第8話 十人目・皇絢音②
放課後。
俺は指定された通り、校舎の最上階の奥にある生徒会室の扉の前に立っていた。
重厚な木製の扉をノックすると、「入りなさい」と透き通るような、しかし絶対的な威圧感を伴う声が響く。
中に入ると、そこは高校だとは思えない場違いな空間が広がっていた。
部屋の中央に鎮座する、重厚で高級そうな木材で作られた執務机。その奥のクッションの厚い本革の椅子に、脚を組んで深く腰掛けている少女がいた。
艶やかなストレートヘアを背中に流し、切れ長の冷たい瞳で俺を見据える少女。
皇絢音。
本来は二年の秋から務めることが多い桜ヶ丘学園高等部の生徒会長という座に、一年から異例の就任を果たし、今や教師すら逆らえない絶対君主として君臨する存在だ。
いつも絢音に付き従っている副会長と書記の姿は見えなかった。
「……来ましたね、朝倉悠真さん」
「生徒会室に一人なんて珍しいな」
「プライベートなことなので二人には下がっていただきました」
「そ、そうか。それにしても全校放送で名指しで呼び出すなんて、一体何事だよ、絢音。いくらなんでもやりすぎじゃないか?」
俺が少しだけ抗議の声を上げると、彼女の切れ長の瞳がスッと細められた。
「馴れ馴れしく呼ばないでください。ここでは生徒会長です。それとも、本気で退学処分を下されたいのですか?」
絶対零度も真っ青な冷たい声が俺を凍らせ、ピシッと体が固まった。
本気だ。本気で怒ってる。
絢音は組んでいた脚をゆっくりと組み直し、裁判長が被告人を見るような視線を俺に突き刺した。
「単刀直入に聞きます。……貴方、凛に何かしましたね?」
「え?」
全く予想外の名前が出て、俺は間の抜けた声を漏らした。
絢音は幼稚園からの俺の幼馴染であると同時に、凛とは昔からの親友同士でもあった。家柄も住む世界も違うはずなのに、あの二人は昔から妙にウマが合っていたのだ。
幼稚園の頃は三人いつも一緒だった。いつの頃からか、絢音は俺から距離を取り始めたのだが。
「何も……」
「はっきり言いなさい!」
バンッ! と、絢音が白く細い手で机を強く叩いた。その静かな部屋に響き渡った音と、普段の冷静な彼女からは想像もつかない激しい怒気に、俺はビクッと肩を跳ねさせる。
「な、何もしてないです! 本当に!」
「嘘ですね。凛がおかしくなったのは、貴方と一緒に帰ったあの日からだという調べはついています。シラを切るつもりなら、証拠を見せましょう」
絢音は手元の分厚いファイルから一枚の紙を抜き出すと、机の上に滑らせるように放った。
それは、防犯カメラから切り出された写真だった。
校門から並んで出ていく俺と凛。
その瞬間が、くっきりと写っている。
(怖すぎるだろ、生徒会の情報網! 学園の防犯カメラにまでアクセスできるのかよ!?)
背筋に冷たい汗が流れる。
俺は写真と絢音の顔を交互に見つめた。
「この翌日、凛は心ここにあらずでした。授業中も上の空。部活中もため息ばかりだったそうです。さらにその次の日からは、ずっと不機嫌。もう何日も。私が何かあったのかと尋ねても答えようとしません」
愛からも凛が家で不機嫌だと聞いていたが、やはり学校でもそうらしい。俺は相変わらず凛とは顔を合わせたくなくて、避けていた。
「正直に答えなさい。貴方が何か……その、不埒な事をしでかしたのでしょう! 凛のあんなに思い詰めた顔、私は今まで見たことがありません!」
絢音の糾弾するような声が、胸の奥の柔らかい部分をグサリと抉った。
不埒なこと?
俺が?
冗談じゃない。
俺はただ、幼馴染と結ばれるという夢のために、勇気を振り絞って告白しただけだ。
なのに凛には「あんたなんて好きでもなんでもない」と全否定され、そのうえ無言のビンタまで食らった。
それでも俺は、必死に前を向こうとしてきた。
告白して、振られて、また振られて、何度も失敗して。
例え笑われても、バカにされても、自分の夢だけは手放さないようにしてきた。
なのに。
どうして俺が、犯罪者みたいに責められなきゃいけないんだ。
その瞬間、積もり積もった疲れと、理不尽に責められた悔しさと、どうしようもないやるせなさが、俺の中で一気に弾けた。
「……っ!」
視界がじわっと滲む。
次の瞬間、俺の目から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちていた。
もう、絢音に告白するとか、そんなことはどうでもよかった。
「あ、朝倉くん……?」
さっきまでの冷たい声が、一瞬で狼狽したものに変わる。
「俺は……っ、勇気を出して、本気で告白したんだよ……!」
しゃくり上げながら、俺は胸の内の鬱憤を吐き出した。
「ずっと隣にいた凛に、これからも一緒にいてほしいって……。でも、凛には『あんたなんて好きじゃない』って言われて……そのあとビンタまでされて……!」
「え……? 告白……? それって、その……貴方が、凛に……?」
「そうだよ……! それが俺が退学にされるほど責められることなのかよ……? 振られたうえに、お前にまで犯罪者みたいに言われて……」
「凛が、貴方を振った……? そんな……あの凛が……? じゃあ……凛の貴方への気持ちは私の勘違い……?」
絢音は立ち上がり、両手を机についたまま固まっていた。
その表情から、先ほどまでの威圧感は消えている。
「生徒会長……俺はどうすればよかったんだ? 凛に告白なんて身の程知らずなことをしてごめんなさいって謝ればいいのか……?」
「そ、そんなことは……」
絢音は完全に言葉に詰まった。
視線だけが、まるで迷子のように俺と床の間を彷徨っている。
そのまま、二人の間に長い沈黙が落ちた。
やがて俺の涙がようやく収まり、鼻をすする音だけが部屋に残るころ、窓から差し込む夕日が生徒会室を茜色に染め上げていた。
「……すまん。取り乱した」
制服の袖で乱暴に涙を拭う。
すると絢音は、机を回り込んで俺のそばまでやってきた。
「い、いえ。私の方こそ、事情も知らずにひどいことを言ってしまいました。本当に、ごめんなさい」
そう言って、絢音は俺にハンカチを差し出した。
「生徒会長……いや、絢音はやっぱり昔から優しいな」
「え……?」
「覚えてるか? 小学四年の運動会。クラス対抗リレーで、俺が勝てば逆転優勝って場面だったのに、派手に転んで最下位になっちまった時のこと」
俺は差し出されたハンカチを受け取りながら、苦く笑った。
「あの時、みんなに合わせる顔がなくて、用具倉庫の裏で一人で泣いてた俺を見つけて、絢音は何も言わずにハンカチを貸してくれたよな。今日みたいに。あの時も、すごく温かかった」
「……っ!」
絢音の肩が小さく跳ねた。
その顔が、ぱっと赤く染まった気がした。
だが、西日の強い光と重なって、それが照れなのかどうかまでは、はっきりとは分からなかった。
「そ、その時は……たまたま通りかかっただけです。別に、特別なことでは……」
「俺にとっては、特別だったよ」
「……!」
絢音は言葉を失ったように唇を引き結んだ。
それから、落ち着かない様子で視線を逸らす。
「と、とにかく……私の早とちりでした。凛を泣かせたのは貴方だとばかり思い込んで……。その、お詫びではありませんが、何か私にできることがあれば……」
「……じゃあさ」
気づけば俺は、絢音をまっすぐに見ていた。
「明日、俺の気晴らしに付き合ってくれないか? 買い物したり、映画を見たりするだけでいいから」
「えっ!?」
絢音が一歩後ずさった。
「そ、それはつまり……デ、デート、ということですか……!?」
彼女は両手を口元に当て、その瞳は激しく揺れている。
「ダメか? いや、無理ならいいんだ。昔みたいに、少し話に付き合ってくれればと思っただけだから」
自分でも、情けない顔をしているのが分かった。
それでも、目の前の幼馴染に縋ってしまう自分がいた。それに正直にいえば、絢音と久しぶりに話せて嬉しかった。もっと話したいと、思ってしまった。
「ダメ……では、ありませんけど……。生徒会長としての立場もありますし……でも、私が貴方を傷つけたのは事実ですし……それに、私も、嫌では……ありませんし……」
絢音はぶつぶつと早口で言い訳を並べたあと、覚悟を決めたように小さく息を吐いた。
「……分かりました。明日一日だけなら……お付き合いします」
「本当か?」
「は、はい。明日の十時、駅前の土下座像の下で……」
そう言った絢音は、耳の先まで真っ赤に染めながら、恥ずかしそうにぷいっと目を背けた。
……あれ?
途中から凛のことで感情がぐちゃぐちゃになっていたけど、勢いで誘ってしまって、いつの間にか絢音とデートすることになってるぞ?
絢音とデート。
……マジで?
◇
「あ、先輩。どうでした? こっぴどく振られました? それとも退学ですか?」
図書室に戻ると、待ち構えていた栞が声をかけてきた。
メガネの奥の瞳は期待にキラキラと揺れ、右手の赤ペンはすでに絢音の名前の上で待機している。
「明日、デートすることになった」
「……へ?」
触れてもいないのに、栞のメガネがずれた気がした。
「デート、OKしてくれた」
栞の手から、赤ペンがぽとりと落ちた。コロコロと机を転がり、そのまま床へとおちた。
慌てて拾うため、彼女は床へ右手を伸ばす。
——チッ。
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ、何も。よかったですね、先輩」
栞は赤ペンを拾い上げると、俯いたまま左手でクイッとメガネの位置を直した。
そして、顔を上げてにこにこと笑った。
とても、にこにこと。
笑っているんだよな? それ。
⭐︎⭐︎第9話へつづく⭐︎⭐︎




