第八話:桜色の希望と、秘色の夢
生者に触れるほど強い力を使うと、それだけ元の身体に戻れなくなる。
それが、本物の幽霊であるミチルからの忠告だった。
今の自分が、生霊なのか、それとも幽体なのか、もしくは幽霊か。
自分でもその境界が、はっきりとは分からない。
「……そういや、ミチルは成仏しないのか?」
ふとした疑問を投げかけると、ミチルは頬を緩ませ、恋する乙女全開の顔で答えた。
「だってぇ、カイトのことはずっと見ていてあげないとだしー。それに、アンタたちのことも気になるし?」
今のミチルからは、あのおぞましい負のオーラは微塵も感じられない。
苦しい片想いを経て、ようやく想いが通じ合った。
今の彼女を包んでいるのは、満開の桜色をした、柔らかな希望のオーラだ。
とはいえ、俺たちにはまだ、片付けなきゃいけない問題が山積みだ。
俺自身の身体のことも、そして、いまだ正体不明のレナのことも。
だが、レナの手がかりを掴もうにも、これといった足がかりが何もない。
「そういえば、ミチルはもうどこにでも行けるようになったんだな」
「んー、あんまよく分かんないけど、身体も見つかったし、もう縛られるものもなくなったから……かな?」
「じゃあ、なんでレナは何も分からないのに行動範囲に制限がないんだ?」
俺が視線をやると、レナはキョトンとした顔で俺とミチルの顔を交互に見つめた。
「それもよく分かんないけど……。もしかしたらどこかから逃げたがってるのかも?」
ミチルの言葉に妙に納得を覚えた。
ミチルは生前の執着で路地裏に縛られていた、一時的な地縛霊のような状態だったが、レナの場合は嫌なことから目を逸らしたくて色んな所へ行ける浮遊霊のような存在。そういう考えもあるのか。
「……いや、待てよ。もしかしてミチルなら、レナの着ている制服に見覚えが――」
「あー、無理無理。あーし、高校なんてマジで行ってなかったし」
……そうなるかぁ、ちょっとは期待したんだが。
そうなるともう、お得意の街ブラ作戦しかない。
あてもなく歩いていると、レナがある店舗の前に飾られた『ミスプル』のポスターの前で、ふと足を止めた。
「……新曲、出るんだ……」
少し悲しそうに俯くレナに、俺はミチルに視線を送る。
「レナちゃんはミスプル派なんだ。あーしは『ウルフボーイ』派かなー」
「あ、分かります! カッコいいですよね。特に『ネネ』根室ルイくんが」
ミチルの絶妙な話題振りに、レナがぱっと目を輝かせた。
「あー、あーし、ローリー推しなんだよねー。……カイトに似てるし」
会話が一瞬そこで止まり、気まずい沈黙が流れる。
だが、その空気を切り裂くように救世主が現れた。
「あー、見てー! 猫ちゃん、ほらほら!」
「マジじゃん! 超かわいーんですけど!」
路地を横切る一匹の野良猫に、女子二人が色めき立つ。さっきまでの沈鬱な空気はどこへやら、二人は子供のように猫を追いかけ始めた。
「レナは本当に猫好きだな」
「うん。本当はお世話したかったんだけど、お母さんに絶対ダメって言われたんだ……」
少し寂しそうに笑うレナ。そんな彼女を余所に、俺は無意識に鼻の頭を掻いた。
「猫なぁ……。俺はアレルギーがあるから、正直苦手なんだよな……」
「うっそマジ!? アンタ、それ人生の半分は損してるわー。信じらんない!」
ミチルの容赦ないツッコミが入る。
いや、見た目の可愛さは認めるけどな。
「あ、行っちゃう! 待って、どこ行くのー?」
好奇心の塊であるレナの悪い癖が発動する。
ふらふらと猫を追いかけて裏路地を抜け、気がつけば、樒ヶ原高校の校門前に辿り着いていた。
「……アンタたち、自分たちがどうなってるのか調べる気、ホントにないでしょ?」
呆れ顔のミチルによる正論が、ぐさりと刺さる。
校庭を横切り、校舎へと吸い込まれていく生徒たち。
そのざわめきの中に、またあの奇妙な噂が混じっていた。
「イングラの四百四十四の噂、あるじゃん?」
「知ってる。それがどうしたの?」
「クラスの子がさ、本当に四百四十四番目のフォローをしちゃったんだって。そしたら、昨日の夜……出たらしいよ」
「うそ、何が?」
「痩せ細った、女の子の幽霊だって――」
「やだ、マジ? 怖すぎなんだけど!」
……怖すぎ、か。
君たちのすぐ横に、ホンモノが二人も並んで歩いてるんだが。
幽霊の実在を身をもって知っている以上、その噂もただの怪談とは思えなかった。
ふと視線を校門の脇へやると、そこには宮坂先輩と担任の神保先生の姿があった。
先輩は何かを必死に、すがるような表情で訴えているようだったが……。
今の俺には、彼女のことをまともに考えられるだけの心の余裕も残っていなかった。
「見つけた。これじゃね?」
ミチルがドヤ顔でスマホを差し出してきた。
画面には、SNSの一つ『インスタントグラファー』――通称イングラのページが開かれている。
投稿されているのは、どこにでもある綺麗な景色や、キラキラした美味しそうな料理。
だが、その中央に写っている女の子の姿に、俺は思わず息を呑んだ。
「……これ、あまりにも不自然じゃないか?」
豪華な料理を前にした彼女の体は、まるで枯れ枝が服を着ているかのように細い。
「メイクはバリバリに決まってんね、この子。……だけど」
よく見れば、大きな瞳を縁取る派手なメイクも、盛りすぎたヘアスタイルも、その痛々しい輪郭を必死に隠そうとしているかのようだった。
「でも、これフォロワー数が四百四十三になってるから、噂とは違うんじゃない?」
確かに、さっき耳にしたのは四百四十四の噂だ。一人足りないし、ただの人違いかもしれない。その時だった。
「とりあえず、ポチッとな」
「うわ、ミチル! 何してんだよ!」
俺の制止も聞かず、ミチルの透けた指がフォローボタンを押した。
「だってぇ、こういうゾロ目って狙いたくなるじゃん? 七七七とかさ」
……もう、何が起きても知らないからな。
結局、追いかけていた猫も見失い、レナの手がかりも掴めないまま、時間だけが過ぎていく。
――
夕方。
家に帰っても、あれから母さんの姿を見かけることはなくなった。
俺がまだ死んでない可能性があるということは、どこかの病院にでも入院しているんだろう。
つまり、ずっと病室で付きっきりなんだろう。母さんのことも心配だ。
しかし今はレナの事も気にかかる。
せっかく乗った船を途中で降りるのも違う気がするし、俺は元々視える体質だったけど、幽霊の声を聞いたことはなかった。
今自分の身体に戻れたとしても、レナたちの声が聞こえなくなるなら、手がかりを見つけるのはますます困難になるだろう。
「母さん、ごめん。もう少しだけ時間がほしいんだ」
心の中で、届かない謝罪を呟いた。
「ねぇ、ねぇ。ポテチないのー?」
「ミチルは食べられるのか?」
「んー、未練が無くなったからかなー? めっちゃお腹すいたんですけど」
成仏はしてないけど、仏様に近くなったということか?
「私、食べられないし。……指スマでもやるー?」
あのな……。俺の部屋は幽霊たちの溜まり場じゃないんだから。
勝手知ったる様子でくつろぐミチルとレナに溜息をついた、その時だ。
「カシャンッ」
また一階から、乾いた音が響いた。
駆け降りてみたが、やはり母さんの姿はなく、台所に置いてあった皿が床に落ちて割れている。
「なんだ? この前から……ポルターガイストか?」
「ちょっとみなとやめてよー」
その時、玄関の方から物音がする。
トタ……トタ……。
乾いた硬い音が、廊下を這うように近づいてくる。
「なになに?」
「誰? マジ怖すぎるんですけど!」
俺たちが身構える中、その影が現れた。
手足は枯れ木のように痩せ細り、今にも折れてしまいそうだ。
細く筋張った首に支えられた頭部には、不自然なほど大きな瞳と、完璧なグラデーションを施されたアイシャドウ。
しかしどこか作られたような秘色の顔色。
昼間、ミチルが見つけたイングラの女の子――。
噂は、本当だったんだ。
目の前に現れたこの子もまた、世の中に強い未練や恨みを残し、こうして夜の街を徘徊しているのだろうか。
「いやあああああッ!!」
レナとミチルは、自分が幽霊であることも忘れたかのように抱き合って震えている。レナはともかく、ミチルまでそうなっちゃうのかよ。
「…………」
女の子の唇が微かに動く。だが、何を言っているのか全く聞き取れない。
怨嗟の言葉か、それとも呪いの呪文か……。
「…………」
耳を澄ませても、やはり細い空気の漏れるような音しか聞こえない。
俺は、最悪の事態を覚悟して一歩前に出た。
「……何か思い残したことがあるなら、聞いてあげる。俺にできることなら力にもなる。だから、何が言いたいのか、もう少しはっきり話してくれないか?」
すると、その幽霊の女の子は、とても小さい口をゆっくりと開いた。
「――四百四十四人目のフォロー、マジあざまるすぎるんやけど! このゾロ目、めっちゃエグない? こんなキリええ数字踏んでくれるとか、ホンマ感謝なんですけどー!」
「……はい?」
俺たちは、呆然としたまま顔を見合わせた。
第八話までお読みいただき、ありがとうございます。
カイトを救い、希望の「桜色」を纏ったミチルが仲間に加わりました。賑やかになったのは良いのですが、湊の身体に関する不穏な警告や、消えた母親の行方など、解決すべき問題はますます深まっています。
そしてイングラの呪いのアカウントの幽霊が登場しました。
関西弁を話し、とても明るい雰囲気の彼女ですが、果たして?
今回は桜色と秘色が出ました。次回は橙色と黒鉄色が登場します。
次回をお楽しみに。評価や感想なども是非お願いします!




