第十九・五話④:アメジストの甘い罠
由衣さんのおかげで私の通っていた高校が、聖華学園だと分かり、目的地へ向かう途中のことだった。
「あ…………う…………」
私の目は、その人に釘付けになった。
そしてその瞬間、全ての記憶が溢れ出してきた。
――
「ねーねー、怜奈。樒ヶ原にいる、かっこいいって噂の人見に行かない?」
友達は隣の県の樒ヶ原高校に通っていて、サッカー部で秀才、顔はあの人気アイドル『ウルフボーイ』のネネ君にそっくりという、噂の男の子の話をしてくれた。
ネネ君と言われると、私もファンだし、ちょっと見てみたいかも。そんな軽い気持ちで、休日に彼のサッカー部の練習を見に行くことにした。
ところが、電車に乗り駅を降りたところで、知らない人たちに声をかけられた。
「聖華の良い子ちゃんたちが、こんなところでなにしてんの?」
振り返ると、漫画でしか見たことがないような格好をした、不良の男の子たちが立っていた。
「……あの、私たち、急いでますから」
私は友達の手を引いて、その場を離れようとした。けれど、すぐにその男の子たちに囲まれてしまった。
「そんな冷たくすんなって。俺たちと遊びに行こうぜ」
「俺さぁ、聖華の女と遊んでみたかったんだよねー」
彼らは私たちを威圧するように、じりじりと近づいてきた。
「……やめてください!」
私が上げた声も、ただ虚しく響くだけ。
「いいねぇ、その顔。……俺さ、その聖華の制服、一度脱がしてみたかったんだよなぁ」
まるで獣のような顔をして、一人の手が私の肩に触れようとした。私たちが恐怖のあまり目を閉じた――そんな時だった。
「おい。お前ら、やめろよ」
彼らの背後から、凛とした声が響いた。
「ああ? なんだてめえ」
不良たちが苛立たしげに振り向くと、そこに立っていたのは、端正な顔立ちをした男の子だった。
「やめろって言ったんだ。今すぐここから消えろ」
その男の子がキッパリと不良たちに忠告すると、不良たちの空気が変わった。
「誰だてめえ、邪魔すんじゃねーよ!」
「……おい、やめろ、あいつ樒の……」
「……マジかよ。……ちっ。おい、帰るぞ!」
彼が何者なのかは分からなかったけど、私たちを取り囲んでいた不良たちは散り散りに消えていった。
「あの……ありがとうございます」
私たちがお礼を言っても、その男の子は用心深く不良たちの行方を目で追っていた。
やがて、完全に視界から消えた時。
「……いやぁ、怖い思いしたね。実は僕も怖かったんだけどね」
そう言って私たちに向けた、柔らかい、優しい笑顔。確かにどことなくネネ君に似てて、笑った時に目尻が下がるところなんてそっくりで……私は一瞬で彼に惹かれていた。
「僕は樒ヶ原の三年、烏丸礼司って言うんだ」
その名前を聞いて友達が「えっ」とびっくりしたように声を上げた。
「……うそ、あの? 烏丸さん?」
友達は興奮を抑えきれない様子で、私の制服の袖を何度も引っ張る。
「ほら怜奈。あの噂の人だよ!」
え? こんなところで? なんで?
漫画みたいな展開に、私の鼓動はうるさいくらいに早くなった。これってもしかして、運命……?
「君たち、聖華の子たちだよね? なんでこんなところにいるの?」
「あの、烏丸さんのサッカーの練習を見に行こうって……。それでここに来たら、さっきの人たちに絡まれちゃって」
友達は胸に手を当て、瞳をキラキラと輝かせている。
分かるよ、その気持ち。私もハートを鷲掴みされてるみたいに、胸の高鳴りが止まらなかった。
「……そうなんだ」
烏丸さんはとびっきりの笑顔を見せた後、一瞬だけ、視線を落とした。
――その時、彼の表情がわずかに歪んだような気がした。
「そうか、ごめんね。今日は午前練習でもう終わりなんだ」
「……そうなんですか、残念……」
「よかったら、君たち送ってあげようか? また絡まれたりすると危ないし」
「「いいんですか?」」
私と友達の声が、綺麗に重なった。
「まぁ、僕がいればこっちで遊んでいても大丈夫だとは思うけど。さっきみたいにね」
「烏丸さん、もしかしてめちゃくちゃ強いんですか?」
「そういうわけじゃないけど、なんだか名前だけ売れちゃってるみたい。そうだ、じゃあせっかく見に来てくれたんだから、美味しいものでも食べに行かない? 僕が奢るからさ」
私と友達は顔を見合わせ、お互いの手を取り合って跳ねるように喜んだ。
それから私たちは駅の近くのカフェでお喋りをしたり、樒ヶ原の街を案内してもらったりした。
「あ、烏丸くーん!」
「烏丸せんぱーい!」
道ですれ違う女の子たちが、次々に彼に声をかける。彼はそのたびに、爽やかに手を振って応えていた。
「やっぱすっごいモテるんだね」
私と友達は、そんな彼を今だけは独り占めしてるような気がして、それがとても誇らしかった。
やがて日が暮れて、烏丸さんは私たちを駅まで見送ってくれた。
「そうだ、よかったら連絡先を交換しない?」
「します! 絶対します!」
大はしゃぎする友達の隣で、私は一気に絶望の淵に突き落とされた。
「……私、携帯持ってないんです……」
「あの、怜奈の両親厳しくて、携帯持たせてもらえないんです」
友達がフォローしてくれたけど、私は悲しさで消えてしまいたかった。
けれど、烏丸さんは困ったように笑って、優しく首を振った。
「そうなんだ。最近はSNSの使い方も問題視されてるからね。危険な人はいっぱいいるし……。じゃあ、家の電話にかけていいならそうするけど」
「はい! それで、ぜひそれでお願いします!」
私は、絶望の淵から一気に天国までの階段を登っていった。
――
家に帰って着替えるなり、私は自分のベッドに飛び込んだ。
「かっこよかったぁ……烏丸さん。優しいし、面白いし。王子様みたい……」
枕に顔を埋めて、足をバタつかせながら、今日の夢のような一日を噛み締めていた。
私の様子に、机の横に吊り下げてある鳥籠の中の文鳥たちも、気になってるようだった。
「ふふ、ピーちゃん、聞いて聞いて。今日ね――」
その時、階下の母親が私を呼ぶ声が聞こえた。
「怜奈。電話よ。男の子から」
烏丸さんだ。そんな早速?
「はい、怜奈です」
私は裏返りそうな声を必死に整えた。
『もしもし、烏丸だけど、今日は楽しかったよ。ありがとうね』
「こちらこそ、本当にありがとうございました」
男の人と電話なんて、生まれて初めて。
緊張する私とは対照的に、彼はとても落ち着いていて、慣れた様子だった。
私たちは次に遊びに行く約束をすると、烏丸さんは「あまり長電話すると両親を心配させるから」と電話を切った。
「なんて配慮もできる人なの……」
私は再びベッドに飛び込むと、足をバタつかせながら枕に顔を埋めた。
約束の日。待ち合わせ場所に着くと、烏丸先輩はすでにそこにいた。
「じゃあ、行こうか」
「……え? あの友達は……この前、私と一緒にいた……」
彼は鼻で笑うと、静かに首を振った。
「今日は誘ってないよ」
そう言うと、彼は私に近づき、耳元で囁いた。
「だって……僕が今、興味があるのは君だけだからね」
私が驚いて固まってしまうと、彼は「なんてね」とイタズラっぽく笑った。
私たちはその後も二度、三度とどこかへ遊びに行ったり、電話でたわいもない話もたくさんした。
そして、ある日のこと。
その日も烏丸さんは、私を駅まで送ってくれた。
その別れ際に、彼は私の肩に手を回して少しだけ強引に引き寄せた。
呆気にとられている私の目の前に、彼の端正な顔があっという間に近づいてきた。
「あ、あの……! まだ早くないですか……? まだ出会って少ししか経ってないし……」
私が咄嗟にその手を振り払うと、彼は視線を逸らし、顔を少しだけ歪めた後に、すぐにいつもの優しい笑顔に戻った。
「そうだよね、ごめん焦りすぎちゃった」
その日の夜。
烏丸さんからの電話を取ると、その声はいつもと違って、まるで別人のようだった。
「君の裸の写真がほしい」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
幸せの絶頂にいたはずの私は、その一言で、奈落の底へと突き落とされた。




