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第七・五話③:絶望のディープ・マゼンタ

 俺の前で健気に笑うミチル。

 俺は彼女に本当のことは言えなかった。


 本当はこれ以上誰も巻き込みたくなかったんだ。

 これ以上、誰も辛い思いをさせたくない。

 もし、ミチルと俺が店外であってるのを、亜久須さんが見たら、きっと標的がミチルになってしまう。それだけは避けたかった。


「なぁ、ミチル、もうこの店に、無理して来る必要はないから」


「……なんで? 嫌だ。カイトに会いたい」


「お金だって相当使ってるだろ……もうやめなよ」


「……大丈夫だよ。あーし、カイトに会うためだったら――」


 ミチルの震える声を俺は止めた。そして誰にも聞こえないように耳元に唇を寄せた。


「……それなら、俺の家に来るといい。そこでならゆっくり話せるから」


「……ほんと? マジ……? 嬉しい……!」


 ミチルは、これまでにないほど目を輝かせて喜んだ。


 それから、ミチルはたまに俺の部屋に来るようになった。

 生活感のない、最低限の家電しかない部屋。


「へへー、カイト。ほらチャーハン作ったよ」


 慣れない手つきで、料理をしてくれたりもした。


「凄いじゃん、ミチル。めっちゃうまそう」


「っしよ? こう見えてあーし料理得意なんだ」


 誇らしげに胸を張る彼女に応えて、さっそく一口運んでみる。……けれど、口の中に広がったのは予想外の甘みだった。


「……う、うまいよ……ミチル。……味付けが独特で」


「あれ、カイト、なんで?」


 ミチルも一口食べては顔をしかめた。


「……ごめん、カイト。塩と砂糖を間違ったかも」


 俺たちは顔を見合わせて大笑いした。

 俺にとって、この何気ない二人の時間がとても大切だった。


「……ねぇ、カイト。今日泊まってっていいー?」


「ダメ。うち狭いしさ。布団もないし」


「いーじゃん、いっしょに寝れば」


「布団買っとくからさ、今日はごめん」


 ミチルは「ちぇー」と頬を膨らませてるが、もう後少ししたら、新聞配達に行かなきゃいけない。

 その理由をミチルには知られたくなかった。


 ――それなのに。


「ミチル、なんで……店に」


 その日のミチルはとても悲しそうに、思い詰めたような顔をしていた。


「……ひどいよ、カイト。借金があるならそう言ってくれたらよかったのに」


 俺は思わず椅子から立ち上がった。


「誰からそれを聞いた!」


「マスターが、あーしのお店に飲みに来てさ、カイトが借金があるから助けてやってくれないかって」


 クソっ。亜久須さん、そんな所まで手を回していたのか。


「シャンパンください。一番高いやつー」


「何言ってんだミチル。一番高いやつは100万超えるんだぞ」


「いいよカイト……あーし、その覚悟で来てるから。カイトを助けるためなら、何だってする」


(……この子もまた、他の子と同じように……)


 それからは、ミチルに二度と店に来ないように強く釘を刺した。

 そして……ミチルには酷だと思ったが、俺は直接現金をミチルに要求するようにした。

 店に金を入れるくらいなら、その方がマシだ。そう自分に言い聞かせた。


「……ミチル」


「分かってるよ……これ」


 ミチルは何も聞かずに現金を差し出す。

 バカだよ。本当に単純で、大バカで。


 そして俺は卑怯で、何も出来ない弱虫だ。


 ミチルもお金の工面には苦労しているんだろう。以前よりさらに身体は細くなったし、かなり疲れた顔をしている。

 それでも俺と一緒にいる時だけは、無理をしてでも、いつもの屈託のない笑顔を見せてくれる。


「ミチル……ごめん。いつか、全部終わらせて……幸せになって……結婚しような」


 俺はミチルの細い身体を強く抱きしめた。ミチルは俺の胸に顔を埋め、とびっきりの笑顔で、震える声を出した。


「……うん」


 しかし、ある日キャストから不穏な噂を聞いた。


「お前のお得意さん、夜の店に堕とされたらしいな……」


 俺の店の売り上げはこの頃、トップだった。

 だけど、中には身に覚えのない売り上げが上がっていて、不思議に思っていたのだ。

 その時知ったのだが、ミチルが店にやってきて、俺に内緒で、何度も、何度も、高級なシャンパンを入れていったというのだ。


 ミチルが破滅する。……なんとかして守ってやらないと。


「もう、会えないし、店にも来ないでくれ」


 俺はスマホを取り出し、ミチルに告げた。


――


 あーしが電話を取ると、カイトが一方的に告げた。


「やだ……。カイト、なんで? 結婚するって、言ったじゃん……!」


「……もう、無理なんだよ」


 カイトはそう言い残して、一方的に電話を切った。


 それから家に行っても、カイトはいつもいないし、店に行こうとすると、他のホストから「カイトから入店禁止って言われてるから」と断られた。


「カイトに……裏切られたの……?」


 これだけ尽くして、身を削ってお金を渡して、全部を彼に捧げてきたのに。

 これがホストのやり口なの? 嘘でしょ……カイト。


 嘘だよ。そんなの嘘。

 カイト。話がしたい。声が聞きたいよ……。


 ……カイトがもし、あーしを裏切ったんだったら……あーし……カイトを……。


 そんなある日、またお店に亜久須さんが来た。


「お嬢ちゃん、店のツケも相当貯まってるし、そろそろなんとかしてくれないと困るな」


「……分かってますけど……あーし、もうこれ以上は……」


 あーしの身体はもうボロボロだ。お金なんてどこにも残っていない。

 すると亜久須さんの顔が凄く怖い顔してて、あーしの事を睨んでいた。


「……お嬢ちゃん、カイトが会いたがってるからお店においで」


 そう言って亜久須さんは帰っていった。


 え? カイトが会いたがってる? やっぱり、カイトはあーしのこと、ちゃんと思っててくれてるんだ。


 あーしは、マリオネットの店内へと久々に入った。

 着いたのは店の一番奥のテーブル。なんだか裏口の近くに通された。


 あーしの姿を見て、カイトが慌てた様子で駆け寄ってきた。


「……なんでだよ、ミチル。もう来るなって言っただろ!」


 ……なんで、そんなに怒ってるの? カイト、あーし、会いたくて来たんだよ……。そんな怖い顔、しないでよ。


 耐えきれなくなって俯くあーしに、カイトは「いいから今すぐ帰れ」と言い残してどこか行っちゃった。


「お嬢ちゃん……これ、カイトからだ」


 一人取り残された席に、亜久須さんが音もなくお酒を置いていく。

 その顔が、とても冷たくて、怖くて……見ていられなかった。


 あーしは、一口、そのお酒を飲む。

 赤くて、ほんのり紫がかってるお酒。一体なんのお酒だろう……。


 遠くのテーブルで、カイトは他の女の子を相手している。


 ……捨てられちゃったのかな。……あーし。


 頭が急にぼんやりとしてきて、座っているのも……なんだか……辛くなってきた。


 それでも、遠くにいるカイトの横顔を追いかけた。

 カイト……。やっぱりかっこいい……な。


 ……大好き……カイ……ト。……愛して……る……。


ミチル番外編 完

読んでいただきありがとうございます。


ミチルとカイトの物語がこれで全て明らかになりました。

この後、本編である7話をもう一度読んでもらえると、湊の言葉がどれだけ重みのある言葉かが分かると思います。


ミチルには本編で辛い思いをさせ、またこの番外編でも悲しい思いをさせてしまい、書いてる自分も胸が苦しかったです。


引き続き、評価や感想などで応援いただけると執筆の励みになります!

次回も是非読んでもらえるとうれしいです。

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