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第七話:珊瑚色の想いと、勿忘草色の涙

 一体、何軒の新聞を配るつもりなのだろうか。

 配達の仕事は朝日が完全に昇るまで続いた。


 一仕事を終えたカイトは、自宅に帰る暇さえ惜しむように、公園のベンチへと倒れ込んだ。

 泥のように眠るものの、わずか一時間後にはアラームが鳴ると、はっと起き上がり、充血した目を擦りながら次なる場所へと向かった。


 辿り着いたのは、国道沿いのコンビニだった。


 息つく暇もなくエプロンを身に着け、レジに立つ。

 そこにホストとしての面影はなかった。

 品出しで床に膝をつき、時には客からのクレームに深々と頭を下げた。

 客のいない隙を見計らっては、栄養ドリンクを喉に流し込む。

 ホストが新聞配達、その合間にコンビニのバイト……。

 どう考えても異常だ。彼はほとんど、まともに横になって眠ってさえいない。


 バイトが終わったのは、街が夕焼けに染まり始めた頃だった。

 店で買ったであろう、味気ないコンビニ弁当の袋を提げて、カイトはようやく自宅に足を踏み入れた。

 だが、そこでも休息は許されなかった。

 シャワーを浴び、再びホストとしてマリオネットへと向かった。


「……よし、今なら客もいない。中に入れるな」


 開店前の静まり返った店。重厚な扉をすり抜け、俺はカイトを追って中へと踏み込んだ。


 黄金色の照明が虚しく照らすフロアにいたのは、マスターとカイトの二人だけだった。


亜久須あくすさん、これ……今月の金です」


 カイトが震える手で差し出した厚みのない封筒を、亜久須は中を見ずに鼻で笑って床に投げ捨てた。


「あーん? お前、この程度の端金じゃ利子の返済にもならねぇぞ?」


「すみません……。でも、もうこれが精いっぱいで……」


「ならそのツラ活かして、もっと女から金搾り取らんかいッ!」


 ドカッ。

 静かな店内に、肉を打つ鈍い音が響く。

 亜久須の拳が、カイトの痩せた腹部へ容赦なくめり込んだ。


「う、ぐっ……。……亜久須さん……ミチル……ミチルはどうしたんですか?」


 息を詰まらせながら絞り出したその名前に、俺は驚きを隠せなかった。どういうことだ?


「あ? ああ、お前の女か」


「……もう何ヶ月も連絡が取れなくて。夜の店にも出てないって……」


「ガハハハッ! さぁな。今ごろどっかで“おねんね”してるんじゃねぇか?」


「そ……そんな……」


「さぁ、次は誰の番なんだろうな。ガハハハッ!」


 カイトが拳を白くなるほど強く握りしめたのが分かった。


「勘違いするなよカイト。救えなかったお前が悪いんだ」


 亜久須はそう吐いて奥へと消えていった。


 黒幕は、この亜久須だ。


 ホストたちに法外な借金を背負わせて支配し、ターゲットの女の子から骨までしゃぶり尽くさせる。

 金が払えなくなった女は夜の街へ堕とし、用済みになれば……「消す」。

 カイトはミチルを裏切った加害者どころか、被害者でもあったのだ。


 なんて、反吐が出るほど卑劣な野郎だ。


 俺は急ぎ、ミチルの元へ向かった。


 路地裏には、ずっと泣き続けていたのだろう、瞳を腫らしたミチルと、寄り添うように付き添ってくれたレナの姿があった。


「ミチル……ミチルは本当にカイトに殺されたのか?」


 俺の問いにしばらく考え込んでたミチルは、一つずつゆっくりと確かめながら思い出しているようだった。

 やがて、何かを思い出したのか、顔をゆっくりと上げて教えてくれた。


「お店のお金が払えなくなって……カイトが席を外した時だったかな……オーナーがあーしの前に来て」


 嫌な予感がする。


「カイトからって、お酒を持ってきたの……それから急に眠くなって……」


 やっぱりか。


 俺はミチルに、見てきたことのすべてを話した。

 カイトが自由を奪われ、暴力に耐えながらの生活を送っていること。

 そして、ミチルを殺した本当の黒幕が、あのオーナーであることも。


「そっか……」


 ミチルは、目を腫らしながらもすっきりとした表情でぽつりと呟いた。


「やっぱり、カイトはあーしのこと……ちゃんと見ててくれたんだね」


 その時、静まり返った路地裏に乾いた足音が響いた。


 カイトだ。


「ミチル……いつもここで、待ち合わせしてたよね……」


 彼は誰もいない空間を見つめ、その場に膝から崩れ落ちた。


「ミチルーっ! ミチル……っ! 守ってやれなくて……本当にごめん……」


 愛する者の名を呼ぶ、全てを振り絞るような絶叫。ミチルはたまらずカイトに駆け寄り、その細い体を精一杯抱きしめた。


 もちろん、彼女の感触はカイトには伝わらないだろう。

 けれど、重なり合う二人の影は、あまりに痛々しく、そして美しかった。


「ミチル……見ててくれ。俺は……やる。必ずお前を……探し出して、連れ戻して見せるから」


 カイトは涙を拭い、決意を込めた瞳で立ち上がった。


――


 俺達は営業が終わるまで、息を潜めて待ち続けた。


 客の女の子やホスト達が店を後にしてしばらくして、カイトが亜久須の元へ歩み寄った。


「亜久須さん、話があります。……消した女たちのことをタレ込んだ奴がいるみたいです」


「何ィ? 何故お前がそのことを……まぁいい。カイト、お前もついてこい」


 亜久須の顔が殺意に歪む。用意されたトラックにカイトが乗り込み、俺たちも音もなくその荷台に潜り込んだ。

 車を走らせること三十分。街の光を背にして、トラックは深い山道へと分け入っていく。


 ……空気が、重い。


 ミチルに最初に出会った時とは比べものにならないほどの、どろりとした怨念が肌にまとわりつく。


「レナは車に残ってて。……ついて来ない方がいい」


「……うん」


 この先に待ち受けているのは、想像を絶する光景だ。レナには決して見せてはいけないもの。そんな確信があった。


 トラックが止まったのは、荒れ果てた廃品置き場のような場所だった。


「カイト、今日中に全部運び出すぞ。証拠は残らず処分する」


「……はい」


 そこには、いくつものドラム缶が転がっていた。

 その中に詰められた“ソレ”が一体何人分あるのか、考えるだけで吐き気がした。


 積み上げられたドラム缶の横、ブルーシートで覆われた「塊」のそばでミチルは足を止めた。


「あった……あーしの……身体……」


 ミチルの声が、力なく震えた。


 変わり果てた自分の姿、その現実を目の当たりにした彼女の瞳からは大粒の涙が溢れ出した。


 辺りには行き場をなくした憎悪と恨みの怨念が、黒い霧のように渦巻いている。

 しかし驚くべきことに、その地獄のような光景の中で、彼女の亡骸だけは不自然なほど綺麗だった。

 こんな湿った土の上に放置されていたとは思えないほど、生前そのままの珊瑚色を保っていたのだ。


「……きっと、最高に可愛い状態でカイトに見つけて欲しかったんだろうな」


「あったりまえじゃん……」


 強がってみせるミチルの声は、激しく震えている。その時だった。


「いた……ミチル……やっと……会えた……っ!」


 カイトがミチルの亡骸を見つけ出した。


「おい、何やってんだ! さっさと運べと言ってるだろ!」


 背後から亜久須の怒声が飛ぶが、今のカイトには届かない。


「ミチル……ごめん……俺が、こんな情けない男で……お前を、助けてやれなくて……っ!」


 カイトはなりふり構わずに、冷たくなったミチルの亡骸を何のためらいもなく強く抱きしめた。


 幽霊であるミチルが、その隣でカイトの背中に手を添える。


「早くしろって言ってんだろーが!」


 亜久須の怒声と共に、鋭い蹴りがカイトの脇腹に直撃し、細い身体が吹き飛び転がる。


「……こいつだけは、絶対に許さない」


「あーしの……カイトに何してくれてんのッ!!」


 ミチルの姿が、怒りと悲しみで激しく歪んだ。その表情はもはや少女のそれではなく、この世の怨念を一身に背負った悪霊そのものへと変貌していく。


「……ミチル、見ててくれ。俺の、決意を」


 泥まみれになりながら、カイトが震える手でスマホを掲げた。画面に光っていたのは、通話中の二文字。


 相手は――警察だ。


「亜久須さん……俺の、勝ちですよ……」


「……っ、貴様ァ!!」


 直後、山を包囲していたパトカーのサイレンが夜の闇を赤く染め上げた。


「そこまでだ!」

「動くな!」


 なだれ込んでくる警官隊。亜久須は激昂し、血管を浮き上がらせて喚き散らす。


「カイト! 貴様、裏切ったなぁッ!」


「裏切った? 違うよ。俺は……やっと、愛する女のために自分のできることをしたんだ」


 カイトの瞳には、長い悪夢から覚めたような、穏やかな光が灯っていた。


「貴様、タダで済むと思うなよ!」


 恨み言を吐きながら、亜久須は警察に連行されていく。


「君も、事情を聴かせてもらうよ」


「……少しだけ、時間をください」


 カイトは警官の制止を振り切り、再びミチルの亡骸へと歩み寄った。そして、冷たくなった彼女をそっと抱きしめる。


「ミチル。何もできなくてごめん。……結婚の約束も、守れなくて」


 その姿に、ミチルもまた涙を流しながら、背後からカイトの首筋に腕を回した。


「ミチル。約束は果たせなかったけど……あの世で、結ばれよう」


 カイトがポケットから取り出したものが、月光を反射して冷たく光った。――ナイフだ。


「カイト! 何を!」


「だめ、カイトッ!!」


 ミチルの叫びが響く。


「ミチル……今……会いに行くよ」


 カイトは安らかな微笑みを浮かべ、その刃を自らの胸へと振りかざした。


「ガキィィィンッ!!」


 俺がその手を力任せに振り払った。

 実体のないはずの俺の拳が、カイトの手首を確かに捉え、凄まじい衝撃と共にナイフが夜の森へと弾け飛ぶ。


「……え?」


 カイトは、誰もいないはずの空間から感じた「意志」に、自分の手を見つめながら、目を見開いて硬直した。


「そうはさせるか、カイト! アンタも被害者かもしれないけど……アンタは生きて、ミチルへの罪を償うんだよッ!」


 俺の声は、彼には届いていないだろう……。


 カイトの目から溢れた涙と、寄り添うミチルの涙が、差し込む月光に照らされて勿忘草色わすれなぐさいろに切なく輝いた。


 やがてカイトは、子供のように声を上げて大泣きしながら、ミチルとの別れを惜しむように連行されていった。


――


 次の日の朝。


 目を覚ますと、俺の視界には額から朱色の血を流した女の子と、腹から腑をぶら下げた金髪の女の子がいた。


「う、ら、め、し、やぁ~」


「……はいはい」


 世間は昨夜のホストクラブの事件でもちきりだった。

 あの山奥の小屋で見つかった亡骸だけで六人。全容解明にはまだかなりの時間を要するとの報道が流れている。


「ありがとね。カイトを助けてくれて」


 ミチルが少し照れくさそうに笑う。


「……いや。あいつに何かを成し遂げる勇気が最初からあったら、ミチルだって死なずに済んだのかもしれない。だからこそ、死んで楽になんてさせたくないんだ。あいつは一生、ミチルを想いながら生き続けるべきなんだよ」


「ふふっ。一生あーしを想ってか……いいじゃん、それ」


 ミチルは満足そうに目を細めた。


「だろ? まあ、俺もあの時は思わず手が出ちゃっただけなんだけどね」


 苦笑いする俺に、ミチルがふと真面目な顔をして言った。


「はははっ。……でもさ、あんまし、その“力”は使わない方がいいよ?」


「……? どういうことだ?」


「……ナイフを、振り払ったこと」


 言われてハッとした。咄嗟の行動で意識していなかったが、生身の人間であるカイトの腕を、幽体である俺が物理的に弾き飛ばした。

 生者に干渉するなんて、本来あり得ないことのはずだ。


「……戻れなくなるよ?」


 ミチルのその一言に、部屋の空気が凍りついた。


 自分の肉体へと迫る、新たな異変。

 俺はこのままだとどうなってしまうんだろうか?


 昨夜の感触が残ったままの自分の手を、俺は見つめるしかできなかった。

ご覧いただきありがとうございました。


ついにホストクラブの闇と、黒幕・亜久須の悪事が暴かれました。

「救えなかったお前が悪い」という亜久須の言葉は、今の湊にとっても他人事ではない重い響きを持っていたはずです。


さて、湊が「ナイフを弾き飛ばした」シーンですが、なぜ生身の人間に干渉できたのか?

ミチルの「戻れなくなるよ」という言葉の意味とは……。


今回は珊瑚色と勿忘草色でした。次回は桜色と秘色が登場します。

次回も楽しみにしてください。


【05/03】

ミチルとカイトの物語を番外編として挟むことにしました。

ミチルの純粋さと、カイトがその時何を考えていたのか。

是非その目で確認してみてください。

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