第二話:白金色の夜と、断腸の若草色
眩しすぎる朝日が、閉じたまぶたを貫いてくる。
意識がはっきりするたびに、身体に鉛を流し込まれたような重苦しさが、じわじわと襲ってきた。
昨日熱っぽかったせいか、それとも泥のように深く眠ったせいか?
それともまだ頭が回っていないだけだろうか。
「なぁレナ。自分のことで、何か思い出せることってないのか?」
隣をふわふわと浮いているレナに問いかける。
「全然ってわけじゃないんだけど……曖昧な記憶が多くて……」
「じゃあ……年とかは?」
「十六……高校一年生」
ということは、俺と同い年か。でもレナが着ている制服をこの近くでは見たことはないんだよな……。
深みのある、少し古風な緑がかったブレザー、一度見たら忘れない特徴的なデザインなのに、心当たりがまったくない。
「ところで、なんでよりによって俺の家にいたんだ?」
「だって……とっても悲しいオーラ出てたし。驚かせるのも簡単かなって……」
はぁ……宮坂先輩に告白してフラれて、おまけに幽霊まで連れてくるなんて。
昨日はどこまでツイてない日だったんだろう。
「それなのに、全然驚いてくれないんだもん。こっちがびっくりだよ」
俺はいわゆる“視える”体質だ。小さい頃から見たくないものまで見てきた。
ある程度耐性が付いているのは間違いない。
「むぅ……。こうなったら……誰かを驚かせて……」
「やめろって」
冗談を言い合いながらも、一つだけずっと気になっていたことを口にした。
「あのさ、その……血。どうにかなんないか?」
「えっ、血?」
「ああ。さすがに俺でも、額から朱色の血を流してる女の子と話をするのは、こう、なんというか……気が引ける」
「それもそうだね……ちょっと待ってて」
そう言うとレナは、両手で顔を覆った。
数秒後、その手をパッと離した時には、傷跡も血も、嘘みたいに消えていた。
透き通るような白い肌。そして、血でよく分からなかったけれど、その吸い込まれそうなほど澄んだ瞳に俺は見惚れてしまっていた。
「かっ……」
慌てて口を押さえる。落ち着け俺。相手は幽霊だぞ。
「かー?」
俺の動揺を見透かしたように、レナが顔を寄せて覗き込んでくる。
「なになにー? かー? って何?」
絶対分かってて聞いてるだろ……。
いたずらっぽく笑う彼女のペースに巻き込まれて、俺は観念して本音をこぼした。
「……いや。……結構、可愛いんだなって……」
正直に言うと、レナは「うふふっ」と嬉しそうに声を弾ませた。
満足したのか、俺の周りをぐるぐると回るようにして浮遊し始める。
「ふーん……みなと、素直でよろしい!」
やめてくれ、こっちが恥ずかしくなる……。
レナと話していると、彼女の意外なほど真面目な性格に気付かされる。
「あ、見て。タバコのポイ捨て。許せない……」
「ほら、信号無視。許せない……許せない……」
おいおい、頼むから誰かを呪い殺したりしないでくれよ。
レナは幽霊でありながらその表情は豊かだ。
コロコロと笑い、怒り、そしてどこまでも真っ直ぐだ。
……だからこそ、疑問が頭をよぎる。こんなに素直で、正義感の強い彼女を追い詰めた理由は何だったのか。
俺は、心の奥に溜まっていた問いを、確かめずにはいられなかった。
「あのさ、聞いていいのかわからないし、答えたくなければ答えなくていいんだけど……」
そう前置きをしてから、言葉を選んで続ける。
「……理由がわからないにしても、どうやって……亡くなったのか、覚えてるか?」
その瞬間、場の空気が凍りついたように冷えた。
やばい、地雷踏んだか?
「……飛び降りたの」
レナの顔から表情が消える。それは言葉を失うほど、痛ましく、辛そうな表情だった。
「飛び降りたんだ……とても辛くて……苦しくて……」
「すまん、嫌なこと聞いちまったな」
「ううん、大丈夫。……でも不思議だね。みなとと話してると、少しだけ心が軽くなる気がする。……忘れられる気がするんだ」
今にも泣き出しそうなレナの横顔を見て、俺の胸も締め付けられるように痛んだ。
「絶対……絶対に見つけてやるからな。レナをそこまで追い詰めた原因を」
「……見つからない方がいいのかも。思い出さなくていいし」
レナは視線を落としてポツリと呟いたが、俺の決意は揺るがなかった。
必ず俺が見つけ出す。
たとえその真実が、どれほど過酷なものであったとしても。
彼女を縛る未練を断ち切ることだけが、今の俺にできる唯一の救いだと思った。
それからは場の空気を変えるように、お互いが違う方向へ話を逸らした。
だが、丸一日かけて街を歩き回ってみたものの、レナの記憶に繋がるような収穫は何一つ得られなかった。
気付けば日は完全に沈み、辺りは暗くなっていた。
そして、街を彩る看板たちが白金色に輝きだした。
朝食以降、何も腹に入れてないのに空腹感もない。不思議な違和感があった。
……そろそろ帰らないと、母さんも心配するかな。学校休んじゃったし。
そんなことを考えていると、レナが声を弾ませた。
「あっ! 猫ちゃん! 見て見て、みなと!」
どこにでもいそうな一匹の三毛猫を、珍しいものを見るかのように目を輝かせて追いかける。
けれど猫は、俺たちの気配を察してか、すぐに路地裏へ消えてしまった。
「ちょっと待って」
……いや待ってほしいのはこっちだから。
俺は仕方なくその後を追って路地裏へと足を踏み入れた。
そこで、ふと気づく。
さっきまで聞こえていたはずの、遠くを走る車の音も、住宅街の生活音も、一切が遮断されたように消え失せている。
見上げた夜空には雲一つないはずなのに、この場所だけ、星の光すら吸い込まれているような感覚に襲われる。まるですべての色彩と音を、巨大な闇がじっと飲み込もうと待ち構えているみたいだ。
マズい。
キーンと高い耳鳴りが頭を突き抜ける。空気は完全に止まっている。
空気が重い。
いや、重いなんてレベルじゃない。
気を抜けば、闇の中へと引きずり込まれそうな感覚。
「……何かが……いる!」
この閉ざされた路地裏で、“それ”だけが動いている、そんな感じだ。
ヤバイ! 何かが……来る!
「……ケテ……タス……ケテ……」
「みなと……あれ……あれなに……」
レナが俺の服の裾を震える手で掴む。
闇の奥から、ずるりと這い出してきたのは――
腹を無残に切り裂かれ、腐食したであろう若草色の腑をぶら下げている……
血に汚れた金髪の女の子が立っていた――。
「いやぁああああっ!」
レナの絶叫が響く。
いや、レナさん? 君も同類だよね?
俺はレナの姿に呆れながら、目の前の凄惨な幽霊に淡々と問いかけた。
「……で、君は誰なんだ?」
「ふぇっ?」
「はい?」
絶叫していたレナと、金髪の女の子の霊が動きを止めて俺を見つめる。
そして次の瞬間、二人が口を揃えて叫ぶ。
「「なんで驚かないのぉー?」」
レナの衝撃的な告白と、今回登場した金髪の女の子の幽霊。
物語は少しづつ進んでいきます。
今回は白金色と若草色。次回は桃色と群青色が登場します。
次話もぜひともよろしくお願いします。




