第十九・五話②:月夜に想い弾けるライム色
わたくしの未練。
お母様に認めてもらうこと。それは、湊さまたちがくださった勇気によって、ようやく断ち切ることができました。
ですが……わたくしの心には、まだ小さな棘が刺さったままなのです。
それは、お母様が今もなお、わたくしへの罪の意識に苛まれていること。
わたくしはもう、お母様を恨んだり、怒ったりなどしていない。そのことさえ伝えられれば、本当の意味でわたくしの心は晴れるのですけれど……。
「どうした? 由衣、何か考え事か?」
不意に背後から声をかけられ、振り返るとそこには湊さまがいらっしゃいました。
「あ、湊さま。……あら、今日はレナさんたちとご一緒ではないのですか?」
「あぁ。レナは特別授業で、日曜日だっていうのに学校だよ。進学校は大変だよな」
「そうですの……。では、他の方々は?」
「ミチルとえみは『新作コスメの発売日だ』って、朝からデパートへ行ったよ。あいつら、ギャルだから趣味が合うからな」
……。
……え。
ということは。今、この空間には、湊さまとわたくしの二人きり……!?
そ、そのような不測の事態、心の整理が追いつきませんわ! どういたしましょう、何を話せば……!
「ニャー」
……。
……レンさんもいらしたのですね。
「……なるほどな。由衣の母親に、いつまでも自分を責めないでほしいって伝えたいわけか」
「はい。ですが、良い案がまったく思い浮かびません……」
「うーん。俺が母親のところに行って『お宅の娘さんの幽霊と友達になりました』なんて言っても、不審者扱いされるのがオチだろうしなぁ」
「ふふっ……」
湊さまがわたくしの実家に乗り込む姿を想像して、思わず吹き出してしまいました。
そんなの、まるでお母様に、恋人を紹介しに行くみたいではありませんか!
……って、こ、恋人……!? わたくしったら、何を破廉恥なことを考えていますの! 湊さまにはレナさんという方がいらっしゃいますのに。
「おい由衣、どうした? 顔が赤いぞ」
「な、なんでもありませんわ!」
わたくしたちは、どうすればお母様に想いが届くか、必死に頭を絞りました。
「そうだ。あの赤い三輪車を動かすっていうのはどうだ? 物理的に何かが動けば、メッセージになるかもだろ」
「それは妙案ですわ! あの三輪車は、わたくしとお母様の大切な思い出の品ですもの」
わたくしたちは早速お母様の元へ向かい、庭の片隅に置かれた三輪車に手をかけました。
「……なぁ由衣。それ、今でも乗れるんじゃないか?」
「湊さま、いくらわたくしが小柄だからと言って、流石にそれは――。……あら? 乗れましたわー!」
驚いたことに、サイズはぴったりでしたわ。わたくしは試しにキコキコと楽しげに三輪車を漕いでみました。
その時、金属の軋む音に気づいたお母様が、ゆっくりと部屋から出ていらしたのです。
「お母様! わたくし、もう怒っておりません。ですからお母様も、どうか元気を出してください!」
声は届かないと分かっていても、わたくしは精一杯の笑顔で、三輪車の上から大きく手を振りました。
ですが、お母様の目に映ったのは――。
「ひ、ひぃぃ……っ! 三輪車が勝手に……。由衣が……由衣がまだ、怒っているのね……っ!」
お母様は真っ青な顔で、逃げるように部屋へ戻られてしまいました。
「……。大失敗ですわ……」
「……逆効果だったか」
それならばと、湊さまがすぐさま次の手を思い付かれました。
「ガラスや鏡に文字を書くってのはどうだ? 曇ったところに指で書けば、メッセージになるだろ」
「まぁ、湊さま! それこそ妙案ですわ! それならわたくしにもできますし、何より直接想いを伝えられますもの!」
わたくしはお母様がお風呂に入るのを今か今かと待ち構え、浴室の鏡が白く曇ったのを確認して、丁寧に、心を込めて一文字ずつ指先を滑らせました。
『お・か・あ・さ・ま・わ・た・く・し・は・お・こ・っ・て・い・ま・せ・ん・わ』
「ふふっ。これでお母様も、きっと安心してくださいますわ――」
ですが、浴室の湿気と、結露によって無情にも水滴がじわじわと滲んでいき……。
「ひ、ひぃぃぃーっ! 『お・か・あ・さ・ま・わ・た・く・し・は・お・こ・っ・て・い・ま・す・わ』……!? 由衣、ごめんなさい、ごめんなさいーっ!!」
浴室から響き渡るお母様の悲鳴に、わたくしはガックリと肩を落としました。
「……またしても失敗でしたわ」
「いい案だと思ったんだけどなあ」
その後も湊さまは、めげることなく次々と案を出してくださいました。
「じゃあ、枕元に立って直接ささやくのはどうだ?」
「湊さま……。それは、わたくしが逆の立場なら恐怖で卒倒いたしますわ」
「それもそうか……」
気づけば辺りは真っ暗。時計の針はとうに零時を回っておりました。静まり返った夜の落ち着いた時間が流れます。
「そうだ、由衣。母親の夢の中に現れるってのはどうだ? 夢の中なら、お前の姿も声も、そのまま届くかもしれないだろ」
「なるほど! 夢の中ならば、お母様を怖がらせることなく想いを伝えられますわ!」
わたくしはお母様が深い眠りに落ちたのを見計らい、そっと枕元に立ちました。今度こそ、今度こそこの想い、お母様に届けてみせますわ!
「……ですが、どうやって夢の中に入ればよろしいのかしら」
わたくしが戸惑い、方法を探っていたその時です。お母様が、苦しげに寝言を呟かれました。
「……由衣。……由衣。ごめんなさい、ごめんなさい……っ」
閉じた瞼の間から、一筋の涙がこぼれ落ちます。
お母様、わたくしはもう、怒ってなどおりません。どうか、そんなに悲しい顔をなさらないで。
わたくしがお母様の涙を拭おうとそっと手を伸ばした瞬間、ふわりと視界が揺らぎ……お母様の「夢」と、わたくしの心が、確かに重なり合ったのです。
「……そこに、いるのは由衣?」
温かくて、心地よい、わたくしを呼ぶ声が聞こえました。
「はい……お母様。わたくし、ここにおりますわ」
「由衣。本当にごめんなさい。女手一つで貴女をどこに出しても恥じない子に育てようと必死で……。それなのに、いつからか私は、貴女の気持ちなども考えずに……」
「お母様……今なら分かりますわ。お母様の強い想いがあったからこそ、わたくしは立派に生きてこられたのです。応えられなかったわたくしにも、至らない点がありましたわ」
「由衣……っ」
お母様は、わたくしの身体を痛いほどに抱きしめてくださいました。
久しぶりに感じるお母様の温もり、お母様の匂いをわたくしは感じることが出来ました。
「由衣、またこうして会いに来てくれないかしら。私の勝手な願いだけれど……。貴女が構わないのなら、また……」
「もちろんですわ、お母様。わたくしたち、いつまでも親子ですもの」
精一杯の愛を込めて、わたくしはお別れの挨拶を交わしました。
湊さまの元へ帰ると、彼は庭のベンチに座ったまま眠りに落ちていらっしゃいました。
「……湊さまは、やっぱりわたくしのスーパーヒーローですわね」
こんなに遅くまでわたくしのために尽力し、一緒に頭を悩ませてくださるなんて。
湊さまは小さな寝息を立てながら、時折「由衣……よかったな……」と、寝言でわたくしの名前を呼びました。
ふふ。夢の中でも、わたくしのことを想ってくださるなんて。
あぁ、もう……なんですの? この爽やかな甘酸っぱさは……。
穏やかな寝息を立てる湊さまの横顔を覗き込んでいると、なんだか心臓の鼓動がうるさいほどに早くなってきました……。
今は、静まり返った真夜中。
この空間には、わたくしと湊さまの二人きり……。
こ、これはあくまで感謝の印ですわ。……深い意味なんて、一ミリもございません。
わたくしは自分にそう言い聞かせ、そっと踵を浮かせて、震える唇を、湊さまの頬へと寄せていきました。あと少し、ほんの数センチでその頬に触れる――。
「あー、由衣ぴょん。何してんの。抜け駆けは『串カツのソース二度漬け』くらい許されへん大罪やで?」
「うっわー。由衣ちゃん、マジで大胆じゃん」
突如として背後から響いた賑やかな声に、わたくしは石化したように止まりました。振り返れば、そこにはえみさんとミチルさんの姿が。
「こ、こここ、これは違いますの! 埃が付いていたのを、わたくしがこう、吐息で吹き飛ばそうと……っ!」
「由衣ぴょん、往生際が悪いなぁ。白状しい。ミナトと二人きりで、今日一日なーにをしてたん?」
えみさんが、一歩、また一歩と間を詰めてきます。
「いやー、由衣ちゃんも隅に置けないねー? ゴメンね? 邪魔しちゃった?」
ミチルさんはスマホを構えんばかりのニヤケ顔で、反対側からじりじりと距離を縮めてまいります。
「な、なんですの! やめてくださいまし! ああもう、今日という日は……! もうーーっ! 勘弁してほしいですわーーーーーーっ!!」
由衣番外編② 完
今回も由衣の番外編です。
由衣とみなとのお話を書きました。
個人的に由衣というキャラクターが好きなので、魅力がつたわればいいなと思いながら書きました。
由衣編は終わりです。もう少し続きます。
次回もお楽しみに。




