第四話:白銀色の思い出と、象牙色の山
結局、一睡もできないまま朝を迎えた――そう思っていた。
だが、白み始めた空を眺めているうちに、どうやら一瞬だけ意識を飛ばしてしまったらしい。
不意に、何かの気配を感じて目が覚めた。
ほとんど寝ていないし、硬い床の上で寝ころんでいたというのに、身体に疲れは全く感じなかった。
その不思議な感覚を打ち消すように、すぐ近くから視線を感じる。
それも、かなり近い。
俺は無意識にその正体を探った。
……ベッドの下の隙間だ。
暗がりに向けて、よく目を凝らしてみると――。
そこには、額から朱色の血を流している、長い髪の女の子がいた。
「う、ら、め、し、やぁ~」
「だから、もういいって」
「ふぇ? やっぱり驚いてくれないの~」
……まぁこの先も、レナに驚かされることはないだろうな。
一階に降りると、そこに母さんの姿はなく、家の中は静まり返っていた。
いつもなら食卓にあるはずの朝食も、用意されていなかった。
とは言え、昨日の朝から何も口にしていないというのに、不思議と空腹感はない。
そんな昨日から続く正体不明の違和感を覚えながらも、今日もレナと共に家を出た。
「ねぇねぇ、いつから幽霊が見えるようになったの?」
レナが周りをぐるぐると浮遊しながら、俺の顔を覗き込んでくる。
「……生まれた時からだよ」
今でもハッキリと覚えている。
小さい頃、俺をあやしてくれた温かい両親の手のひら。
そのいつも傍には、白銀色の髪を後ろで束ねているお婆ちゃんの姿があった。
俺の顔を覗き込んでは、その人はいつも優しい笑顔で微笑んでくれたものだ。
しばらくして、小学校に上がるころだろうか。
家族でアルバムを見ていた俺は、その人が写真に写っていて、祖母なんだということを知った。
そして、そのお婆ちゃんは俺が生まれる直前に亡くなったことも後から知った。
「守護霊……なのかな?」
「そうだったのかもしれないな。小学校に上がってからは、もう出てきてくれなくなったんだけどな」
祖母が出てきてくれなくなった頃、“それ”ははっきりと見えるようになった。
それまではぼんやりとした黒い影が見える程度だったが、姿形やその憎悪まで全てが見えるようになったのだ。
「それって、今この場にもいたりするの?」
俺は彼女の背後の空間を指差し、ニヤリと笑って答えた。
「あぁ、いるぞ。レナのすぐ後ろに」
「イヤぁーーーーー!」
慌てて俺の背後に隠れるレナの姿に大笑いした。
「……レナは見えないのか?」
『あちら側』の存在なら、俺と同じ景色が見えているものだと思ったが。
「私、怖いの苦手なんだもん。……そういう気配がしたら走って逃げちゃう」
なるほど。その姿が絵に浮かぶ。
「でも、声が聞こえたのはレナが初めてかな」
レナは涙目のまま、頬を膨らませている。
「……そうなの? どんな変化なんだろうね?」
その理由は今もわからないままだった。
昼の間、色々なところを歩き回った。
宮坂先輩への告白が成功したら連れてきたかった、新しくオープンしたばかりのスイーツ店の前を通ると、レナがガラスに吸い寄せられるように顔を寄せて興奮していた。
「いいなあ……。あれ、絶対美味しいに決まってるよ!」
生クリームのように顔を蕩けさせながらレナが言う。
「分かったから、いつか食べに来ような」
俺はその姿に笑いながらも、いつ叶うか分からない約束をした。
それから女子高生が立ち寄りそうな場所や本屋やレコード店、文具店など、色々巡ってみたが、レナの記憶の網には引っかからないようだった。
「そもそも、レナの制服をこの街で見たことないんだよなぁ」
とはいえ、共通の話題がないわけでもない。
スイーツの流行や、今テレビでも人気の『Mr. Blue Pineapple』――通称ミスプルのこと。
「ミスプルのさ、『ガーディニア』って曲が歌詞がすっごい刺さるんだよね」
「分かる。歌声もいいんだよな。『セ・ラ・ヴィ』って曲もよくてさ」
「分かるー。……んー、何か思い出せそうなのに……思い出せない~」
レナがもどかしそうに頭を押さえる。
会話をしているかぎり、世代は間違いなく同じはずだ。だとしたら、マジで一体どこから来たんだ?
結局、何ひとつ手がかりを掴めないまま、日は暮れてしまった。
その後、俺たちはミチルとの待ち合わせ場所へ向かった。
「あっ、昨日の猫ちゃん」
例の路地裏から三毛猫が飛び出してくる。
鼻の奥にツンとした痒み、喉が逆立つような嫌な感覚を覚えた。
追いかけようとするレナを必死でなだめ、俺は一歩、闇の奥へと踏み込む。
空気が重い。
だが、ミチルの姿は見えない。
「どこだー、ミチル?」
その時、急に足首を冷たい手で掴まれた。
「……ケテ……タス……ケテ……」
足元には、腹を裂かれ、若草色の腑をぶら下げたミチルが這いつくばっていた。
「助けてぇーーーーっ!」
「おい、レナ! どこ行くん……だ」
レナの姿は、あっという間に闇の向こうへ消えてしまった。
「つか、お前ら。毎回そうやって誰かを驚かそうとしなきゃいけないのか?」
「いや、フツーは驚くから。アンタがおかしいだけ」
腑を揺らしながら、ミチルが平然と釘を刺してくる。
「いちお、あーしの方が年上っしょ? 呼び捨てとかマジありえなくない?」
俺は少し考えた後、棒読みで応えた。
「……ミチルお姉様」
「きもっ」
ミチルの方も手がかりは掴めなかったようだ。
なんとかすると心に決めたものの、何も進んでいない現状に焦りが募る。
「……あの、さー……」
ミチルの声のトーンが変わる。
なんだ? 歯切れが悪いな。
「……実はあーし、あんまり動けないんだよね」
「どういうことだ?」
「見つかってないの……あーしの……身体」
その言葉に、鼓動が大きく跳ねる。
全身の血の気が引き、指先から凍りついていくような戦慄が走る。
「行方不明の……まま……」
ミチルが泣いている。
これはマズイ。
もしかして相当ヤバイことに首を突っ込もうとしているのかもしれない。
「……だったら、なんでこんな路地裏に?」
「ここは……カイトとの待ち合わせ場所だったの」
カイトというホストの話をする時のミチルは、とても穏やかな顔をしている。
「カイトってモテるからぁ……他の女の子に見られないようにって。カイトの出勤前に、いつもここで会ってたの」
複雑な気分だ。こんな酷い目にあわされたというのに、そのきっかけとなった相手を、そんな幸せそうな顔で語れるなんて。
「でも、それ以外の記憶も曖昧で……ここから動こうとしても、頭が痛くなって……」
「そうか。……わかった、ミチル。俺が探す。必ずカイトも、お前の身体も」
ミチルは、静かにコクリと頷いた。
「明日、またここで会おう」
路地を一歩出ると、夜の街はとても賑やかだった。
そこで俺は、自分の考えがいかに甘かったかを思い知らされることになる。
「……めちゃくちゃ店あんじゃねーか、この街」
俺は色とりどりの光景に、呆然と立ち尽くしてしまった。
夜の街を知らない高校生の自分には、ネオンだけでホストクラブかどうかを確認するのも大変だ。
明日、ミチルにもう少し詳しく思い出してもらうしかないか。
そして気が付けばすれ違うのは大人ばかり。
……やばいな、補導なんかされたら母さんを悲しませてしまう。
俺は慌てて家路を急いだ。自宅まであと少し、最後の角を勢いよく曲がった時だ。
ボヨンッ、と。
柔らかすぎる弾力が、俺の顔面を優しく、深々と包み込んだ。
「ふぐ……あへ、ひっふぁひほうはっへんは?(あれ、一体どうなってんだ?)」
「あら、ごめんなさい。大丈夫?」
視界を塞ぐような圧倒的な弾力と甘い香り。
何に溺れそうになってるのか理解もできなかった。
慌てて顔を引き剥がすと、そこには夏だというのに象牙色のニットのセーターを着た、綺麗な大人の女性が立っていた。
驚くのは、その胸だ。
一体何センチあるんだ。あれは谷間というより、もはや山だな……。
「……っ、ハ、ハックション!!」
強烈なくしゃみに身体が大きく揺れた。
鼻を突く、しつこいまでのむず痒さ。ニットの毛の繊維でも吸い込んだか?
「……ふーん、みなとってそんな鼻の下伸ばすんだ。ふーん」
レナの冷ややかな視線が突き刺さる。
「いや、ちが……。つか、レナどこに行ってたんだ?」
「だってミチルさん怖くて。みなとの家で待っていようと思ってたら、この人がいて」
「ごめんなさいね。探しものしていて」
お姉さんは穏やかに微笑んだ。なるほど、そういうことか。
「あ、あのすみません。もう俺帰らないといけないんで」
「待って、みなと」
背後からレナが追いかけてくる。
お姉さんは象牙色のセーターの裾を揺らしながら、優しく手を振って見送ってくれた。
――
家に着いた。
玄関を開けても、家の中はとても静まり返っていて真っ暗だ。
どこにも母さんはいない。
ただ鼻を突くような、強烈な刺激が襲う。
……待てよ。さっきの女の人、レナと普通に話してたか?
あの柔らかな感触と、肌で感じた確かな温もり。
頬に残る感触に思わず顔がにやけてしまう。
その瞬間、不意に右手に鋭い痛みが走った。
「っつ……!」
見れば、何かに引っ掻かれたような傷跡が浮かび上がっている。
慌てて辺りを見渡すが、そこにはレナ以外の姿はない。
どこで? いつ引っ掻かれたんだ?
何ひとつ事態が進展しないまま、俺はまた新たな謎に包み込まれた。
衝撃的なミチルの告白と、新しく登場した象牙色のニットのセーターを着た女の人。
そして湊の手に残る傷跡。
ミチルを救うことはできるのか?そしてお姉さんの正体は?
今回は白銀色と象牙色が登場しました。次話では鼠色と滅紫色が登場します。
一気に暗い色になりますね。
次話も楽しみにしてください。




