第21話 転校生・新条麗奈①
廊下で、小さく息を整える。
胸元でリボンの結び目を直し、スカートのプリーツを軽く手で払った。
桜ヶ丘学園高等部二年A組。
半分だけ開け放たれた教室の扉からは、秋の空気とともにチョークの匂いと、担任がホームルームを進める声、生徒たちのくすくすという笑い声が漏れ聞こえてくる。
今日から、この教室が私の新しい居場所になる。転校初日のこの第一印象が、これからの学園生活を決定づけると言っても過言ではない。
しっかりしろ、私。
「今日は転校生を紹介します。……新条さん、どうぞ」
白月先生の穏やかな声に呼ばれ、私は背筋を伸ばし、教室へ足を踏み入れた。
その瞬間、何十もの視線が一斉に私へ突き刺さるのを感じた。
転校生という珍しい存在だから。
もちろん、それもあるだろう。けれど、それだけじゃないことくらい、自分でもよく分かっていた。
私は教壇の横へ立ち、黒板を背にして教室をゆっくりと見回す。
「今日からこのクラスで一緒に勉強することになった、新条麗奈さんです。皆さん、仲良くしてくださいね」
先生の紹介を受け、私は一歩前へ出ると、丁寧に頭を下げた。
「新条麗奈です。急な親の都合で転校してくることになり、分からないことも多いと思いますが……よろしくお願いします」
顔を上げ、ほんの少しだけ首を傾げて、柔らかく微笑む。
男子の何人かの、息を呑む音が聞こえた。
「……やば、めっちゃかわいい」
「読モとかやってない?」
最前列の男子たちが交わす、そんな呟きまでしっかりと耳に届く。女子たちも、値踏みするような視線を向けつつも、明らかな興味を隠しきれていない。
……うん、いつも通り。
別に自惚れているわけではない。ただ、事実として、私の容姿が他人の目を引くということを、昔から経験として知っているだけだ。
今回も、クラスに馴染むのには苦労しないだろう。少しホッとする。転校は初めてじゃないが、初日はいつも緊張する。
――けれど、一人だけ違う反応を示す人がいた。
窓際、後ろから二番目の席。
手元に文庫本を広げている男子が、ぼうっとした表情でこちらへ顔を向けている。
見惚れているわけじゃない。あれは、無関心に近い顔だ。
少し癖のある黒髪。眠そうな目。顔立ちは平凡に見える。決して女子が騒ぐような派手なタイプではない。
私は彼に向かって微笑みかけた。
すると彼は軽く首を不思議そうにひねった。それから手元の本に視線を落とす。
……え?
私の笑顔、今、絶対に見えたよね?
男子なら大抵、もう少し見つめてきたり、照れて目を逸らしたりするはずだ。あんな風にスルーされたのは初めてかもしれない。
「席は……朝倉さんの隣が空いていますね。新条さん、あちらへ」
白月先生が指し示したのは、よりにもよってその彼――窓際の後ろから二番目の、通路を挟んだ隣の席だった。
私は内心で戸惑いながらも笑顔を作り、「はい」と頷いて歩き出す。
彼の隣の席へ鞄を置き、椅子を引いた。
「これからよろしくね。えっと……朝倉くんだっけ?」
彼は本を閉じ、こちらへ向く。
表紙には、かわいらしいアニメ調の女の子のイラストが描かれていた。ライトノベルだろうか。
「ああ、よろしく。俺、朝倉悠真。悠真でいいよ」
……へぇ。
初対面なのに、一切の照れもなく下の名前で呼ぶように言ってくるなんて。見た目によらず、女子との距離を縮めるのが上手い、チャラいタイプなのかな。
なら、こちらにも考えがある。私は少しだけ悪戯心を湧かせた。
「じゃあ、私のことも麗奈でいいよ」
どう?
転校生女子からの、特別な許可。少しくらい頬を赤らめたり、動揺したりするでしょう?
「うん。じゃあ麗奈」
あまりにも自然だった。
まるで幼稚園の頃からそう呼んでいたみたいに、私の名前を呼んだのだ。
「……っ」
その反応に、思わず私の方が頬を熱くしてしまう。
何なの、この人。
私のペースは、完全に狂わされていた。
◇
一時間目の授業が終わって、立ち上がった途端、私はクラスメイトたちにぐるりと囲まれた。
「ねえねえ、どこから転校してきたの?」
「彼氏いる!? いないなら俺なんてどう?」
「部活は何やってた? うちのテニス部来ない!?」
次から次へと飛んでくる矢継ぎ早の質問。私は笑顔で愛想よく答えを返していく。
「前住んでた場所は結構遠いんだ。……部活はまだ決めてないかな。彼氏なんて全然いないよ?」
周囲から「えー、絶対嘘だー!」という歓声が上がる。
順調な滑り出しだ。けれど、私は横目でチラリと窺ってしまう。
朝倉悠真は……
……また、あのライトノベルを読んでいた。
私がこれだけ騒がれているというのに、質問に参加するどころか、こちらを一瞥しようともしない。
え、本当に興味ないの?
さっき名前で呼び合ったばかりよね?
私だって、それなりに自分には自信がある。昔から男子には幾度となく告白されてきたし、転校先のこの学園でも、少し愛想を振りまけば誰もが私に好意を向けると思っていた。
なのに。
この男子だけは違う。
……面白くない。
すごく、面白くない。
私の中に、何故かはわからないが今まで感じたことのない妙な負けん気がふつふつと湧き上がってきた。
私は質問攻めの途中で、「ごめんね、ちょっといいかな」と軽く笑って周囲を制し、人垣を抜け出した。
彼の席の前に立ち、読書中の彼の肩を軽くトントンと叩く。
「んあ?」
本から顔を上げた朝倉悠真が、わずかに眉をひそめて、眠そうな目で私を見る。
「悠真くん」
「ん?」
「今日の昼休み、学園を案内してくれない?」
私は彼だけに向かって、今日一番の、自分で言うのもなんだけど、とびきりの笑顔を向けた。
「お礼に、お昼ご飯ご馳走するから」
その瞬間。
教室の空気が、ぴたりと止まった。
私を囲んでいた女子も男子も、一斉に信じられないものを見るような目をこちらへ向ける。
「え? 今、下の名前呼んでなかった?」
「朝倉くん?」
「転校生、いきなり悠真を誘ったぞ!?」
そんな驚愕の声があちこちから漏れ聞こえてくる。
さあ。
朝倉悠真。
あなたは、どう答えるの?
私は試すような目を隠しながら、彼の返事を待った。
⭐︎⭐︎第22話につづく⭐︎⭐︎




