第十一話:桃花色の薄衣と濃藍色の拒絶
フォロワー数四百四十四人の呪いのアカウント。
その持ち主はどうやら、自分が亡くなっていることにも気づいてないようだ。
「えみ、とりあえず今の状況を確認しに行こう」
えみに案内され、辿り着いたのは駅裏にある小さなアパートだった。
「うわ、すごーい。めちゃくちゃかわいい部屋ー!」
レナの言う通り、部屋の中はピンクと白で統一された、いかにも女の子らしい空間だった。
「せやろ? ウチの好きなもんばっか集めてんねん」
「これぞ女の子って感じの部屋だな」
えみはふと視線を落した。
「外に出てるときはな、なんも考えんでええねん。やけど部屋におったらさ、いらんことばっかり考えてまうやん? 自分に向き合うこの部屋だけは、せめてかわいくしたいねん」
棚に並ぶぬいぐるみからベッドのフリルまで、すべてが淡い桃花色に染められている。
……けれど、その中央にある小さなテーブル。
そこには、スマホを握りしめたまま、うつ伏せになって動かないえみの姿があった。
「……ほんまや。ウチ、死んどる。……いつからやろ?」
イングラの投稿を遡って確認してみると、最後の更新は十日前で止まっていた。
「えみさん……ちゃんと、食事摂ってたんですか?」
目の前にいるえみの姿も、テーブルの上で冷たくなっている彼女の亡骸も、誰が見ても心配するほど肉が落ちている。
「ウチな……いじめられてたんよ」
えみが、過去をぽつりぽつりと語り出した。
「小学校も、中学校も、ずっと。『ブス、向こう行け』とか『デブ!』とか……」
子供の無邪気な残酷さが放つ一言。それが言われた相手にとって、一生消えない傷跡になることは、確かによく聞く話だ。
「やから、ウチ、学校行かへんようになってん」
そりゃ、そうなるよな。人の目が怖くなってもおかしくない。
「いつか、ウチのこと馬鹿にした奴らに『可愛くなったね』とか『綺麗になった』って、絶対に見返してやりたくて……」
その必死な言葉に、レナとミチルが痛いほど強く頷きながら聞き入っている。
「通信制の高校に入って、一人暮らし始めて……絶対可愛くなるんやって決めて、イングラ始めたん。でも、最初はやっぱり自分の顔出すの、怖くて……」
なるほど。それで最初の頃は風景や料理ばかりで、自撮りを載せていなかったのか。
「勇気出して自撮り載せたら……やっぱり『ブス』や『デブ』やって、また言われて……」
えみの大きな瞳に、大粒の涙が浮かぶ。
「そんなことないよ、えみちゃん! あんた、こんなに頑張ってんじゃん。どこの誰かもわからない奴の誹謗中傷なんかに囚われないで、もっと自分に自信持ちなよ!」
ミチル……たまにはいいこと言うな。
ピコン、と部屋にえみのスマホが通知を鳴らす。
『デブ、ブス、死ねよ』
「……ほらな。毎日くるんよ」
「……マジ、ありえなくない?! えみちゃん、見返してやろ。えみちゃんの可愛さを世界にわからせてやろ!」
ミチルの熱い宣言とともに、イングラフォロワー増大作戦が幕を開けた。
「えみちゃんはメイクばっちしだから。……はい、ミナトは外出て!」
「わかったよ……」
どうやら、服装によって体のラインを隠す作戦のようだ。
「えみさん、あんまり肉はないけど……付いてるところは、ちゃんと付いてるんですね」
「これ? ……これのせいでな、昔“牛乳”や言われてん。重いし目立つし、こんなもんない方がマシやで、ホンマ」
「痩せててもミチルさんよりはボリュームありそうな……」
「アンタ、本気で呪い殺すわよ!?」
部屋の中から、女子幽霊三人の楽しそうな声が聞こえる。
「みなとー? もう入ってきていいよ!」
オーバーサイズの服装で体型を隠して、視線を外す作戦か。でも――。
「……やっぱり、服の余り方が分かりすぎるというか。もうオーバーサイズってレベルじゃないかもな」
特に肩のラインが全く合っていない。
布地が泳ぎすぎていて、かえって中の細さが強調されているような気がする。
「えみちゃん、メイク超バチバチだし顔面偏差値エグいから。ドアップ自撮り作戦でいっちゃお!」
なるほど、首筋や肩のラインが目立ってしまうなら、いっそ顔だけに絞ればなんとかなるかもしれない。
それから、試行錯誤すること一時間。
だが、どれだけ照明を工夫しても、レンズを向けるとどうしても削げ落ちた頬骨の影が深く入り、窪んだ瞼が陰影を作ってしまう。
「……やっぱり、ウチなんかじゃ、可愛くなられへんのや……」
えみが膝をつき、ポロポロと涙を流し始めた。
非情なタイミングで、ピコンと机の上のスマホが震えた。
『デブ、ブス、死ねよ』
また、あの無機質な通知だ。
「……っ、ひっどい! なんなのこの人、最低すぎる!」
レナの怒りは今にも爆発しそうだったが、俺はなんとか彼女をなだめた。
その時、えみの机の上の本棚から本が一冊、バサリと落ちてきた。
「なんだ、これ」
俺が拾い上げようと手を伸ばすと、えみが血相を変えて奪い取ろうとする。
「あかん! それだけは見んといて! ウチの黒歴史やねん!」
その声は、自分の存在そのものを塗りつぶそうとするような、深い濃藍色の拒絶に染まっていた。
しかし、指の間からパラリとめくれたページには、今の彼女からは想像もつかない、笑顔の写真が何枚も並んでいた。
「……え、えみさん。これ、めっちゃ可愛い……!」
レナが思わず、うっとりとした声を上げる。
「うそやん、絶対嘘や……」
「いや、えみちゃん、これマジでイケてるじゃん! 超絶映えてるし」
ミチルも身を乗り出して、その写真を食い入るように見つめた。
そう、その一冊は、まだ見た目という呪いに縛られる前の、健康的な体型をしていた頃のえみのアルバムだった。
お世辞抜きで、誰の目にも魅力的な少女がそこにはいた。
「……本当だ。このえみ、すげえ可愛いよな」
俺が本気で呟くと、レナとミチルも「だよね!」と激しく同意した。
「……そんなん、絶対嘘や。……ウチ、騙されへんよ」
「いや、マジだって。試しにさ、この写真アップしてみない?」
ミチルのイケイケな提案に、俺とレナも身を乗り出して賛成した。
「……みんながそない言うんやったら。でも、ほんまに一枚だけやで?すぐ消すかも」
えみはおずおずと、震える指先でスマホを操作した。
画面が切り替わり、健康的な輝きを放っていた頃の彼女が、タイムラインに躍り出る。
「……アカン、怖すぎて見られへん!」
えみが顔を覆った時だった。
「ピコンッ!」
静まり返った部屋に、イングラの通知音が連打し始めた。
いいねの数は瞬く間に三桁を突破し、コメント欄が滝のように流れ落ちていく。
『え? めっちゃかわいくね?』
『呪いのアカウントって聞いたから来てみたけど、かわいすぎて草』
『ガチ推ししていいですか?』
「ほら、えみ。自分の目で見てみなよ」
俺が差し出したスマホの中で、えみのイングラのアカウントは、もはや制御不能なほどの勢いで通知を刻み続けていた。
フォロワー数はあっという間に四桁を突破した。
「嘘や……ほんまに? ウチ……認められたん? ほんまに可愛いって、言ってもらえてるん……?」
えみの大きな瞳から、涙が次から次へと溢れ出した。
それを見て、レナもミチルも「よかったね……!」と声を詰まらせ、抱き合うようにして泣き出した。
「ウチ、めちゃ痩せなアカン思って頑張ったけど……ウチ、認められたんやんな? ウチ、もう……頑張らんでもええんやんな?」
「ああ、えみ。お前はもう、十分に頑張ったんだ。ありのままの、そのままのえみの魅力をみんなが分かってくれたんだ」
「そうだよ、えみさん。その必死な頑張りも含めて、みんなにちゃんと届いたんだよ」
俺とレナの言葉に、えみは何度も、何度も深く頷いた。
「ウチ……。嬉しい。みんな……ほんまに、ありがと……」
――その翌日。
連絡が取れないことを不審に思ったえみの母親によって、彼女の亡骸は静かに発見された。
アパートも間もなく引き払われることになった。
「えみさん、イングラ辞めたんだってね」
「そうだろうな。目的は達成されたし、もう数字に縛られる必要もなくなったんだろ」
「あの誹謗中傷送ってきてた奴だけは、あーしが気合い入れてシバいてやりたいくらいだけどね!」
ミチルが鼻息を荒くして拳を振りあげた。
「……それなら、心配ないよ」
「どういうこと?」
「あれは、自分が自分に送ったメッセージだったんだ」
メッセージの送り主は、えみ自身だった。
もっと痩せなければ、もっと綺麗にならなければ。
自分を極限まで追い込むための、悲しい自傷行為。
イングラの華やかな画面の裏側で、彼女は自分で自分に呪いをかけ続けていたのだ。
「みなと、知ってたの……?」
「……途中からだけどな」
「ふーん……。みなとって、やっぱりすごいね」
「どこがだよ」
「ううん。ミチルさんのことも解決して、えみさんのことも解決しちゃった」
「運がよかったってのもあるだろ」
「……でも、そういうところ……かっ……」
「か? かってなんだよ」
「ううん、なんでもなーい」
レナは俺の周りをフワフワと浮遊しだした。
けれど、終わっていないこともたくさんある。
レナの手がかりは依然として霧の中だし、ひよりさんの探している三毛猫のことも。
そして、あの学校の教室で出会った、首の折れた少女のことも気がかりだ。
やるべきことが山積みで、一歩ずつでも進めているのかも分からず、焦りの気持ちだけがつのっていった。
第十一話までお読みいただき、ありがとうございます。
えみの物語、いかがでしたでしょうか。
「呪いのアカウント」の正体は、認められたい一心で命を削り、死してなおスマホを離せなかった一人の少女の未練でした。最後に彼女が流した涙が、これまでの「濃紺色」の拒絶を塗り替えるような、温かな色であったことを願っています。
今回は桃花色と濃藍色でした。
次回は宮坂先輩と湊の番外編を挟みます。
お付き合いいただけたらうれしいです。




