第6話 週末デート・木漏れ日の彼女
残暑の残る九月の午後、日差しはまだ夏の名残を引きずるように強かった。
けれど、テラス席を覆う木陰に入ると、心地よい風がふわりと身体を包み込み、じんわりと滲みかけた汗をすっと引かせていく。
目の前では、向かいの席に座る女の子が、両手で包み込んだクレープに幸せそうにかぶりついていた。
「ん〜っ!」
生クリームを増量にしたせいだろう。口の周りに白いホイップの泡をちょこんと付けたまま、彼女は嬉しそうに目を細めている。
休日の昼下がり、二人きりで駅前の新しいクレープ屋。傍から見れば、これは立派なデートと呼んでもいいシチュエーションなのかもしれない。だが——。
「先輩の奢りで食べるクレープ、最高に美味しいです!」
「ああ……よかったな」
「なんだかすごく不機嫌そうですね。もしかして、私じゃなくて五十嵐先輩と一緒にここへ来たかったんですか?」
容赦のない栞の的確な一言に、俺はテーブルに突っ伏すように深く項垂れた。
――昨日。
放課後の校舎裏。俺の顔を覗き込んでくる瑠奈の唇がすぐ目の前にあって、俺は胸の奥で早鐘のように鳴る鼓動を抑えきれずにいた。
少しだけ開いた、艶やかな色の唇。
甘い香りに意識が遠のきそうになった、その直後だった。
「……やっぱり。悠真、これ罰ゲームの告白かなんかでしょー」
フッと息を抜くように笑い出して、瑠奈は「やだぁー、もう! びっくりしたじゃん!」と、いつもの軽いノリで俺の肩をバシッと叩いた。
「ち、違うよ! 俺は本気で——」
「だって悠真、私とゲームしてて、わざと負けた時と同じ目をしてるもん。私が『今、手抜いたでしょ』って問い詰めた時も、そんなふうに少し泳いだ目をしてた。なんて言えばいいのかな……自分に嘘ついてるような、そんな目」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
昔、負けず嫌いの瑠奈が負け越して泣き出しそうになるたび、俺はこっそり手加減をしていた。それを咎めてきた彼女の顔が、目の前にある。
「う、嘘じゃ——」
「うん、嘘じゃないのかもだけどね。でも、心からの本気でもない。そんな気がしたんだ」
瑠奈はふふっと柔らかく笑った。けれど、その瞳の奥には、どこか見透かしたような、そしてほんの少しだけ寂しそうな光が揺れていた。
「あーあ。ちょっと残念。……罰ゲームの告白なんて、本気にして傷つく子もいるかもしれないから、もうやっちゃダメだぞ? それじゃあ約束の時間だから、私もう行くね。今度みんなで遊ぼ! じゃね〜」
ひらひらと手を振りながら、軽やかな足取りで去っていく瑠奈の背中。
俺はそれを、ただ黙って見送ることしかできなかった。
本気じゃない?
俺は本気で——。
いや、図星だったのかもしれない。
「先輩? せっかくのクレープ、食べないんですか? クリーム溶けちゃいますよ」
不意にかけられた声で、俺はぐるぐると回る思考から現実へと引き戻された。
顔を上げると、いつのまにか自分の分のクレープをぺろりと平らげた栞が、テーブルから身を乗り出して俺の顔を覗き込んでいる。
「あ、ああ。食べる。今食べる」
「はい。じゃあ、五十嵐先輩の名前もリストから消しておきますね〜」
栞はバインダーに挟んだリストを取り出すと、赤いペンを握った。
シュッシュッ!
有無を言わさぬ勢いで、栞がリズミカルに瑠奈の名前に鮮やかなバツ印を刻み込む。
「……お前、やっぱり名前消してる時、すげえ嬉しそうだな」
「そんなことないですよぉ〜。私はいつでも、先輩の悲しみに寄り添う可愛い後輩ですから」
口の端に微かにクリームを残したまま、栞は眼鏡の奥でこれ以上ないほど悪戯っぽく微笑んだ。
「その割には、俺が振られるたびにいい笑顔を見せてくれるよな……。ほら、口の横」
俺はテーブルに置かれていた紙ナプキンを一枚抜き取り、栞の顔を指差した。
「ほ、本当ですか?」
栞は少し慌てた様子で俺から紙ナプキンを受け取って、口を拭う。
「違う、反対側」
俺が身を乗り出し、もう一枚取った紙ナプキンで栞の口の端についたカスタードを軽く拭き取ってやった。
「あ……」
その瞬間、栞の動きがピタリと止まった。
至近距離で目が合う。いつもは俺を小馬鹿にしてジト目を向けてくる瞳が、今はわずかに丸くなり、瞬きを忘れたように俺を見つめていた。白い肌が、夏の終わりの日差しとは違う理由で、ほんのりと赤く染まっていく。
「……ん? まだ付いてたか?」
「っ……! い、いえ! 大丈夫です! ありがとうございます!」
栞はバッと勢いよく顔を逸らし、手元のストロー付きのアイスティーをズズズッと音を立てて勢いよく吸い込んだ。
(なんだ? 変な奴)
よくわからないが、俺も自分の分のクレープを食べることにした。
一口かじると、濃厚なカスタードと生クリームの甘さが口いっぱいに広がり、瑠奈に振られた胸の痛みを少しだけ和らげてくれる気がした。
「……それにしても」
数分後、すっかりいつもの冷静さを取り戻した栞が、コホンと一つ咳払いをして口を開いた。
「これで五連敗ですね」
「愛はノーカウントだ」
「実質五連敗です。どうですか? 五十嵐先輩に『本気じゃない』と痛いところを突かれたわけですし。そろそろ現実を見て、1%の不毛な夢を追うのはやめませんか?」
栞はテーブルに肘を突き、両手で顔を支えながら上目遣いで俺を見た。
「先輩のすぐ目の前には、こうして休日に一緒にクレープを食べてくれる、優しくて可愛い後輩がいるんですよ?」
木漏れ日が栞の髪を揺らし、眼鏡のフレームがキラリと光る。
今日の朝、スマホのメッセージが届いて、俺は栞に呼び出されてここに来た。
『クレープ食べに行きましょう! 友達と行ってこいって言いましたよね? だから先輩誘います!』
瑠奈への告白の結果も聞かず、まるで俺に予定がないことを知っていたかのようなメッセージだった。
こいつ、どこかで見てたんじゃないだろうな?
まぁいい。俺はもう一度、瑠奈の言葉を噛みしめていた。
クレープの甘さを喉に落とし込んだ俺は顔をあげて栞をまっすぐに見る。
「……瑠奈の言う通りだったかもしれないな」
「え?」
「俺は真剣さが足りなかったのかもしれない」
俺は残りのクレープを大きくかじり、力強く拳を握りしめた。
「先輩……ようやく『幼馴染』という上辺のステータスに恋することの無意味さに気付いたんですね」
栞の瞳がかすかに揺れた。
こいつは何を言ってるんだろうか。
そんなこと、決まってるじゃないか。
「だから! 俺の幼馴染への愛もまだまだだってことだよな!? よし、今度こそ俺の真の幼馴染愛を見せてやる! そのためにも帰ったら幼馴染ラノベ読み返しだ!」
テラス席で堂々と宣言した俺を見て、栞は数秒間だけ完全に表情を無に落とし——。
「……やっぱり先輩は先輩ですね」
と、氷のように冷たい声でポツリと呟いた。
「なんか言ったか?」
「いえ。次は誰のところに玉砕しに行くのかなーって、楽しみにしているだけですよ。ええ、心の底から」
栞はニコリと笑ったが、背筋に寒気が走った気がして、俺は砂糖とミルクたっぷりのアイスコーヒーを一気に喉に流し込んだ。
⭐︎⭐︎第7話につづく⭐︎⭐︎




