第十八話:茄子紺色の夕焼けと、茜色の叫び
レナには「大丈夫だ」と大口を叩いたものの、俺の身体は正直、全然大丈夫じゃなさそうだった。
心臓を締め付けるような鈍い痛みは、一向に収まってくれない。
俺は母校の校門前で、息を潜めて烏丸先輩が出てくるのを待った。
――
放課後。
まず姿を現したのは、宮坂先輩だった。
一人で校舎を出てきた彼女は、周囲をキョロキョロと見渡しながら、何かを恐れるように用心深く歩を進めていく。
……あんなに怯えた先輩、見たことないぞ。
しばらくして、烏丸先輩が校舎を後にした。
彼は数人の女子生徒に華やかに囲まれ、校門前で出待ちをしていた他校の女子たちにも、爽やかな笑顔を振りまいている。
「どういう転生をしたら、あんなチートみたいなスペックが手に入るんだよ……」
自嘲気味に呟きながら、俺は距離を置いて後を追った。
学校から離れると、先輩はポケットからスマホを取り出し、手慣れた様子で誰かと通話し始めた。
「ここまでは変わったことなし。……俺の思い過ごしか?」
そう疑い始めた矢先だった。
先輩の元へやってきたのは、制服の違う他校の女子生徒だ。
あろうことか、彼女は親しげに先輩の腕を組み、密着して歩きだした。
「宮坂先輩と付き合ってるんじゃなかったのか……?」
信じられない光景だった。
二人は腰に手を回し、どう見ても恋人以上の、湿り気を帯びた雰囲気を醸し出している。
だが、衝撃はそれだけでは終わらなかった。
その女子と別れたかと思えば、先輩はまた別の女性と待ち合わせ、そしてまた別の女性へ……。
どう見てもただの女友達って感じじゃない。
――
そして翌日。
登校してきた宮坂先輩は、まるで烏丸先輩を避けるように、小さく肩を震わせて校舎へと消えていった。
烏丸先輩を注意深く観察していると、ある共通点に気づいた。彼は常に、同じ女子生徒数人を引き連れている。
いわゆる、忠実な『取り巻き』というやつだ。
ある日の放課後だった。
先輩がその取り巻きたちを引き連れ、人影のまばらな校舎の裏で、一人の女子生徒を囲んでいるのを見つけた。
「おい、おめぇ調子に乗ってんじゃねぇよ」
取り巻きの一人が、鋭い声で威圧する。
「そうだよ。あんた、礼二がこれほど目をかけてあげてるのに、どういうつもり?」
次々と浴びせられる、逃げ場のない言葉の暴力。
「……私には、そんなことできません……っ」
囲まれた女子生徒は、今にも泣き出しそうに震えながら呟いた。
「ふざけんなよ!」
取り巻きの一人が、拒絶する彼女の肩を強く突き飛ばす。
これはもう会話じゃない。一方的ないじめそのものだ。
激しく詰め寄る取り巻きたちを割って、先輩がゆっくりと、女の子に近づいた。
「大丈夫だよ。悪いようにはしない。……離れている時だって、いつでも君を感じていたいんだ」
先輩が女の子の耳元で甘く、けれど逃げ場のない声で囁く。
「君の『裸の写真』を一枚、僕に送ってくれるだけ。たったそれだけだよ?」
有無を言わせぬ圧力を含んだ、甘く低い声。
「でも、私……やっぱり、そんなこと……!」
女子生徒が、震える声で精一杯の拒絶を絞り出した。
「……あーあ。そうか。残念だよ。じゃあ、みんな。あとは好きにして」
冷徹な宣告が下った瞬間、取り巻きたちが一斉に、彼女へ詰め寄った。
烏丸礼二に対する黒い噂。それは、決して誇張などではなかった。
「おい! 何やってんだやめろよ!」
俺がその女子生徒を庇うように立ちふさがる。
しかし俺の抵抗もむなしく、取り巻きたちの腕が俺の身体をすり抜けていく。
「なんで……こんな時に……」
目の前で困っている、たった一人も救えないなんて。
俺は自分の身体のもどかしさに苛立ちを覚えた。
「そうだ、誰かを呼ぶくらいならできるかも」
俺は急いで先生を呼びに行くことにした。
だけど教室には誰の姿もなく、俺は自分の無力さを嘆いた。
屋上に戻ってみると、烏丸先輩たちの姿はなく、取り残された女の子が肩を震わせ泣いていた。
「……ごめん。何もできなくて……。だけど次は必ず――」
茄子紺色に染まりゆく夕焼けの中。独り震える彼女たちの無念を晴らすことを、強く心に誓った。
――
部屋に戻ると、俺の帰りを待っていたレナたちが一斉に立ち上がった。
「みなと……大丈夫だった?」
真っ先に駆け寄ってきたレナの瞳には、不安が色濃く滲んでいる。
「あーしらにできること、何かある?」
ミチルやえみも、じっとしてはいられないといった様子で俺を囲んだ。
俺は深く息を吐き、真っ直ぐにレナの目を見つめて問いかけた。
「……レナ。烏丸先輩と、何か関わりがあるんだよな?」
ビクッと、レナの肩が大きく震えた。
「大丈夫だ。……全部、俺に聞かせてくれないか」
強張る彼女の頭を、安心させるように優しく撫でる。
レナは何度か浅い呼吸を繰り返した後、その重い口を開き始めた。
「最初は……すごく格好いい人がいるから見に行こうって、友達に誘われたの」
隣県から告白に来る女子がいるほどの男だ。女子高生なら、興味を持つのは無理もない。
「そしたら、ある日駅で不良に絡まれて……。そこを助けてくれたのが、あの人で……」
「それだけ聞いたら、まるで正義のヒーローやな」
えみが鼻を鳴らして皮肉げに答える。
「話も面白くて、すぐに仲良くなったの。何度か待ち合わせて、デザートを食べたりもした……」
だが、その先が地獄の入り口だった。
「……そんな時、あの人が言ったの。君の『裸の写真』が欲しいって」
場が、凍りついたようにざわついた。俺が夕暮れの校舎裏で聞いた、あの最低な要求。
「君をいつも近くに感じていたいから、って。……でも、そんなの無理って、私は断ったの」
「……えらいね」
ひよりさんが、レナの頭を優しく撫でた。
「そうしたら、ある日……見たこともない怖そうな女の人たちに囲まれて……」
レナはそれまで堪えていた涙を溢れさせた。
「そうか。……じゃあもしかして机の中傷も?」
レナは小さく、けれど確かに頷いた。
「たぶん、……あの人たちに、脅されてるんだと思う」
誰にも相談できずに……よほど辛い思いをしてきたんだろう。
「ミナト。あーし、こんなに怒ったの久しぶりかも」
「ウチもや。そんなん、絶対許されへんわ」
ミチルとえみが、静かな、けれど激しい怒りを露わにして俺を見た。
俺だって同じだ。
「絶対に、許しちゃいけない……」
その時、俺の脳裏をよぎったのは、あの怯えた表情の宮坂先輩だった。
「もしかしたら、宮坂先輩も……っ」
最悪の推測に、俺は反射的に立ち上がった。
「みなと、私も行く。一緒に行かせて」
レナが、震える手で俺の腕を強く掴む。
「あーしも行く」
「ウチも行くで。黙って見てられへんわ」
三人の強い眼差しを受け、俺は深く、力強く頷いた。
「行こう。レナや、あの男に裏切られた子たちを救うために」
俺たちはまず、宮坂先輩の行方を探すことにした。
ミチルが浮遊しながらも疑問を口にする。
「しっかしさー、女の子の裸の写真なんて、一体どうするつもりだったんだろうね」
「アレやない? 思春期の男子やから、そういう……アレやろ?」
えみが身も蓋もないことを言い出すが、俺は即座に首を横に振った。
「違う。……たぶん、その写真を脅迫の材料に使ってるんだ。取り巻きたちが身につけていたアクセサリーや、烏丸の靴。あれ、普通の高校生が買えるような代物じゃなかった」
「……え、それって。写真をネタに金を巻き上げてたってこと? そんなの、ただのチンピラじゃん!」
ミチルが顔を引きつらせる。レナは、俺の腕を掴んだまま、決意を秘めた瞳で前を見据えていた。
「これ以上、被害者を増やさないためにも。……今、ここでケリをつけなきゃいけないんだ」
そして、俺たちが宮坂先輩の姿を発見したのは、放課後の静まり返った学校の屋上だった。
「てめぇ、いい加減にしろよ!」
取り巻きの、女子生徒とは思えないドスの利いた声が響く。
宮坂先輩は背後に手すりを背負わされ、逃げ場のない状態で完全に取り囲まれていた。
「なんで礼二の言うことが聞けないわけ?」
凄まじい威圧感に、先輩は顔を上げることさえできずに肩を震わせている。
「だって……そんなの、できないよ……っ」
か細い、けれど必死の拒絶。
やはり先輩にも、レナと同じ卑劣な手口で泥沼に引きずり込もうとしているのだ。……絶対に、これ以上はさせない。
「……こういう時、どうする?」
「前のあーしなら、誰かに乗り移ったりできたかもしんないけど……」
「せやな。相手の人数も多いし、まとめて何とかするのはムズイかもな」
えみもスマホを握りしめ、唇を噛む。
「だったら、烏丸と取り巻きを分断するしかない。あいつらは所詮、烏丸の指示で動いているだけだ。……元凶を叩けば、なんとかなるはずだ」
「ミナト、アンタ分かってると思うけど。……あんた自身は何もしちゃいけないよ?」
ミチルが、鋭い目つきで俺に釘を刺してくる。
だが、話している間にも、烏丸がゆっくりと宮坂先輩に詰め寄っていった。
「大丈夫だよ。ね? 悪いようにはしない。……これが最後通告だよ」
それでも、先輩は涙を浮かべながら、はっきりと首を横に振った。
「そうか。……残念だよ。じゃあ君たち、お願いね」
烏丸が興味を失ったように背を向けると、入れ替わるように取り巻きたちが一斉に牙を剥いた。
後ずさりする宮坂先輩の身体が、不吉な音を立てて手すりに押し付けられる。このままでは、彼女が転落してしまうのは時間の問題だった。
「……ケテ……タス……ケテ……」
地を這うような、ミチルの呻き声が屋上に響き渡る。
「……ねぇ、なんか変な声、聞こえない?」
「やめてよ、マジで怖いんだけど」
宮坂先輩を追い詰めていた取り巻きたちが、不安げに顔を見合わせ、ざわつき始めた。
「カタ……カタカタ……ッ」
今度はえみが、わざと骨を鳴らすような不気味な音を立てながら、屋上のコンクリートを歩き回る。
「……嫌、マジで何なの!?」
「なになに、どこ!?」
必死に周囲を見回す彼女たちの前に、それは現れた。
腹を無残に割かれ、腐食した内臓をぶら下げた、凄惨な姿の金髪の女の子。
ミチルが取り巻きの視線を釘付けにする。
「なっ……何なの、あれ……っ!」
「マジでヤバいって……ヒッ……!?」
あまりの恐怖に、取り巻きたちが腰を抜かさんばかりに震え上がる。その隙を逃さず、えみが音もなく背後へ回り込んだ。
「う……ら……め……し……やぁ……!」
「「「キャアアアアアアアア!!!」」」
取り巻きたちは、烏丸のことなど放り出して、我先にと階段へ向かって逃げ出していった。
「よし。……これで、分断できたな」
腰を抜かし、無様に尻餅をついた烏丸が、震えながら宮坂先輩に毒を吐いた。
「なんだ、お前……化け物でも憑いてんのか……っ? お前みてぇな、気味の悪い化け物……こっちから願い下げだ!」
「……あのクソガキ、どこまでなめくさっとんねん」
えみが、押し殺した怒りの声を上げる。
……許せねぇ。
「……ねぇ。あいつ、今、あーしのこと化け物って言った?」
ミチルが静かに、けれど激しく怒りに震える。
目の前で、宮坂先輩が絶望に顔を歪めている。レナを、そして多くの女子生徒を食い物にしてきた男が、まだそんな言葉を吐くのか。
俺は、全身にありったけの力を込めた。
絶対に……許さねぇ……っ!
俺は烏丸めがけて、渾身の拳を振り上げた。
「アカンで、ミナト! やめとき!」
「ミナト、マジでダメ! それ以上やったら、本当に戻れなくなるって!」
えみとミチルの必死の制止も、今の俺の耳には届かない。
「な、なんだ……っ? 誰か……誰かいるのか……!?」
烏丸の目には、俺の怒りが形になって見えているのかもしれない。
「お前だけは、絶対に、許さねえ……っ!!」
叫びと共に、俺は烏丸へと拳を振り下ろす。
「だめ、みなと……お願い……ダメーーーっ!!」
それまで小さく震えていたレナの悲鳴が、燃えるような茜色の空に響き渡った。
第十八話までお読みいただき、ありがとうございます。
ついに烏丸先輩の裏の顔が出ました。
夕焼けの「茜色」が、先輩の悲鳴と湊の怒りに染まっていくような、そんなイメージで書き上げました。
いよいよ次回は最終話。
今回は茄子紺色と茜色が登場しました。次回は……何色が出るか、是非自身の目で確かめてみてください。
次回もお楽しみに。




