4、大英雄ベルナージュ②
出来る限り他人に、憎まれ、蔑まれ、嫌悪され、罵倒されながら死んでいきたい。それが出来ないのなら、自分の人生の痕跡を何もかも、一切合切、微塵の猶予もなく、根絶して消滅したい。
ベルナージュの願いはそんな、とても些細なものだった。些細というのはもちろん、世間一般の、ごくごく当たり前の人間がそうと目指そうとしたときの難易度を顧みてのこと。
その願望は圧倒的な自己嫌悪から発生している。とにもかくにも、ベルナージュは自分自身を嫌っていた。憎んでいる。なぜこんな生き物がこの美しい世界に生まれているのだと、息をしていることさえベルナージュには許しがたかった。なぜか、それは単純だ。ベルナージュは天才だった。魔学において、発見発見発見開発研究新発明と、ベルナージュは自分の半生で世界の文化の発展の速度を50年早めたと自身でも思っている。
高級品だった魔法道具の一般への普及、特権階級にのみ許された「読む」「書く」という技術の普及のための魔法道具の開発。十年前は下水が家のすぐ裏に流れ、蠅が湧き悪臭のもとになっていることが当たり前だった住居の構造を、浄水場や浄化魔法を簡易的に発動させる道具の発明により整備した。井戸の水をくみ上げることで家庭用水としていたものを、水道設備を整え、夜間も外を明るく照らす外灯とそれに魔力を流す特殊な線の開発も行った。
ベルナージュは、特殊な召喚魔法で強力な眷属を従えることや、巨大魔法を用いて魔物を倒すことが重要だと、そういう魔法使いたちを理解できなかった。冒険者たちの「冒険」でそれらが有効だとして、世界の人口の内、冒険者は一割にも満たない。魔学とは、人々の生活をより豊かに、そしてベルナージュは「文化的な生活」という表現を好んだ。
魔学を発展させることで、人の生活はより豊かに「文化的に」なるのだと、そのように考え、そして、ベルナージュはそうした発見、発明、開発が、なぜ、自分以外の人間からは生み出されないのだと失望していた。
目指す者がいないわけではない。ただ彼らは、届かない。
ベルナージュは彼らに失望した。落胆した。なぜわからないのかと、がっかりした。そうして、そんな風に、他人を「見下す」「評価する」「侮蔑する」自分自身を傲慢だと絶望した。
当たり前のことだが、誰だって、自分は良い人間であると信じたかった。だがベルナージュは、自分が考え付く事を他人がどうしても考え付かないこと、理解できないこと、ベルナージュからすれば当たり前で大したことではない問題に対して、キラキラと目を輝かせて聞き入り、感じ入り、涙を流して賞賛する人を見る度に、うんざりするのだ。そうして、彼らに善良な心を持ち続けられない自分が、なんと醜い生き物なのだと、がっかりした。
自分が特別な人間、彼らとは違う人間だと、感じている自分が嫌だった。醜く、傲慢で、どうしようもない鼻持ちならないつまらない人間に思えた。ベルナージュはなぜ自分は、孤児院にいる尼僧のように、他人に施すことを当たり前とし、彼らに深い愛情と、彼らの幸せを祈ることができないのだろうか。
文化的な生活をと思うのも、慈愛や慈悲からではない。人類とはそうあるべきだと感じ、考えているからであり、知性ある存在であるならば、穴倉で獣の生肉を齧るような生活をするのは相応しくないとそのように。
ベルナージュが思いつく事を、誰も思いつけない。答えにたどり着けない。黙っていれば愚かな暮らしを続けるだけ。苛々するのだ。
そうして生まれる自己嫌悪。自分が良い人間であればよかった。彼らの為に何かを生み出せることによろこびを感じ、達成感を覚え、幸福になれる人間であればよかった。でも違う、だが、違うのだ。ただただ自分以外の人間に対して呆れと失望がある。そんな己が嫌だった。だから、ベルナージュは憎まれたかった。自分という存在が、他人に顔を背けられるほど嫌悪される対象であるのなら、ベルナージュが他人に対して抱く感情が許されるはずだった。
だがそうはならない。そうはなれない。
敬意を畏敬を、尊敬を込めた目だけが向けられる。ベルナージュがどれほど奇抜な振る舞いをしても「でも、この方は人類の英雄なのだ」という理解が瞳の中に浮かんでいる。ベルナージュに嫉妬してくれる研究者がいても、結局諦める「あぁ、この方は別格だ。妬ましいが、それ以上に素晴らしいと認めざるをえない」と勝手に結論を出す。
違う、違うのだ。
自分がどうしようもないくだらない、他人に対して思いやりを持てない、つまらない人間なのだと、ベルナージュは顔を背けたかった。何も発明しなければいいと思った事もある、だが、頭の中に浮かぶひらめきが、誰にも見つけられないままでいるのを黙っていることも苦痛だった。そうした、覚悟のない自分がまたさらに嫌になった。
そんな時に聞いた噂。
迷宮での、眉唾な噂話。
迷宮のとある場所で消滅した存在は、世界からその痕跡が消えるのだと言う。
たとえば三人組のパーティーがいて、一人がその条件を満たして「消滅」する。そうすると、最初から残った二人は「自分たちは二人で迷宮に入った」と認識し、そして所持した荷物や、そこまでの道のりの記憶も改ざんされるという。そして何より、地上でもその影響は及び、その消滅した存在は、最初から「存在していなかった」という、世界が、そのように扱うらしい。
詳細は不明だ。ただの噂話。
実際に消滅した存在、が確認されていない。だが確認されていないのは消滅しているからだとも考える者がいる。
その噂はベルナージュを歓喜させた。
どうあがいても憎まれることが難しいのなら、自分の痕跡発明、何もかも消滅させてほしい。ベルナージュは自分のような存在にこの世界が「発展させられた」ことも、許せなくなっていたのだ。
ベルナージュは思案した。そうして一つの可能性。
迷宮の悪意を向けられたのではないかとその疑問。
魔素は地上の存在を瞬時に分解する。物理的に「なかったこと」にする。だが、それは迷宮の最低レベルの「防御機能」であると仮定すると、それの上位はどうだろうか。迷宮にとって「脅威である」「排除しなければならい」とそのように判断されたものは、根こそぎ奪われるのではないのだろうか。
ベルナージュは迷宮を何かの「未完成」な状態だと判じている。迷宮出現後、冒険者の階級が「種」や「幹」など、植物になぞらえられた。その前は鉱石だったのだ。
種が芽吹いて樹になり、それらはどうなる。
迷宮内に入り込んだ種が、芽吹く状態。迷宮にとっての「危険レベル」が、冒険者のレベルだとしたら?
ベルナージュは考える。
迷宮に転がる、取るに足らぬ路傍の石ではなく、芽吹き根を張り開花する、何かになり得るもの、その条件とはなんだろうか。




