表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/26

第十四・五話:泡沫のピュアホワイト

 私の名前は市川ひより。

 私は生まれつき身体が弱く、幼い頃から家と病院を交互に繰り返すような毎日を過ごしてきた。


 学校へ通えた日は数えるほどしかなく、私には「友達」と呼べる存在は一人もいなかった。


 もう少しで二十歳を迎えるというある日のこと。いつもの定期受診を終えた後、私だけが待合室に残され、両親が診察室に呼ばれた。しばらくして戻ってきた二人の顔は、かつてないほど暗く、沈んでいた。


 あぁ、ついに「その時」が近づいているんだ。ずっとこんな生活を続けてきたから、いつか終わりが来ることは覚悟していた。

 体調が上向くたびに抱いた小さな希望が、無慈悲に裏切られる日々に、私は自分の身体が心底嫌いになっていた。


 そんなある日のことだった。私がずっと飼いたがっていた子猫を、両親が連れてきてくれた。やってきたのは、珍しい三毛猫のオスの子猫。


 正直、複雑な気持ちだった。嬉しいけれど、それ以上に不安が勝ってしまう。私はあと何年、この子の面倒を見てあげられるのだろうか。


 けれど、私の心配を余所に、子猫は私の姿を見つけるなり真っ先に駆け寄ってきた。そして、当然のような顔をして私の膝の上で無邪気に丸くなった。


「かわいい……」


 私はその子に、泥の中でも強く逞しく育つはすの花のようにと、『レン』という名を付けた。今思えば、それは自分自身に言い聞かせるための名前だったのかもしれない。


 レン君は、私のセーターがお気に入りだった。病気のせいで年中身体が冷え切っている私にとって、セーターは手放せない鎧のようなもの。レン君はその網目に爪を立て、毎日やんちゃに遊び回った。


 それまで自分の苦痛と向き合うことで精一杯だった私にとって、小さな命の躍動を眺める時間は、何もかもが新鮮だった。


 ある日、レン君が食べたものをすべて吐き戻してしまったことがあった。


「お母さん……っ、レン君が、レン君の体調が悪いみたい!」


 私はパニックになりながら母を呼んだ。自分の身体のことよりも、ずっと必死に、私はレン君の心配をしていた。


 やがて月日が流れると共に、驚くべき変化が起きた。私の体調が、目に見えて回復し始めたのだ。


 どうせ、またいつか裏切られる。そんな私の冷めた予感をも裏切り、私は外を少し歩けるほどにまでなった。


「お母さん、裏山に行ってくる」


「あんまり、遅くなっちゃダメだよ」


「うん、分かってる」


 私はレン君と、裏山の草原で遊ぶ時間が大好きだった。辺り一面に揺れる猫じゃらしを抜いて、レン君の鼻先で揺らす。レン君は必死になって穂先を追いかけ、草原を飛ぶように跳ね回った。


 穏やかな風が吹く山の麓で、一緒に寝転び、追いかけっこをする。そんな夢のような日々が、一年、二年と続いた。


 これまでの苦しみが嘘のように消えていく。両親も医者も「奇跡だ」と手を取り合って喜んだ。

 今度こそ、この幸せがずっと続いていく。私は、本気でそう信じ始めていた。


 だけど突然、その日がやってきた。

 頭を割るような眩暈と、激しい立ちくらみ。視界は大きく歪み、次に気がついたとき、私は病院のベッドの上で横たわっていた。


 ……あぁ。奇跡なんて、やっぱり起きなかったんだ。


「……レン君。……レン君は?」


 私の手を握るお母さんに訊ねると、お母さんは少しだけ困ったような顔を見せた。


「ここは病院なんだから、連れてこれるわけないでしょ……」


「……お母さん……もう……レン君には……会えないの……?」


 そう口にした瞬間、止まっていた涙が溢れ出した。


「ひより、そんなこと言わないの」


「ヤダ、ヤダ。お母さん……レン君に……会いたいよ」


 これが私がお母さんに言った最初で最後のワガママかもしれない。

 お母さんは私を宥めるように、震える手で私の頭を何度も撫でてくれた。


 そして、私は「生まれ変わったら」という、使い古された安っぽい願いを夢見るようになった。


 もし、生まれ変われたら。もっと健康な身体で、レン君といっぱい遊んで、いっぱい笑って。

 レン君にお嫁さんを迎えてあげて、その家族みんなで、あの裏山を駆け回るの――。


 ごめんね、レン君。最後までお世話できなくて。

 ごめんね、レン君。もう会えなくなっちゃったけど。


 ありがとうレン君。私のところに来てくれて。


 ……ありがとう。レン君……。


ひより番外編 完

今回はひよりさんの番外編でした。

レンの名前の由来や、ひよりさんがなぜ夏でもニットのセーターを着ているのかを詳しく書かせてもらいました。

二人のかけがえのない日々や絆を、本編とあわせて感じ取っていただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ