第25話 転校生・新条麗奈⑤
「新条さん? 新条さんってば!」
彼はどうして、あんな顔を――。
「おーい!」
「……あっ!」
私は慌てて顔を上げた。
「ご、ごめん! ちょっと考え事しちゃって」
「うんうん、無理もないよ。転校初日だもん。疲れちゃったよね」
そう言って、目の前の彼女は期間限定のフラペチーノのストローに口をつけた。
駅前のカフェ。店内にはコーヒーの香りがやわらかく漂っている。
奥の六人掛けの席を、私たち女子高生のグループが占拠していた。
周りから見れば、きっと華やかな集団に見えるだろう。転校初日の私を囲んで、明るく笑ってくれるクラスメイトたち。申し分のない放課後の光景。
……の、はずなのに。
「そ、そういえば、朝倉くんってどういう人なの?」
つい、私はそんなことを口にしていた。
「その、隣の席だけど。不思議な人だなって思って」
「朝倉くん? うーん、悪い人じゃないかな。私が両手塞がってる時に、扉をそっと開けてくれるような人」
右隣に座っている子が、ストローを指先でくるくる回しながら言った。
「何それ、かっこいいー」
キャハハ、と女子グループらしい笑い声が席を包む。
「朝倉くんなら、莉央がよく知ってるんじゃないの? 小学校から一緒だったよね?」
そう話を振られた子――確か、藤堂莉央さんと言っていた――が、カフェオレから口を離した。
「悠真? うん。普通にいい奴だよ〜」
呼び捨て。
……って、気にするところはそこじゃない。
小学校から一緒ということは、彼のことをかなり知っているのだろうか。
私は思わず身を乗り出していた。
「ゆ……朝倉くんって、彼女とかいるのかな?」
その質問を口にした瞬間、空気が一瞬だけ止まった気がした。
「新条さん……」
「あれあれ? もしかして?」
「うっそ。マジで!?」
しまった。
自分でも「あ……」と声が漏れてしまう。
私は慌てて両手を振った。
「ち、違うよ。ただ、今日、朝倉くんに学園案内してもらったから。彼女さんがいるなら、悪いことしちゃったかなって思っただけ」
喉が渇いて、私はアイスコーヒーをストローで吸い込んだ。
甘くて苦い液体が喉を通る。でも、渇きは少しも癒えなかった。
「なぁんだ。そういうことか」
「でも、彼女かどうかは分からないけど、仲の良い子はいるよね?」
仲の良い子……もしかして、図書室の子?
栞、って呼ばれていたあの子。でも悠真くんはあの子のこと好きな女の子じゃないと言っていた。だとしたら別の子?
私の胸の奥が、ほんの少しだけざわつく。
藤堂さんが口元に手を当てた。
「うん。凛のことかな。E組の結城凛。家が隣同士で、幼稚園に入る前からずっと一緒だって」
「幼馴染カップル!?」
その言葉に、席が一気に華やいだ。
けれど、その華やかさの中で、私だけが少し遠くに置いていかれたような気がした。
私は今日初めて隣に座ったのに、幼稚園に入る前から彼の隣にいる人がいる。
「でも、最近は全然一緒にいるところ見ないんだよね」
藤堂さんはそう言って、またカフェオレに口をつける。
「そ、その結城凛さんって、生徒会長?」
「ううん、違うよー。生徒会長は皇絢音さん。すっごい美人なんだよ。成績もすっごく良いし。そういえば皇さんも朝倉くんと幼稚園から一緒なんだっけ」
「そうなんだ……」
じゃあ、あの時すれ違った人が、皇絢音さん。
図書室を出たあと、悠真くんに案内してもらっている途中で、私たちは生徒会長の胸章をつけた彼女とすれ違った。
腰まで伸びる艶やかな黒髪。
冷たく整った表情。
けれど、その奥に、簡単には折れない芯のようなものを感じさせる人だった。
男の人と女の人を従えるようにして歩いてきた彼女は、私と悠真くんを見て、静かに「こんにちは」と言った。
私も、悠真くんも、「こんにちは」と返した。
それだけ。それだけのはずだった。
でも――。
悠真くんの声は、ほんの少しだけ震えていた。
通り過ぎた彼女を一瞬だけ見送る横顔は、ひどく寂しそうに見えた。
図書室の女の子。
幼馴染の結城凛さん。
生徒会長の皇絢音さん。
悠真くんの周りには、私の知らない女の子の影がいくつもある。今日出会った私にはとても追いつけそうにない時間の蓄積がある。
「新条さーん! また考え中?」
「本当に疲れてるみたいだし、今日はもうお開きにしよっか」
私は俯いたまま、口の中で言葉にならない何かを飲み込んでいた。
彼女たちがカップを片付け始めていることに、しばらく気づけなかった。
◇
どうしてだろう。
気づけば、彼のことばかり考えている。
今まで、こんなこと一度もなかったのに。
ううん。ダメ。
私は、いつまでこの街にいられるのかも分からないんだから。
「麗奈。ごはん、冷めちゃうよ?」
「転校初日は疲れたか? その……学校はどうだ? 馴染めそうか?」
止まっていた箸を、私は慌てて持ち直した。
チェリーの木で出来た少し赤みがかった明るいテーブルの上には、煮込みハンバーグと、付け合わせの人参、ブロッコリーが盛り付けられたお皿。それから、ごはんとお味噌汁。
顔を覗き込んでくるママとパパに、私は微笑んでみせた。
「うん。クラスのみんなとも、仲良くなれそう」
「それはよかった。麗奈には、本当にすまないと思ってる」
パパが私に頭を下げた。
「またそれ。私は大丈夫だよ」
そう。大丈夫。
たとえ、またすぐにこの街を離れることになったとしても。
きっと、大丈夫。
私はハンバーグを箸で少し大きめに切り、口に運んだ。
「うん、おいしい! ママ、このレシピ教えてよ」
「もちろん。じゃあ、あとで送っておくね」
「ありがと」
ふふ。今度、お弁当に入れて、食べてもらおうかな。
……え。
誰に?
「麗奈、どうしたんだ? その……急に顔をぶんぶん振って」
「な、なんでもない!」
パパとママが顔を見合わせる。
もう、考えるのはやめよう。
だって、これ以上考えたら、きっとつらくなる。
「パパ」
「ん?」
「この街には、どのくらいいるの?」
私がそう聞くと、パパはハンバーグを箸で切る手を止めた。短ければ半年の時もあった。長くても……
「食事の後に言おうと思ってたんだが……麗奈の受験のこともあるから、しばらくここに住めるように会社と交渉したんだ。了承ももらえた」
「……え?」
「少なくとも麗奈が高校卒業するまでは、ここに住む」
時間が、止まった気がした。
「その後は桜ヶ丘学園大に進んでもいいし、麗奈の行きたい大学に進んでもいい。もちろん、大学以外の進路を選んでも、パパは全力で応援するぞ」
パパはそう言って、力こぶを作ってみせた。
「麗奈が望むなら、高校卒業後は一人暮らししてもいいのよ。パパは反対するだろうけど。また転勤なら仕方ないしね」
ママが、パパをみてくすくすと笑う。
卒業までこの街にいる。
卒業後は望めば一人暮らししてもいい。
え……ということは……。
私のお箸を持つ手がピタリと止まった。
心臓の音が段々と大きくなる。
私、この街を離れなくてもいいの?
あの人のそばから、離れなくてもいいの?
え?
じゃあ。
恋しても。
……いいの?
⭐︎⭐︎第26話につづく⭐︎⭐︎




