボードを叩いて何らかの手続きを始めた。
「この『時間軸付き地図』は、単なる個人の備忘録の枠を超えています。これがあれば、他の探索者たちの被弾率や死亡率を劇的に下げることができる。当課の権限で、このデータを第十六層の『公式補助地図』として試験的に採用します」
カタッ、とエンターキーが叩かれる音が響く。
「情報提供料として、規定の報酬をあなたたちの口座に振り込みました。まだ試験採用の段階なので少額ですが……今後、この地図を利用して無事に生還する探索者が増えれば、さらに追加のライセンス料が発生する可能性があります」
その言葉を聞いて、蓮司と美琴の携帯端末が同時に短く振動した。
口座への入金を知らせる通知音だ。
ノートのバツ印に、初めて値段がついた。
情報課のオフィスを出た廊下で、美琴は端末の入金画面を見ながら嬉しそうに息をついた。
「……試験採用とはいえ、悪くない額ね。これで、欲しかった最新の環境測量モジュールが買えるわ。次の階層の検証も、もっと効率よく進められるはずよ」
彼女の意識は、すでに専門家としてのさらなる高みや、次の探索の準備へと向かっていた。得られた報酬を自己投資に回し、より確実な成果を出す。探索者としては百点満点の優等生な使い道だ。
「あんたはどうするの、真壁。このお金。やっぱり新しい武器でも新調する?」
美琴に尋ねられ、蓮司は自分の携帯端末の画面を見つめたまま、ニヤァッと口角を釣り上げた。
「武器? 馬鹿言え。こんな中途半端な額で買える武器なんて、たかが知れてるだろ」
「じゃあ、貯金? それとも消耗品の補充?」
「この前買った籠手のメンテナンス代と、明日のポーション代を引いて……よし、まだ三万残るな」
蓮司は携帯端末をポケットに放り込み、極上の笑みを美琴に向けた。
「決まってんだろ。この余った三万は、週末の遊技資金に全ツッパだ」
「…………は?」
美琴の足がピタリと止まり、その顔から表情がすっと抜け落ちた。
「俺の集めたデータが金になったんだ。その金で回すパチンコは、実質タダみたいなもんだろ。いやあ、これで今週末は軍資金の心配をせずに、思う存分一発台で勝負できるぜ……!」
本気でウキウキとした足取りで歩き出す蓮司の背中を、美琴は汚物を見るような、あるいは全く理解できない異星の生物を見るような冷ややかな目で見送っていた。
美琴は冷ややかな目でその背中を見送り、報酬の使途欄に「再検討」とだけ追記した。




