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第十七話:漆黒色の深淵と、蒼穹色の決意

 私立聖華学園。

 隣県にある、有名な共学の進学校だ。


「そうか。だからこの辺りじゃ、その制服を見かけることがなかったんだな」


「しかもミナト。あそこ、寮生がめちゃくちゃ多いらしいから。あんまり学校の外に出歩かへん子も多いんかもしれんね」


 えみがスマホで手際よく調べた情報を、俺たちに共有してくれる。


 その横で、レナは俺たちの後ろに隠れるように俯きながら、とぼとぼと力なく歩いていた。


「どうした、レナ? どこか具合でも悪いか?」


「……そういうわけじゃないんだけど」


 レナは一度も視線を上げることなく、消え入りそうな声で答えた。


 隣県まではかなりの距離がある。俺たちは浮遊しているとはいえ、移動速度は人が歩く速さとそう変わらない。


「電車の端っこにでも、こっそり乗せてもらうか」


 俺たちは駅の方へと足を向けた。

 母校の横を通り過ぎようとした、ちょうどその時だった。


「あっ……」


 前方から歩いてきたのは、宮坂先輩――そして、その隣に並ぶ烏丸先輩の姿だった。


「あ、あの女じゃん。こんな時に会うなんてサイアクだね、ミナト」


 ミチルが不機嫌そうに吐き捨てる。


「いつかウチが呪い殺したんねん」


 えみの物騒な冗談を背に、俺は何も言わず、ただ黙って二人の横を通り過ぎた。


「な、ミナト。あんな女早く忘れちゃいな。あーしが慰めてあげるからさ」


「あー、ミッチー。カイトがおるのに浮気やで、それは」


「ち、違うって! それとこれとは、ほら、別もんじゃん!」


 ミチルとえみの賑やかな掛け合いに、荒みかけていた心がいくらか救われる。


「あ……う……」


 不意に、後ろでレナが声を漏らした。


「レナ?」

「どしたん、レナっち」


 見れば、レナは固まったように震えている。

 その視線は、真っ直ぐに烏丸先輩の姿に向けられていた。


「レナ、おい、大丈夫か?」


「う……うん……」


 俺の呼びかけに、レナは我に返る。


「……もしかして、烏丸先輩のこと……?」


 俺の問いに対し、レナはそれ以上何も答えることなく、ただ深く、深く下を向いたままだった。


 告白でもしてフラれて、飛び降りた……そういうことなのか?


 いずれにせよ、今のレナに聞いていいような雰囲気ではなさそうだ。


「まさか、レナとミナトを振り回した奴らがくっついてるなんてね」


 ミチルが心底嫌そうに吐き捨てる。


「ウチらでまとめて呪い殺したろか、ほんまに」


 物騒な冗談を飛ばすえみに対し、俺は口元に人差し指を当てた。それ以上は続けるなと二人に釘を刺すためだ。


 確かに、まさか烏丸先輩とレナに接点があったなんてな……。


 俺たちはその後、電車に潜り込んで隣県へと渡り、目的地の私立聖華学園を目指した。


――


 たどり着いたそこは、創心環高校と同じか、それ以上の圧倒的な存在感を放つ学び舎だった。

 校内では、レナが着ているのと同じ深い緑色の制服に身を包んだ生徒たちが、勉学やスポーツに励んでいる。


「とんでもない広さだな、ここ……」


「ここはスポーツも優秀みたいやからね。設備が段違いやわ」


 えみがスマホの画面を見せながら、手際よく調べた情報を伝えてくれる。


 広大な敷地と、行き交う生徒たちの活気。


 校門をくぐると、それまで俯いていたレナが、何かを思い出したように俺たちの前を歩きだした。


「おい、レナ。……何か思い出したのか?」


 俺の問いかけにも答えず、彼女は迷いのない足取りで昇降口を抜け、階段を登り、ある教室の前で足を止めた。

 いかにも頭の良さそうな、品行方正な生徒たちが静かに授業を受けている教室。その中、一つだけ、ポツンと誰も座っていない空席があった。

 レナは、その席の横に静かに立った。


「レナ……ここがレナの席……っ……」


 俺はあまりの衝撃に、言葉を失った。

 レナの席であろうその机の天板には、目を疑うような光景が広がっていたのだ。


『調子にのんな!』

『バカ』

『クソブス』


 鋭い刃物で刻まれたような、あまりに稚拙で、あまりに醜悪な罵倒の言葉。


「ちょっと……これ、何なの……っ……」


 ミチルもえみも、その惨状を前に絶句した。


「……こんな澄ました顔して授業受けてるけど、コイツら、こんな腐ったような根性してんのかよ」


 刻まれた文字が、鋭いトゲのように俺の胸に突き刺さった。

 名門進学校という清潔な表向きの顔の裏で、レナが一人、どんな地獄を味わっていたのか。

 やり場のない怒りに、俺は思わず声を荒げ、拳を強く握りしめた。


「ぐっ……!」


 不意に、心臓に激痛が走る。

 膝から崩れ落ち、全身から急速に力が抜けていく。


「ミナト!」

「みなと!」


 レナたちの悲鳴のような声が、水底に沈んでいくかのように遠のいていく。

 視界は瞬く間に、底なしの漆黒色しっこくいろに塗り潰されていった。


――


『湊、母さんはね。湊が決めたことに反対はしないわ』


 真っ暗闇の中、母さんの穏やかな声が響く。

 俺が何か新しいことを始めようとするたび、母さんはいつだってそう言って、俺の背中を優しく押してくれた。


『その代わり、一度やると決めたら最後までやり通しなさい。それが母さんとの約束。わかった?』


 温かな手のひらが、俺の頭をそっと撫でる感触。


『瀬戸君は、そうだね。何事にも真っ直ぐ突き進むところ……。私は、いい所だと思うよ』


 次に聞こえてきたのは――宮坂先輩だ。

 中学の最後、バレンタインチョコを受け取った時に彼女がくれた言葉。

 太陽のようなあの笑顔に、俺は、どうしようもなく憧れたんだ。


 ……なんだ、この夢は。俺、走馬灯でも見てるのか?


 意識の混濁の中で、ふと違和感が芽生える。

 宮坂先輩の笑顔。……今日、烏丸先輩の隣にいた彼女は、あんな風に笑っていたか?

 いつもとどこか、違っていなかったか?


『烏丸先輩はイケメンだけどさ。男子にはかなり当たりがキツいし、女子に関しても相当エグい噂が流れてるからなぁ……』


 脳裏をよぎったのは、寺島が教えてくれた警告だ。

 そうだ。何かが引っかかる。

 ただ告白して振られたくらいで、あのレナが自ら飛び降りたりするものだろうか?


 ……クソ。倒れてる場合じゃないだろ。俺には、まだやることが残ってるはずだ……!


「……と」

「……なと」

「……みなと!」


 その必死な叫びに、俺は強引に意識を引き戻した。


「「ミナト!」」

「みなと!」


 目を開けた瞬間、レナが俺の胸に抱きついてきた。

 隣ではミチルもえみも、ボロボロと涙を流している。


 そんなに、心配かけちまったか……。


「ミナト、あんたもう、そろそろマジでヤバいって。早く戻らないと!」


 ミチルが切羽詰まった声を上げる。


「分かってる。……でも、やると決めたことは、やり遂げるって決めたんだ」


「ミナト……。このままやと、ほんまに幽霊になってまうで?」


 えみの悲痛な訴えも、今の俺を止める理由にはならなかった。


「母さんにも、そうやって背中を押されたんだよ」


「みなと……っ」


 レナは俺の胸に顔を埋めたまま、声を殺して泣き続けている。

 俺はその震える頭を優しく撫でた。


「レナ。……もう、大丈夫だ」


 そう一言だけ告げて、俺はふらつく足取りで立ち上がる。


「ミナト、あんたどこ行く気よ!?」


「ちょっと! 倒れたばっかりやのに、もっと大人しくしとき!」


 引き止める二人の言葉を、俺は力強く遮った。


「いや……確かめなきゃいけないことがあるんだ」


 不意に、レナが俺の手を強く掴んだ。涙をいっぱいに溜めた瞳で、俺の顔を見上げてくる。


「お願い、みなと……。行かないで……っ」


 すがり付くようなその温もり。けれど、俺の決意はもう揺らがなかった。


「大丈夫だ。俺が必ず、レナを守ってやる。……絶対に、決着をつけよう」


 俺はそれだけを言い残して、レナの手を解いた。

 戸惑うミチルとえみに「レナのそばにいてやってくれ」と短く頼み、走り出した。


 ……もし、俺の予想通りなら。……絶対に、あいつを許さない。

 たとえ、その代償に自分がどうなっても。


 見上げた空は、どこまでも澄み渡るような蒼穹色そうきゅういろをしていた。

 まるで、俺の決意を肯定し、“進め”と背中を押しているかのように。

第十七話までお読みいただき、ありがとうございます。


宮坂先輩と並ぶ烏丸先輩とレナにまさかの共通点があることが分かりました。

そしてレナの机に刻まれた心のない汚い言葉。

湊の身体にも最大の危機がおとずれました。

その意識の中ではっきりと感じた、宮坂先輩の異変。


今回は漆黒色と蒼穹色が出ました。次回は茄子紺色と茜色が登場します。

次回をお楽しみに。

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