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第九話:橙色の温もりと、黒鉄色の独り善がり

 俺たちが呆気にとられている間も、彼女のマシンガントークは止まらない。


「ほんでなぁ、この写真見てや! これこれ、めっちゃイケてるやろー? なのになぁ、全然フォロワー増えへんねん。なんでやろなぁ? ウチ、こんなに頑張ってるのに!」


 差し出されたスマホの画面を覗き込む。確かにイングラに並ぶ写真は、色彩から構図まで驚くほど丁寧に計算され、こだわり抜かれた仕上がりだ。


「……あれ? フォロワー、四百四十三人になってるぞ?」


 昼間に確かにミチルがボタンを押したのに、フォロワーは減っている。誰かが気味悪がってフォローを外したのだろうか。


「……やっぱりや。誰もウチのことなんか見てくれへんねん。なんで……なんで……みんな、すぐいなくなるん……?」


 その場の空気が、一瞬で凍りついた。

 認められたいという肥大した承認欲求が、行き場をなくしている。筋張った細い肩が怒りと悲しみで激しく震えている。


「ちょ、ちょっと……落ち着いて……」


 俺がなだめようとしたその時、スマホの通知音が鳴り、数字が再び四百四十四に増えた。


「あ! やったわ、四百四十四人や! 感謝伝えにいかな! ウチ、行ってくるわ。フォロワー外さんといてやー、頼むでー!」


 嵐のような勢いで、彼女は夜の闇へと消えていった。


「……なんなの、今の……?」


 ミチルとレナは、口を開けたまま立ち尽くしている。

 悪い幽霊ではなさそうだが、ゾロ目になるたびにコレを繰り返しているのだとしたら、それはそれで立派な迷惑だ。


「気になるのは分かるけど、まずは自分がどこに入院しているのか調べた方がいいんじゃない?」


 レナの意見は、ぐうの音も出ないほど正論だった。

 明日はまず、自分が今どこにいるのかから調べよう。


――


 翌日。

 いざ探し始めようとして、すぐに壁にぶち当たった。


 母さんはおそらく病院に付きっきりで家には一向に帰ってこないし、手がかりもなしに街中の病院をしらみつぶしに回るのは、あまりに無謀すぎる。


「……仕方ない。学校にでも行ってみるか」


 正直、あまり気乗りはしなかった。

 校舎を歩けば、どうしても宮坂先輩の姿を探してしまう。

 今の俺にとって、先輩の顔を見るのは、何よりも辛いことだった。


 誰もいない教室や、慌ただしく電話が鳴り響く職員室をこっそり覗いて回った。

 だが、俺の病名や搬送先が記された書類なんて、そう簡単に見つかるはずもなかった。


「……いよいよ、市内の大きな病院をしらみつぶしに回るしかないのか?」


 途方に暮れながら廊下を歩いていた、その時だ。


「お願いしますっ!」


 切実な叫びに反射的に振り返ると、そこには宮坂先輩が立っていた。

 今、世界で一番会いたくない、直視するのが辛い相手だ。


「先生、お願いです。瀬戸くんが今どうなっているのか、教えてください……!」


 え……?


 予想外の言葉に、俺の思考が停止する。先輩が、俺のことを探していた?


「いや、宮坂さん。こればっかりは瀬戸くんのお母さんの意向もあるし、学校側が勝手に教えるわけには――」


 困り顔の神保先生に、先輩は一歩詰め寄った。


「家に行っても、誰もいなかったんです! 何度も通ったけど、誰もいないみたいで……。だから、お願いします! 教えてください!」


「そうは言ってもな……」


「だって、私のせいで……っ! 瀬戸くんは……」


 先輩の、後ろで丁寧に結ばれた髪が激しく揺れる。

 その瞳からは、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出していた。


「……わかった。一度、瀬戸くんのお母さんに連絡を取って確認してみる。今日の放課後、もう一度ここへ来なさい」


 神保先生の言葉に、先輩は何度も大きく頷き、涙を拭いながら走り去っていった。


「あー、あれ? レナちゃんが言ってた噂の……」


「今更思わせぶりな態度取るなんて、私には信じられないかも」


 ミチルとレナの機嫌が、目に見えて悪い。


「……ちょっと待てよ。落ち着いて。確かに俺はフラれた。でも事故ったのは、自分のせいだから」


 必死に弁明しようとしたが、先輩の姿を見てニヤケてた顔は誤魔化せなかった。


「ふーん。……別にいいけど」


 レナが、ぷいっと顔を背けて拗ねてしまう。


 でも、あの宮坂先輩が俺のために泣いて、必死に行方を探してくれていたなんて。

 そう考えるだけで、あの時の絶望から救われた気がしたんだ。


 放課後。神保先生が母さんに連絡を取ってくれたようで、宮坂先輩にメモを渡しているのが見えた。


『県立 霧ヶ崎病院』


 病室の番号も、面会時間も分かった。


 ……ま、俺たちには面会時間なんて、関係ないけどな。


 夕方、俺たちはオレンジ色に染まる病院内を歩き回り、目当ての病室を探し当てた。


「なんか……急に緊張してきたな」


 病室の扉の前で、俺は大きく深呼吸をした。


「気持ちはわかるよ。あーしもさ、自分の身体を見るの、マジで怖かったし」


 鼓動は聞こえないはずなのに、胸の奥が騒がしい。俺は意を決して、病室の重いドアをすり抜けた。

 そこには、管に繋がれベッドに横たわる俺の姿と、その手を握りしめている母さんの姿があった。


 ……そうか。母さんは、ずっとここで俺の手を離さずにいてくれたんだな。


 ありがとう、母さん。


「今なら、戻れるんじゃないの? アンタ」


「そうだよ、みなと。早く戻って安心させてあげた方がいいよ」


 ミチルとレナが、俺の背中を押すように囁く。

 確かに、今この身体に戻れば、俺の物語はここで解決するのかもしれない。


「今は……それはできない」


「みなと……」


「あの日、俺のベッドの隙間に現れたレナのこと。やっぱり放っておけないんだ」


『飛び降りたの……』


 あの時の、絶望の淵に立たされたような顔で告白したレナの表情が、脳裏に焼き付いて離れない。


「何言ってんの。あんた、戻れなくなるって忠告したじゃん」


「わかってる。母さんのことだって、これ以上悲しませたくない。親父が死んでから、女手一つで俺を育ててくれたんだから」


「だったら、なおさら……」


「母さんなら、分かってくれると思うんだ」


 俺は母さんの肩に優しく手を置いた。


「……ごめん、母さん。もうちょっとだけ。あと少しだけ、待っててくれないかな」


 その時。


 ベッドの上の俺の指先が、ぴくりとかすかに動いた。


「湊……。お母さん、いつもここにいるから。焦らなくていいのよ。ゆっくりでいいからね。ゆっくり……早く、元気になろうね」


 母さんの掠れた声が、病室を満たしていく。


 その言葉に、レナとミチルは声を殺して泣き出した。


 そこには、夕暮れ時の橙色の陽だまりのような、切なくて温かい空気が流れていた。


 母さんの温もりや優しさに、後ろ髪を引かれながらも、俺たちは静かに病室を後にした。


「あの先輩、結局来てなかったね」


「あんだけガチ泣きしてたの、ワンチャン嘘泣きだったんじゃね?」


 病室には、宮坂先輩の姿はどこにもなかった。あんなに必死だった彼女がいないことに、胸の奥が少しだけチクリと痛む。


「……まあ、急な用事で、来られなかったのかもしれないしな」


 自分に言い聞かせるように呟きながら家路を急いでいると、前方から見覚えのあるシルエットが歩いてきた。

 あの、イングラ女子だ。


「なーなー、イングラのフォロー、外してへんよね……?」


 ミチルが慌てて首をフルフルと横に振る。


「……なんでやろ。なんで、ちっともフォロー伸びんのやろか」


 今日の彼女は、昨日までの勢いが嘘のように肩を落としていた。


「ええと……君、名前は?」


「ウチ? 苅谷かりやえみ。……えみって呼んで」


「よかったら、もう少し詳しく話を聞かせてもらってもいいかな?」


「ちょっと、ミナト。アンタ寄り道してる余裕とかマジでなくない?」


 ミチルが呆れたように、鋭い口調で釘を刺してくる。


「だけど、放っておけないだろ」


 成仏もできずにこんなに悩んで彷徨ってるんだから。


「……お人好しにもほどがあるっつーの」


 ミチルが腰に手を当てて、本気で心配そうに眉をひそめる。


「でもさ。そのお人好しのおかげで、ミチルとカイトをもう一度会わせることもできたんだ。ミチルのことも少しは救えただろ?」


「そ、そりゃそうだけどさ……っ」


 図星を突かれたのか、ミチルはバツが悪そうに頬を染めた。


「あんなー……イングラ始めたのは最近なんよ。最初はすぐにフォロワー数伸びたんやけど、自撮り追加した辺りから全然伸びひんくて……」


 えみが差し出したスマホの画面。食事や景色の写真は、どれもこれも凄く綺麗に撮れている。

 構図も色彩も、センスの塊だ。


 問題は、その合間に差し込まれた自撮り写真だった。

 メイクこそ完璧に作り込まれている。けれど、やはりそのシルエットが、見る者に生理的な動揺を与えてしまう。

 服の隙間からのぞく鎖骨は浮き上がり、手首は今にも折れそうなほど筋張っている。

 正直、見ていて痛々しいレベルだ。


 ……だけど、それを本人にどう伝えればいい?


 こういうのは同性同士の方がいい。

 俺は助けを求めるようにミチルを見たが、「あーし、こういうの苦手だし」とばかりに首を左右に激しく振った。


 なら、レナだ。

 視線を送ると、レナは「任せて」と言わんばかりに自分の胸を小さく叩いた。


「あのー、えみさん。……ちょっと、痩せすぎじゃないですか?」


「……おいおい、直球すぎだろ」


 レナの予想外のダイレクトな一撃に、俺の方がヒヤリとした。


「ちゃうねん。ウチな、もともと、めっちゃデブやってん。それをな、みんなにデブやブスや言われたから……ウチは痩せないかんねん」


「……それを、誰に言われたんだ?」


「SNSのコメントやで」


 そんな、どこの馬の骨かも分からない奴らの言葉に……。


「毎日くるんよ。『デブ』だとか『ブス、死ね』って」


 ネットのいじめの陰湿さは、確かに耳にする。

 自分の顔を隠せていると思い込んでいる連中が投げつける、無機質で重苦しい黒鉄色くろがねいろの言葉の塊。

 そんなものに心を左右される必要なんてないはずなのだが。


「やからな……ウチは、もっと痩せて綺麗にならなアカンねん」


 えみが縋るように呟く。


「……そうまでして、誰かに認めてもらいたいものなのか?」


「わかるよ、えみさん」


 俺の戸惑いを遮るように、レナとミチルがそっとえみの細い手を取った。


「女の子は、いつだって可愛くありたいもんだもんね」


「そうそう。みんなに可愛いって言われたい。それって、マジで大事なことだし」


 ……そういうもんなのかね。男の俺には計り知れない執念だが、このまま放置すれば、彼女は永遠に自分への呪いを繰り返すだけだろう。


「……よし。じゃあ、みんなで協力してフォロワー増やす作戦するか」


「え、ええの……? ウチなんかのために……」


「もちろん」


 こうして俺たちは、イングラの“幽霊アカウント”のフォロワーを増やすという、前代未聞のミッションに奔走することになった。

第九話までお読みいただき、ありがとうございます。


物語の大きな転回点となりました。

ついに湊の本体が「霧ヶ崎病院」で見つかりましたが、彼はあえて「戻らない」という決断を下しました。母親に手を握られながら、あと少しだけ時間を乞う湊の姿に、胸が締め付けられる思いで筆を走らせました。


イングラ女子の名前も判明しました。次回は彼女の物語が進みます。


さて、今回は橙色と黒鉄色でした。次回は薄氷色と向日葵色が登場します。

次回をお楽しみに。

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