第24話 転校生・新条麗奈④
「図書室、こっち」
悠真くんに先導され、私は中庭を抜けた。
新校舎へ続く渡り廊下を通り、さらに旧校舎へ。窓の外では、秋風に揺れる木々の葉が、かすかに色づき始めている。
図書室は、旧校舎の三階にあるらしい。
「図書室って、よく利用するの?」
「うん。あまり人もいないしな。調べ物なら大学部の図書館の方が便利だから、こっちは来る人が少ないんだ。来ても昼寝しに来るやつとか」
はは、と悠真くんが笑う。
「ふーん。実は、好きな女の子が図書室にいるから通ってるとか?」
私は、何気ないふりをして探りを入れた。
「まさか」
返事はあっさりしていた。
声にも揺れはない。
たぶん、本当なのだろう。
じゃあ、本当に図書室が好きなだけなんだ。
私は、ほんの少しだけほっとした。
……ん?
なんで、私はほっとしているの?
私は思わずぶんぶんと首を横に振る。
「麗奈……そんなに力いっぱい首振ってどうした?」
「な、なんでもない!」
慌てて答えると、悠真くんは不思議そうに首を傾げた。
そんな目で見ないで。
自分でもよく分かっていないのだから。
やがて、図書室の入口に着いた。
この一角だけ、少し天井が高い。旧校舎らしい落ち着いた空気があり、廊下のざわめきもここまで来るとどこか遠く聞こえる。
入口脇の台には、今月の推薦図書のポップが並んでいた。丸みのある可愛い文字で、本の紹介文が添えられている。
『私を忘れないで』
『キジ猫カーの密室事件簿』
『518,716秒のあいだに』
短編を中心に選んでいるようだった。
私がポップを見ている間、悠真くんは何も言わずに待っていてくれた。
それに気づいて、私は少し慌てて彼のそばへ戻る。
悠真くんは図書室の重い扉を開けた。
「栞〜、来たぞ」
下の名前で呼んでいる。
随分、親しそう。
でも、名前なら私たちだって呼び合っている。
私も悠真くんって呼んでいるし、彼も私を麗奈と呼ぶ。
だから、別に気にすることなんてない。
……ないはずだ。
「先輩、今日はずいぶんゆっくりですね?」
貸出カウンターに座っていた女の子が、こちらへ顔を向けた。
メガネをかけ、肩のあたりで切り揃えた髪。大人しそうな雰囲気だけれど、顔立ちは整っている。
今、先輩と呼んだ。
ということは、一年生だろうか。
「ちょっと用事があって。ごめんごめん」
悠真くんはそう言うと、買ってきたパンの袋からジャムパンを取り出し、その子へ差し出した。
「これで手を打ってくれ。好きだろ、それ」
……それ、悠真くんが私のために勝ち取ってくれたパンなんだけど。
胸の奥が、ちくりとした。
別に、パンくらいどうでもいい。彼が誰に何を渡そうと、私には関係ない。お金だって悠真くんはクリームパンとあんぱんの分しか受け取ってくれなかった。
それに、私がお弁当の半分をあげたせいで残ったパンなのだから、それを彼がどう処理しようと自由なはずだ。
そう理屈では分かっているのに、なぜか少しだけ面白くなかった。
「まあ、いいですけど」
女の子はそう言って、受け取ったジャムパンを大事そうに見つめた。
その表情が、少しだけ柔らかくなる。
私は、ごほんとひとつ咳払いをした。
「ところで、そちらの方は?」
女の子がこちらを見る。
メガネの奥の瞳が、私を値踏みするように細められた。
次の瞬間。
ぎらり、と。
暗い光が、その目に宿ったような気がした。
ぞくり。
背筋に冷たいものが走る。
これは……?
「転校生。今、学園を案内してるの」
「そうですか。なら大丈夫ですね」
女の子は、にっこりと笑った。
大丈夫ってどういう意味だろうか。
それに、さっきの気配も消えて、目の暗い光など最初から存在しなかったかのような、穏やかな笑顔だった。
……気のせい?
私の見間違いだったのだろうか。
「利用者カード、作ってくれる?」
「分かりました。えーっと」
「新条麗奈です」
「新条先輩ですね。では、こちらに記入をお願いします」
丁寧な話し方なのに、どこか距離を感じる。
壁を作っているような、そんな礼儀正しさだ。
彼女はA5の用紙とペンを差し出してきた。私はそれを受け取り、近くの席に腰を下ろす。
氏名、クラス、連絡先。
必要事項を書き込もうとしながらも、どうしても意識はカウンターの方へ向いてしまう。
悠真くんと図書委員の女の子は、そのまま何やら話し込んでいた。
聞き耳なんて、行儀が悪い。
そう思いながらも、私はペンを動かすふりをして、耳だけをそちらへ傾けた。
「それで先輩、昨日はどうだったんですか?」
昨日?
昨日、何があったのだろう。
「……ダメだった」
悠真くんの声が、少しだけ沈む。
何かに失敗したのだろうか。
「じゃあ、消しておきますね〜」
シュッシュッ。
彼女がペンを走らせる音が聞こえた。
ただ何かを書き込んだだけのはずなのに、その音は妙に耳に残った。
「お前、やっぱり嬉しそうだな」
「そんなことないですよ〜」
いや。あれは、絶対に嬉しそうだ。
声が弾んでいる。
隠す気があるのかないのか分からないくらい、分かりやすい。
私は利用者登録書に素早く記入を終えると、立ち上がった。
そして、二人の間に割って入るようにカウンターへ近づき、用紙を差し出す。
「はい。できました」
私は女の子に向かって、にっこりと笑った。
今朝も使った、感じのいい笑顔。
けれど今は、ほんの少しだけ別のものが混ざっていたかもしれない。
「ありがとうございます」
女の子も、にっこりと笑う。
笑顔と笑顔が、カウンター越しに向かい合った。
「では登録しておきますので、しばらくはこちらの仮登録証を使ってください」
「分かりました。ありがとう」
私は仮登録証を受け取り、悠真くんへ顔を向ける。
「悠真くん、次をお願いできる?」
「あ、ああ。分かった」
悠真くんは少しだけ戸惑ったように頷いた。
そのまま私たちは図書室の出口へ向かう。
扉の前で、私は背中に視線を感じた。
ぞくり。
まただ。
また、さっきと同じ。
冷たくて、鋭くて、背中を撫でられるような感覚。
強い敵意。あるいは、殺意。
そんな言葉が、頭に浮かんだ。
今はもう感じない。
けれど、私は振り返れなかった。
今振り返ったら、何か見てはいけないものを見てしまう気がした。
……気のせいよね?
そう自分に言い聞かせながら、私は悠真くんの少し後ろを歩いて、図書室を出た。
⭐︎⭐︎第25話につづく⭐︎⭐︎




