第十四・五話:泡沫のピュアホワイト
私の名前は市川ひより。
私は生まれつき身体が弱く、幼い頃から家と病院を交互に繰り返すような毎日を過ごしてきた。
学校へ通えた日は数えるほどしかなく、私には「友達」と呼べる存在は一人もいなかった。
もう少しで二十歳を迎えるというある日のこと。いつもの定期受診を終えた後、私だけが待合室に残され、両親が診察室に呼ばれた。しばらくして戻ってきた二人の顔は、かつてないほど暗く、沈んでいた。
あぁ、ついに「その時」が近づいているんだ。ずっとこんな生活を続けてきたから、いつか終わりが来ることは覚悟していた。
体調が上向くたびに抱いた小さな希望が、無慈悲に裏切られる日々に、私は自分の身体が心底嫌いになっていた。
そんなある日のことだった。私がずっと飼いたがっていた子猫を、両親が連れてきてくれた。やってきたのは、珍しい三毛猫のオスの子猫。
正直、複雑な気持ちだった。嬉しいけれど、それ以上に不安が勝ってしまう。私はあと何年、この子の面倒を見てあげられるのだろうか。
けれど、私の心配を余所に、子猫は私の姿を見つけるなり真っ先に駆け寄ってきた。そして、当然のような顔をして私の膝の上で無邪気に丸くなった。
「かわいい……」
私はその子に、泥の中でも強く逞しく育つ蓮の花のようにと、『レン』という名を付けた。今思えば、それは自分自身に言い聞かせるための名前だったのかもしれない。
レン君は、私のセーターがお気に入りだった。病気のせいで年中身体が冷え切っている私にとって、セーターは手放せない鎧のようなもの。レン君はその網目に爪を立て、毎日やんちゃに遊び回った。
それまで自分の苦痛と向き合うことで精一杯だった私にとって、小さな命の躍動を眺める時間は、何もかもが新鮮だった。
ある日、レン君が食べたものをすべて吐き戻してしまったことがあった。
「お母さん……っ、レン君が、レン君の体調が悪いみたい!」
私はパニックになりながら母を呼んだ。自分の身体のことよりも、ずっと必死に、私はレン君の心配をしていた。
やがて月日が流れると共に、驚くべき変化が起きた。私の体調が、目に見えて回復し始めたのだ。
どうせ、またいつか裏切られる。そんな私の冷めた予感をも裏切り、私は外を少し歩けるほどにまでなった。
「お母さん、裏山に行ってくる」
「あんまり、遅くなっちゃダメだよ」
「うん、分かってる」
私はレン君と、裏山の草原で遊ぶ時間が大好きだった。辺り一面に揺れる猫じゃらしを抜いて、レン君の鼻先で揺らす。レン君は必死になって穂先を追いかけ、草原を飛ぶように跳ね回った。
穏やかな風が吹く山の麓で、一緒に寝転び、追いかけっこをする。そんな夢のような日々が、一年、二年と続いた。
これまでの苦しみが嘘のように消えていく。両親も医者も「奇跡だ」と手を取り合って喜んだ。
今度こそ、この幸せがずっと続いていく。私は、本気でそう信じ始めていた。
だけど突然、その日がやってきた。
頭を割るような眩暈と、激しい立ちくらみ。視界は大きく歪み、次に気がついたとき、私は病院のベッドの上で横たわっていた。
……あぁ。奇跡なんて、やっぱり起きなかったんだ。
「……レン君。……レン君は?」
私の手を握るお母さんに訊ねると、お母さんは少しだけ困ったような顔を見せた。
「ここは病院なんだから、連れてこれるわけないでしょ……」
「……お母さん……もう……レン君には……会えないの……?」
そう口にした瞬間、止まっていた涙が溢れ出した。
「ひより、そんなこと言わないの」
「ヤダ、ヤダ。お母さん……レン君に……会いたいよ」
これが私がお母さんに言った最初で最後のワガママかもしれない。
お母さんは私を宥めるように、震える手で私の頭を何度も撫でてくれた。
そして、私は「生まれ変わったら」という、使い古された安っぽい願いを夢見るようになった。
もし、生まれ変われたら。もっと健康な身体で、レン君といっぱい遊んで、いっぱい笑って。
レン君にお嫁さんを迎えてあげて、その家族みんなで、あの裏山を駆け回るの――。
ごめんね、レン君。最後までお世話できなくて。
ごめんね、レン君。もう会えなくなっちゃったけど。
ありがとうレン君。私のところに来てくれて。
……ありがとう。レン君……。
ひより番外編 完
今回はひよりさんの番外編でした。
レンの名前の由来や、ひよりさんがなぜ夏でもニットのセーターを着ているのかを詳しく書かせてもらいました。
二人のかけがえのない日々や絆を、本編とあわせて感じ取っていただけたら嬉しいです。




