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第5話 五人目・五十嵐瑠奈

「先輩にも、ちゃんと真っ当な倫理観が残っていたんですね。驚きです。熱でもあるんですか?」


「なんとでも言え。今の俺は、邪念をすべて払い落とした聖人のように、実に清々しい気分なのだ」


 翌日の昼休み。

 俺はいつものように図書室の定位置に座りながらも、昨日とは打って変わって、堂々と胸を張っていた。

 栞の皮肉がこもった言い回しにも全く動じない。


「それで先輩。リストにあるこの結城愛さんの名前は、どうしますか? 告白は未遂に終わったわけですけど、消してもいいんですか?」


「ああ。消してくれ。このリストにあの子の名前は存在してはいけない。愛は永遠に俺の大切な妹的存在だ」


 栞は手元のリストに視線を落とすと、ペンを握った。


 シュッシュッ。


 いつものように栞が赤いペンで『結城愛』の名前に綺麗なバツ印を書き込む。

 しかし、その手つきはどこか釈然としない気持ちが表れているかのように、いつものリズミカルなキレがなかった。


「……ところで先輩。その駅前の新しいクレープ屋さん、私も行ってみたいなぁ、と思うんですけど」


 栞が上目遣いで、チラリと俺の顔を窺ってくる。


「そうか? あそこのクレープはクリームたっぷりの甘々で美味しかったぞ。あ、そうだ。これ、昨日もらったトッピングの割引券やるよ。友達とでも行ってこい」


 俺がポケットからくしゃくしゃになった割引券を取り出して机に置くと、栞はジト目で俺と割引券を交互にひたすら睨みつけた。


「……先輩って、本当に『幼馴染』にしか興味がないんですね。そういうところですよ」


「なにを今更? 俺の愛は幼馴染だけに注がれているのだ」


「もういいです。流石と言うべきですね。で、愛さんに浄化されて心が清々しい先輩は、今日もめげずに誰かに告白しに行くんですか?」


「もちろん! 今日は金曜日だし、今日こそきっちり決めて、明日は最高の週末デートをしてみせる!」




 ◇




 放課後。

 西日が差し込む廊下を抜け、俺は意気揚々と昇降口から校舎の裏手へと向かった。


 週末を控えた校舎は活気に満ちており、遠くから運動部の活気ある声や、吹奏楽部の楽器の音色が聞こえてくる。そんな喧騒から少し離れた静かな場所に呼び出しておいたのは、俺の運命の相手かもしれない五人目の幼馴染だ。


「おっまたー! ごめんごめん、ちょっと遅れちゃった?」


 ふわりと、空気を華やかに彩るような甘い香水が鼻腔をくすぐる。


 軽やかな足取りで現れたのは、隣のクラスの五十嵐瑠奈(いがらしるな)


 明るめの茶髪をツインテールに束ね、少し短く着崩したスカートと、ゆるっと羽織ったサマーカーディガン。手首にはキラキラと光るアクセサリー。


 すれ違うだけで、皆、彼女の名前を呼ぶ。瑠奈はそのたびに、手を振ったり、笑ったり、短く冗談を返したりしていた。


 男女問わずいつもクラスの中心で輪を作って笑っている、スクールカーストの最上位……いわゆる『陽キャ』の代表格だ。


 小学校からの付き合いである瑠奈とは、昔は一緒にお互いの家でゲームをして遊んだりしていた仲だった。対戦で負けて泣きじゃくる彼女を慰めた記憶もある。


 しかし、中学、高校と上がるにつれて彼女はどんどん垢抜け、その元々の可愛らしさとコミュ力で他校の男子からも告白されるほどになった。


 俺とは、学校で挨拶や短く言葉を交わすだけで、住む世界は完全に違ってしまっているのだった。


「俺も今来たところ」


「よかった〜。てかさ、悠真がわざわざ私を呼び出すなんて超珍しいじゃん。中学になってからあまり話してなかったから嬉しいな。どしたの? これからみんなで駅前のカラオケ行く約束してるんだけど、悠真も一緒くる?」


 スマホから目を離して瑠奈は昔と変わらない人懐っこい笑顔を向けてくる。


 いつもなら、この眩しすぎる陽キャ特有のオーラに気圧されて、「いや、俺は遠慮しとく……」と逃げ出してしまうところだ。だが、今日の俺は違う。


 今日こそ俺は前に進むのだ。


 俺はまっすぐに瑠奈の目を見据えた。


「瑠奈。今日は、お前に大事な話があって呼んだんだ」


「ん〜?」


 俺のいつもとは違う、低く真剣なトーンに、ヒラヒラさせていた瑠奈の手がピタリと止まった。


「遠くなったと思ってたけど、やっぱりどこかで瑠奈のことを見てた。だから……俺と付き合ってほしい」


 静寂が落ちた。

 遠くで響くグラウンドの声だけが、やけに鮮明に聞こえる。まだ夏の匂いを残した秋の風が吹き抜け、瑠奈の綺麗な茶髪がさらりと揺れた。


「…………ぇ?」


 数秒のフリーズの後、瑠奈の口から間の抜けた声が漏れた。


 パチクリと目を瞬かせ、俺の顔と、自分の足元を交互に見る。いつも余裕たっぷりで大人びた彼女のスマイルは完全に崩れ去り、みるみるうちにその真っ白な肌が、首すじから耳の先まで真っ赤に染まっていった。


「ちょっ、なっ、えっ!? 告白!? 私に!?」


「ああ。俺は本気だ。明日、俺とデートしてほしい」


「デ、デートぉ!?」


 瑠奈は慌ててスマホごと口元を両手で覆った。完全にテンパって、潤んだ瞳が左右に激しく泳ぎまくっている。普段のスクールカースト上位の余裕など見る影もない。


「ちょっと待って、落ち着くから。すーはー、すーはー」


 瑠奈が胸に手を当てて目を閉じ、大げさに深呼吸をする。


 やがて目を開けた時、いつもの陽気な笑みは消え去っていた。手のスマホもカバンにしまって、真面目で、真剣な顔つきになる。


 ……なんだろう。この顔、どこかで見たような気がする。


 昔、ゲームをしていた時、負けが込んできた瑠奈がこんな顔をしていたような……


「悠真、私の顔をちゃんと見て」


 低く、少し震えるような声でそう言うと、瑠奈の顔がみるみるうちに近付いてきた。そして、彼女の両手が俺の頬を包む。


 甘い香水の香りが強くなり、その奥から微かに彼女自身のシャンプーの香りが混ざって届く。


 瑠奈の大きな瞳に、俺の瞳が映り込んでいる。俺の瞳にも、光を帯びた瑠奈の瞳がはっきりと映っているだろう。


 つま先が触れ合いそうな距離。あとほんの少し踏み出せば、互いの唇が触れ合ってしまいそうなほどの至近距離で、彼女は瞬きもせずに俺を見つめ返していた。


「る、瑠奈……」




⭐︎⭐︎第6話に続く⭐︎⭐︎



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