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 ◆◆◆◆◆◇◇


 


 気がつけば、家の庭に立っていた。

 手に持っているのは、両手いっぱいの深紅の薔薇の花と宝物の入った小さな箱。

 あいかわらず本気なのだろう口調で、

『結納の品ですよ。ご両親に』

と、手渡された記憶がある。

(オレんこと本気で嫁にする気なのか??)

 左手の指輪と箱を見比べながら、脱力するリヒトだった。

「リヒトっ」

 その時、ばたんと大きな音がしたと思えば、それよりもひときわ大きな声がして、

「うわっ」

 抱きしめられていた。

 深紅の薔薇が音もなく地面に散らばる。

「お、おふくろ………」

 ぎゅうぎゅうと力まかせに抱きしめられて、息が苦しい。

 それでもひとしきり確かめて納得がいったのか、ようやくきつい抱擁からリヒトを解放して、

「ばかっ!」

 パシンと、リヒトの頬が鳴る。

「イテッ」

 音ほどには痛くない。

「親をこれだけ心配させて、いったい今までどこにいたのよっ」

 涙を流しながら母親が喚く。

「…ごめん」

「もういいだろう? ほら、家にお入り」

 そう言って宥め役を買って出たのは、父親だった。

「ごめん、おやじ」

「しんぱいかけて、ごめん、ばーちゃん」

「ほんとにこの子は」

 祖母が涙ぐむ。

「いったいこの荷物はどうしたの。それに、その格好」

 心配事のなくなった母親は、すぐに現実に立ち返る。

 そうして、そこには、父がテーブルの上に置いた薔薇の花と箱とを、矯めつ眇めつする母がいた。

 リヒトの上着の裾を引っ張り、布の具合や縫い目を確かめる。

「こんな上等なの、どーしたの」

「それに、その左手」

 目敏い母のことばに、ギクンと固まる。

「まさか、誰かと結婚したとか言うんじゃないでしょうね」

 当たらずとも遠からずというか、なんというか。

 ディートマルはどうやらそのつもりでいるらしいということを考えると、なんと答えるべきなのだろう。

 リヒトが悩んでいると、

「きゃあ」

 と、母親の喚声がその場に響いた。

「リヒト、なんなのこれは、ちゃんと説明なさい」

 蓋が開いた箱の中身。

 それは、様々な貴金属。

 一般的な村の住人には、手の届かないあまりにも高価な品々。

 金、銀、瑠璃、真珠、珊瑚、ルビー、エメラルド………きらきらと光を弾く、たくさんの宝石。

 説明と詰め寄られても、困ってしまう。

「あんたまさか盗ってきたんじゃないでしょうね」

 母親の不安そうなことば。

 やはりここは、ディートマルのことばをそのまま伝えるべきなのだろうか?

「リヒト、正直に話しなさい」

 しずかに父親が諭す。

 ハァと溜息をついて、リヒトは、これまであったことを説明したのだ。

「つまり、なにかね? これは、そのディートマルとかいう化け物がおまえのことを嫁にしたいからと寄越した結納だというんだな」

 父親のまとめに、

「………そういうことだと、思う」

「嫁になるつもりなのか」

「そんなこと、できるわけないじゃん」

「それで、おまえは、三日後にはまた化け物のところへと帰るつもりなんだな」

「約束したからなぁ…」

 広くもない居間に沈黙が降り積もってゆく。

「うむ。約束は守らなければならないな」

 なにかが一本抜けたような思考。

「かあさんのせいだわね。わたしがあんたに女ものの服を着せて、そのうえお使いになんか出したりしたから」

 しゅんとなった母親に、

「そーじゃないって。ディートマルにそんなのは関係ないってば」

「そう?」

「そー! だいたい、女装させられたのだって、オレが自分で自分の服をパーにしちゃったせいじゃないか」

(ディートマルだってオレを女装させたけど。女ものの服っきゃなかったからだし。まぁ、結局男物を作ってくれたからいいんだけどさ)

「まぁいい。おまえが無事だとわかったんだ」

 ぽんと、父親の手が頭にのる。

「そーだねぇ。ほんとよかったよ」

 祖母が呟く。

「……そうね」

 母親の複雑そうな呟きが、いつまでもリヒトの耳に残った。

 今夜眠って目覚めれば、ディートマルの城に戻っている。

 それがイヤではない自分。

(ま~た嫁になれって言われるんだろうか…)

 すっかり嫁ぐ娘のような扱いを受けた三日間。

 時々、ふっと、ディートマルのあの魁偉な容貌が脳裏を過ぎった。

 恐ろしげな肉食獣の顔。

 しかし、不思議と穏やかな雰囲気を身にまとって、森の生き物たちさえもディートマルを恐れてはいない。

 リヒトだとて、ディートマルを恐れる気持ちなどは持っていない。

 ただ、嫁になれといわれて、「はい」と返事ができるはずがないのだ。

(男だもんよぉ………。せめて、オレかディートマルのどっちかが女だったら、悩まんよな)

 そこまで考えて、ハッと、気づく。

 ディートマルを受け入れている自分に。

(すっかり毒されてんじゃん、オレってば)

(やばいやばい)

 父親は仕事に戻った。

 理由がわかって安心したのだろう。

 もともとが不在がちの父親は、リヒトの居場所さえわかっていれば安心して働けるということなのだろう。

 問題は母親だった。

 ディートマルに頼んで、時々は帰してもらえるようにするからさ―――と、約束しなければならなかった。

(えっと、寝る前に、指輪を抜いて枕もとに置いておくんだったよな)

 指輪を抜こうと、リヒトが指に手をかけた時だった。

 がしゃんと何かが壊れる音がして、

「きゃあっ」

 居間のほうで悲鳴が響いた。

「おふくろっ?」

 慌てて居間に駆けたリヒトは、床に散った血にクラりとその場にしゃがみこんだ。

「どーしたんだよそれ」

 しばらくして、立ち上がったリヒトは母親の手を取った。

「あ、ごめんね。床の掃除してたら、ガラスを割っちゃって」

「で、割れたガラスを拾ってたら指を切ったってか」

 びっくりすんだろうとぶつぶつ言いながら傷口を見れば、思ったより広くぱっくりと裂けている。

「うわ、これ、医者いかないとダメだろ」

 村で一軒の医者のとこまで母親を送り届け、ドクターストップを申し渡された。

 傷口を縫った医者は、『しばらくは、家事をしてはいけませんよ。ばい菌でもはいれば、指を切断しなければならなくなるかも知れませんからね』と、言ったのだ。

「ごめんねぇリヒト。約束破らせちゃって」

「しかたがない。ディートマルには待ってもらう。あっちに行ってから謝るよ」

 そうして、リヒトは、母親に代わってしばらく家の仕事に追われることになった。



 ◆◆◆◆◆◆◇


 


 ディートマルが死にかけている。

 錬鉄の門に続く薔薇の道。

 倒れているディートマルは、ピクリとも動かない。

 ほろほろとこぼれる赤い花びらが、まるでディートマルの流す血のようで。

(ディートマルっ)

 駆け寄ろうとするリヒトを、薔薇の枝が遮る。

「………おっ」

 自分の声で、リヒトは目覚めた。

 ドキドキと心臓が激しく波打っている。

 生々しい夢。

 リヒトは、伏せたままにしていた鏡を手に取った。 

「ディートマルを見たい」

 恐る恐る覗きこむ。

 そうして、そこに、夢で見たそのままのディートマルを見出した。

 ズキン

 リヒトの心臓が跳ねる。

(ああ…)

(約束を破ったから)

 それは、罪悪感だったろうか。

 自分が約束を破ったせいで、ディートマルが死んでしまう。

(いやだ)

 ディートマルが、死ぬ。

 いなくなる。

 あの、性格が悪い、人ならざる存在が。

(そんなの)

 からだが、震える。

(ダメだ)

 すっと、血の気が引いてゆく。

(ダメだ)

(死んじゃ、ダメだっ)

 震える手で、リヒトは、指輪を引き抜いた。

 眠れないとわかっていたが、それを枕元に置く。

 そうして、がくがくと瘧にかかったようなからだを抱きしめ、ベッドに仰臥した。



 ◆◆◆◆◆◆◆


 


 気がつけば、そこは、ディートマルの城。

 馴染んだ、天蓋つきのベッド。

 感慨に耽る間もなく飛び起きたリヒトは、記憶にある順路を通り、薔薇の道を目指す。

 そうして、

「ディートマルッ!」

 虫の息のディートマルを膝に抱き起こした。

「ディートマル、死ぬなっ! 死ぬんじゃない」

 抱きしめる。

 心臓のあたりに耳を寄せる。

 トクントクン…

 今にも消え入りそうな、心臓の鼓動。

「ディー」

 ほかに何ができるだろう。

 リヒトは虚しく名前を呼び続けた。

 幽かに、ディートマルの瞳が開いた気がして、リヒトは顔を上げた。

 欝金の、まなざし。

 しかし、すぐに閉ざされる。

 死に瀕した獣の、諦観。

 そんなものを感じた。

「いやだ。いやだぞ。オレは、おまえに死んで欲しくないんだ」

「どうすれば、どうすればいい? おまえが生きてくれるんなら、なんだってしてやる。だから、死なないでくれ」

 きつく抱きしめ、そうして、叫んだ。

 その、悲痛な叫びが通じたのか、だらりと地面に伸ばされたままだったディートマルの手が、リヒトの手に重ねられた。

「ディートマルッ」

 リヒトの青ざめた頬に、朱がのぼる。

「ごめん。約束を守れなくて、本当に、ごめん。おふくろが、怪我して…」

 今更だと思いつつ、告げずにはおれなかった。

 本意ではないのだ。

 自分は、帰ってくるつもりだったのだ。

 約束を破るつもりなど、髪の毛の先ほどもありはしなかったのだ。

 結果的には、破ってしまったけど。

「言い分けだよな。わかってる。どんな理由があっても、破ったことに変わりないって。でも」

「いいんですよ。君が、理由もなく約束を破るような人じゃないことは、わかっていましたから」

 お使いの品を途中で食べたりしなかったでしょう。

 悲しいくらい、小さな、声。

「ディートマル………」

 なにか、リヒト自身が意識していない心の深みから湧き上がってきた衝動。それに突き動かされて、リヒトは、ディートマルのくちびるに自分のそれを重ねていた。

 これが、最後になるかもしれない、くちづけ。

 そっと、ふれるだけの他愛のない。

「………リヒト」

 ディートマルが、リヒトの頬に手を当てた。

 その時。

 ぐらり…

 大地が軋んだ。

 梢の鳥たちがいっせいに飛び立つ。

 ディートマルの手が、地面に落ちる。

「ディートマル」

 思わずディートマルのからだを庇おうとかぶさった。

 それくらい、激しい大地の揺れだった。

 城が歪み軋む。

 薔薇の花が血の涙を流しながら、からだを捩じらせる。

 なにが起きているのかわからなかった。

 ただ、ディートマルだけは庇いぬきたかったのだ。

 どれだけの時間が過ぎただろう。

 からだの下のディートマルに何か変化が生じているのを、リヒトは感じた。

 おそるおそる顔を上げ、そうして、硬直する。

 いつの間にか大地の揺れがおさまっていることにも気づかない。

 ただ、それを凝視していた。

 膝の上、そこに、ディートマルの顔はなかった。

 そう。

 これまでリヒトがディートマルだと認識していたはずの、肉食獣の顔。

 いつの間にか親しみを覚え、そうして怖さを感じなくなった、厳つい、顔。

 今、そこにあるのは、黒い髪、白い肌、通った鼻筋、いくぶん薄めのくちびる。

 そうして。

 紛うことのない、ひとの顔だった。

「ディートマル…なのか?」

 これだけは変わっていない、自分を映す欝金のまなざし。

「………リヒト…」

 その声もまた。

「君のおかげで、魔女の呪いが解けましたよ」

「魔女の呪い?」

 リヒトの瞳が大きく瞠らかれる。

 そんなリヒトの頬に触れながら、

「そう。告白されたものの受け入れなかったせいで、魔女に呪をかけられたのですよ。わたしが適わない相手ではなかったのですが、あの時は油断をしていたようですね。我ながらぶざまな目に合わされたものです」

 くすくすと思い出し笑いをするディートマルを見下ろし、

「聞いてもいいか」

「なんなりと」

 ディートマルが上半身を起こす。

「呪って、どんな呪だったんだ?」

「"わたしが愛した汚れのない少年の、混じりけのない愛"を得られなければ、元の姿には戻れない。そういう呪です」

「それってば、不可能に近くないか?」

 魔女の恨みつらみの深さがしのばれる呪の内容に気を取られたリヒトに、

「そうではなかったことが、証明されましたよね、今ここで。わたしの呪が解けたということは、わたしたちは、両想いと言うことですね」

 結納の品が無駄にならなくて何よりです……。

(ゲッ)

 瞬時にして固まったリヒトの視界一杯に、ディートマルの整った容貌が近づいて来る。

(そういえば、どさくさに紛れて、そんな感情を感じたような。でも…)

「そ、それは………」

「シッ。だまって」

 とろけるような、甘いささやき。

 甘いささやきが、リヒトの心をとろかせる。

 ちかづいてくる、ディートマル。

 そうして、ふたりのくちびるは、一つに重なりあった。



 シュバルツバルトの森の奥で、一つの呪が解けた。

 それは、淋しい魔法使いが生涯の伴侶を得た、かけがえのない瞬間だった。


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