3、大英雄ベルナージュ①
「ドロドロに溶かされながら未来永劫迷宮の養分になりたいッ!!」
「ここが第六層でよかったですね、猥褻物陳列罪で検挙されますよ、ベルナージュさん」
全裸で、迷宮第六層嘆きの谷に向かい叫び出した中年男性の背を一瞥し、スミスは今夜の野営の準備を始める。当たり前だが迷宮では火が起こせない。だが人間の体は暖かい物を食べた時に精神力も回復する。過酷な迷宮探索において食事の内容を豊かにすることは、娯楽ではなく必要不可欠な要素だった。
慣れた手つきで、スミスは魔灯を灯す。自身の膜の中の酸素を消費せず、キャンプ内の空間を明るく照らす魔法道具は十年前は貴族にしか手に入れられない高級品だった。それが今では銀貨10枚で手に入る。もちろん安い物ではないが、少し無理をすれば購入が可能な値段。そして命を繋ぐための必要経費だと考えれば、この程度出せない冒険者は迷宮探索をする資格はないだろう。
「あぁ、なぜ……これほど焦がれる、迷宮に今日も私は還れないのか。この悲しみがわかるかね、スミスくん!いうなれば、柔らかな母体に戻りたいがために処女の膜を付くような、」
「セクハラで訴えて勝ちますよ、ベルナージュさん」
「ははは、私の醜聞はいつも魔術協会が握りつぶすのを君も良く知ってるだろう」
それはそうだ。一応この変人は地上ではそれなりに常識的な振る舞いをしているが、それでもその人間性のズレから生じる問題が起こる。具体的には、よかれと思って我が子を失って悲しむ親子に、我が子と同じ声で話す合成獣を作ったり、動物愛護協会が魔物も保護対象にしようとしたので、善意から彼らの保護活動が円滑に進むようにと、動物愛護協会の本部内と魔物の洞窟を魔法で繋いだりした。
「知ってますよ、妨害工作をしているのは俺ですからね」
「頼んだことは一度もないがね。君たちは全く、そんなに私の発明が惜しいのか」
いそいそと服を着ながら呆れるベルナージュに、スミスは嫌そうな顔をした。
スミスはもうこの稀代の天才、魔術協会第一席神秘の解体者ベルナージュに仕えて六年が経つ。それでもベルナージュの中ではスミスはあくまで魔術協会が寄越した助手でしかないらしい。他人の敵意も憎悪も敬意も羨望も、天才にとっては自身の閃きを空に撒くのに必死で一々振り返って眺めることもないのだろう。
「そんなに迷宮に溶けたいなら、その酸素膜を解除すればいいじゃないですか」
「全く、愚かなことを言うんじゃないよ、スミスくん。そうなれば私は一瞬で分解されてしまうじゃないか。私の望みは迷宮の養分になることだよ。できる限り永遠にね」」
「全くわかりませんね」
なんだってそんな馬鹿なことをというのはスミスだけではない、ベルナージュが「迷宮に潜りたい」と言い出した時から、彼に関わる全ての人間が感じた思いだ。
二十年前に出現した迷宮アトラス。そこで発見された魔素や、存在する文明、文化は地上を魅了し、多くの技術が瞬く間に大陸中に広まった。魔学者ならば誰もが迷宮に焦がれるものと、その考えはスミスにもわかる。研究材料、探索先、自分の知識以上のものがある場所だとそのように。
だがベルナージュの望みは迷宮の謎を解き、それをかみ砕いて何かを生み出すことではない。
この変人は言葉の通り、迷宮の魔素になりたいと本気で言っているのだ。
「酸素膜を解除すればその瞬間、おそらくは刹那の猶予もなく分解される。分解というのは、他に今は表現する言葉がないからそのように言われているだけでね、私の実験からの見立てでは、もっとこう、容赦がないのではないかと思っているよ」
たとえば肉の塊が腐敗しないように魔法で保護をかけて、それを解除すれば自然の速度で腐敗するようになる。これが迷宮では一瞬で行われているのだろうと言うイメージだが、ベルナージュは「もっと惨い」と言う。
「実験、あぁ……三年前の、囚人を使ったやつですか」
「そうだ。あれは人的資源の無駄遣いだった。反省しているよ。一部だけ酸素膜で覆えていればどうなるかだとか、階層によって分解の速度の違いがあるのではないかと考えた愚か者の理論を、どうしても実際の検証によって否定する必要があったんだ」
オズベルド実験と呼ばれるそれは、スミスも参加している。結論から言えば、酸素膜から指一本、髪の毛一本でも出れば即座に全身が分解された。そして階層でも差異はない。
「おかしいと思わないかね、スミスくん。魔素の濃度は階層によって異なることは実証済だ。酸素膜の耐久性や持続時間、膜を張るための魔力消費が違うからね。それなのに、分解される速度は全く変わらないんだ。つまり、地上の物質が魔素に触れることで分解されている、のではなく、何か全く別の現象が起きているのではないかと私は思うんだよ、君ぃ」
そしてバッ、と、ベルナージュは立ち上がり、高らかに、焦がれるように、夢見る瞳で迷宮を眺める。
「つまり私は魔素になって迷宮の一部になりたいッ、ゆっくりと侵食されながらそれを実感したいッ!あぁ、考えるだけで射せ、」
「そろそろスープが出来るんで、とりあえず食べて寝て貰っていいですか」
スミスもわかっている。つまり、この天才の「夢」は迷宮での自殺ではない。ベルナージュは迷宮を愛しているらしかった。初めて迷宮探索に来た時の、いや、それよりも前、迷宮探索をした冒険者たちの話を聞くときのキラキラと輝く瞳は、自分の理想のひとに出会たことを歓喜する、実に人間らしい光が浮かんでいた。
いったい迷宮の何が、地位も名誉も富も何もかも手に入れた天才の執着心の対象になったのかわからない。凡人だからだろうか。迷宮は魅力的で価値がある。凡人でもわかることだが、凡人は迷宮に体を貪られながらそれを感じて果てたいなどという願望は抱かない。
「むぐ、もぐ、もご……うん、いつもながらスミスくんのミソスープは絶品だ。君は料理人に向いているよ」
「それはどうも」
「それでね、私の考えでは、もっと下の階層なら、こことは違う法則になるんじゃないかと思うんだよね。おそらく第四層までは迷宮の中の浅瀬部分だ。地上に近いからだろうか、どちらかといえば、我々の法則に近しく、また寄り添う余地を感じられる。だがもっと深くなればなるにつれ、ふふふ、魔素が濃くなり、うふふふふ、得体の知れない世界になるんじゃないかな」
「つまり、魔素に分解されるのはやさしい方だと?」
「そうだ。地上の物質の存在が「許されない」と拒絶され、否定され、消える。これはやさしい処置だと思うんだよ、君ぃ。侵入者に対して、消滅させるのみだよ。ふふふ、攻撃されているわけじゃない」
ちょっとした異物程度の扱い、排除対象ではないと、ベルナージュは微笑む。
「私はね、この迷宮に本気になって侵略者だと、外敵だと認められ、迷宮の敵意を受けて、ズタズタにされたいんだ。そうしてこの身をドロドロに溶かされて、養分となって迷宮に消費され続けたい」
うっとりうっとりと、夢見る乙女のように語るベルナージュに、スミスは魔術協会から受けた特命を頭の中に反芻させた。
もし万が一にも、ベルナージュが「迷宮の悪意」に触れるようなことがあってはならない。そうなる前に、殺せと、そして死体を一片も迷宮にくれてやることなく持ち帰るようにと、それがスミスが受けた命令だった。
3話くらいはちゃんと真面目に書いたので、いいかな、と思いました。




