第十九・五話①:初恋はレモン色
「てかさー、由衣ちゃんって恋愛とかしたことあんの? ガチ気になるんだけど!」
いつものように、湊さまのお部屋でくつろいでいましたが、ミチルさんの唐突な問いかけに、わたくしは思わず呆然としてしまいました。
「れ、恋愛……ですの?」
聞き返したわたくしの顔を、えみさんやひよりさんまでが、興味津々な様子で覗き込んできます。
「そう、誰かと付き合ったりとかさー。今ガチで片想い中の相手がいる、とかでもいいんだけど!」
「わ、わたくしには……そのようなことより、学業の方が何倍も重要でしたもの。そうですわ、わたくしにとって、学業こそが恋人ですわ」
名案です、とばかりに両手を合わせて高らかに宣言いたしました。……ですが、なぜでしょう。わたくしの熱弁とは裏腹に、その場の空気がみるみる凍りついていくのがわかります。
「……つまらん、人生やなぁ」
えみさんが、憐れむような視線でわたくしを見つめます。
「な、なんですの! 学業は学生の本分ですわ。良い大学を出て、良い企業に勤める。それこそが約束された豊かな人生への近道ですもの!」
「理屈はそうかもしれんけど……やっぱり、カッコええ男子がおったらドキドキするもんやん?」
えみさんの言葉に、わたくしはムキになって問い返しました。
「そういう、えみさんはどうなんですの! ご自身の経験はありまして?」
「ウチは……そうやなあ、小学校の時かな」
即答したものの、えみさんはどこか遠い空を見つめています。
「へー、意外! えみちゃん、その子にコクっちゃったりしたわけ?」
ミチルさんが身を乗り出し、さらに深く追求を始めました。
「うん、ウチが小二の頃かなあ。大好きな男の子がおってん。告白っていうか、周りに好きなんがバレてしもてな。そしたらその子が顔真っ赤にして……『うるせー! デブ、ブス、死ね!』って。そう言われてしもたんよ」
えみさんは、とても悲しげな微笑みを浮かべました。
わたくしも胸を締め付けられる思いがいたしました。
「え、もしかして……あのスマホに届き続けてるメッセージって……」
ミチルさんがハッとしたように、声を潜めて訊ねました。
「そうなんよ。大好きやった男の子に投げれた言葉……それが、ずっと残っとるんや」
「……それ、シチュエーションから考えると、その男の子なりの照れ隠しだったんじゃないかしら」
ひよりさんの言葉には、大人の女性らしい説得力がありました。確かに、子供の幼稚な反抗だった可能性は高いでしょう。
「そうやったとしても、当時のウチにはショックが大きすぎてな。それに、それから他の男子にまで『デブ、ブス』って言われるようになってん。それからしばらくは学校も行かれへんくなってん」
「だから……自分を戒めるみたいに、あんな呪いみたいなメッセージを自分に送り続けてたってわけ?」
ミチルさんの問いに、えみさんは小さく頷きました。
「うん。絶対可愛くなって見返してやるんやって。……でも、死んでからのメッセージは無意識やったんやけどな」
再び、重苦しい沈黙が場を支配しました。
「え、待って、じゃあひよりさんはどーなの? ぶっちゃけそのボディだし、マジでモテまくってたっしょ?」
ミチルさんが努めて明るい声を出し、話題を転換しました。
「私? ふふ。私は病気がちでほとんど学校に行けていなかったの。だから……恋人と言えるのは、レン君くらいかしら」
ひよりさんの膝の上で、三毛猫のレン君が「当然だ」と言わんばかりにゴロゴロと喉を鳴らしました。
「そ、そうや、ミッチーはどうなん? カイトにハマったんも、ホスト通い始めてからやろ?」
「あーし? あーしん家、転勤族でさ。学生時代の思い出ってマジでないんだよね。結局学校も行かなくなっちゃったし……。だから、あーしのガチな初恋って、カイトかも」
聞けば聞くほど、胸が痛くなるような話ばかり。わたくしは、この空気をどうにかしようと、つい口を滑らせてしまいました。
「なんですの! 話題を振っておきながら、どなたもまともな恋愛経験がございませんのね!」
わたくしの言葉に、三人の視線が鋭く突き刺さりました。
「……うっさいわ、このガキンチョ!」
「ガキンチョじゃありません!」
「でも、由衣さんはもう、学業への未練はないのでしょう? お母様に縛られる必要もありませんし、もっと広い視野で世界を見てもいいんじゃないかしら」
ひよりさんの仰る通り、お母様に存在を認めてもらうという最大の未練は、湊さまのおかげで解消されました。けれど、わたくしには、もう一つだけ果たしたい願いがあるのです。……それをなんとかしたいのですけれど。
それに、視野を広くと言われましても、そこらへんを浮遊している身元不明の幽霊を好きになるなんて、わたくしには到底出来ません。
「あ、由衣ぴょん、先言うとくけど、ミナトはウチのもんやからね」
「なんでそうなりますの! って由衣ぴょん?」
思わず素っ頓狂な声を上げたわたくしに、えみさんはニカッと笑いました。
「うん、ツインテールがウサギさんみたいやから由衣ぴょん。可愛くない?」
「…………。素敵なあだ名、ありがとうございます……」
「えっ、なんで泣くねん! あだ名付けただけやんか!」
視界がじわりと滲むのを止められませんでした。わたくし、友達と呼べる存在すらいませんでしたもの。……あだ名で呼ばれることが、これほど胸に響くなんて。
「……ま、湿っぽいのはナシ! でもさー、アンタら。ミナトはもう元に戻ったわけだし、アンタらが好きになっても、どうしようもなくね? レナちゃんもいるしさー」
「それはミッチーも同じやろ。カイトは生きてるんやから」
「うっ……そ、そりゃそうだけど」
ミチルさんの言葉に、わたくしは慌てて首を振りました。
「わ、わたくしは別に……湊さまのことは何とも思っておりませんわ!」
「「ミナトさま?」」
二人の声が重なりました。しまった、と口を押さえても後の祭りですわ。
「ええ、湊さまはわたくしの恩人ですので。け、決して深い意味は……」
「ほんまかなぁー? ……まぁ、ええか。どっちにせよ、ウチの恋が成就するためには、ミナトかレナっちを呪い殺さなアカンってわけやな」
えみさんが物騒な冗談を飛ばすと、ひよりさんが「やめなさい」と苦笑しました。
そうこうしているうちに、湊さまとレナさんが帰ってまいりました。
「なんや、また二人きりでおるんかいな。ミナト、ウチっていう本命がおるっちゅうのに!」
「あ、ホラ、由衣ちゃん。ミナト帰ってきたよ」
ミチルさんに促され、わたくしは慌ててそっぽを向きました。
「で、ですから……わたくしは別に、待っていたわけでは……」
そう言いながらも、視線は湊さまを追ってしまいます。……ですが、次の瞬間、わたくしは驚いてしまいました。
なんと湊さま、レナさんと仲睦まじく手を繋いでいらっしゃるじゃありませんか!
「由衣ぴょん、露骨に顔に出てるで」
「……出ておりませんわ!」
まぁ、ショックじゃないと言われたら、それは嘘かもしれません。
でも、私と湊さまでは住む世界が違いますもの。……仕方のないことですわ。
「今日のあのスイーツ美味しかったな」
「……うん、また行きたいな」
湊さまったら、わたくしたちを放置して、またレナさんと甘味を楽しんでいらしたの!?
……なんだか、ずるいですわ。
「こらミナト! 目の前でイチャコラ見せつけるなんて、ええ度胸やな!」
えみさんが憤慨するのも無理はありません。湊さまにはわたくしたちの姿が見えているはずですのに。
「なぁ、レナ。次はどこ行こうか?」
……もう、湊さまったら! わざとやっていらっしゃいますの!?
こうなったら、もう耳を塞いで一言も聞きませんし、何が起きても絶対に見ませんわ!
「ミナト! なにええ雰囲気作っとんねん!」
耳を塞いでも貫通してくるえみさんの声。
……いい雰囲気って、一体なんですの!?
「ちょちょ! ミナト! それ以上はアカン、アカンて!」
そ、それ以上ってなんですの~?
一体何が起きてますの~?
「こら! ミナト! どこ触っとんねん!」
もしかして、湊さま……。あんなことや……こんなことを?
それはダメですわ! まだ未成年ですし……。
ああ、もう……なんですの、この胸のモヤモヤは! ……ああ、この甘酸っぱい感覚は何なんですの~!?
「タンマタンマ! ミナト! ミナトーっ!」
「ちょっと……もうおやめください! 湊さま、はしたないですわーっ!」
耐えきれずに目を開け、叫びながら振り返ると――そこには、してやったりの顔をしたえみさんと、涙を流して笑い転げるミチルさんの姿がありました。
肝心の湊さまはといえば、レナさんとただ並んで立っているだけ。
「あのなぁ……さっきから何言ってんだよ。俺、何もしてねーだろ」
「ゴメンって! ミナト、由衣ぴょんの反応がガチで可愛くて、つい!」
なんですの……なんですの! 全員でわたくしをからかいましたわね!?
「ごめんなさいね、みなとさん。うるさくしちゃって……」
ひよりさんが前かがみになって湊さまにそう言うと、湊さまの視線が吸い寄せられるように彼女の豊かな胸元へ――。
「…………でっ!」
慌てて口を抑える湊さま。
「あー、やっぱミナトって巨乳好きじゃんねぇ……」
「ミナト、それはアカンわぁ」
ニヤニヤと茶化す面々と、真っ赤になって黙り込む湊さま。
わたくしはそんな彼に、本日最大級の声を張り上げました。
「もう……湊さまの、エッチーーーですわーーーっ!!」
由衣番外編① 完
今回は由衣の番外編でした。
由衣たちの日常を書きたくて書きました。
由衣の魅力が伝わると嬉しいです。




