第20話 三十三人目・七瀬春華
「ちょっと待ってください。まさか、言ったんですか? ……その。愛してるって」
栞の質問は、最後だけごにょごにょと囁くような小声になっていた。
次の日の昼休み。
俺はやはり図書室のいつもの席で項垂れていた。
「いや……」
確かに言おうとした。
だが、俺がその一言を口にするより早く、乃々花の大攻勢が始まったのだ。
「朝倉くん! やっぱり演劇をやるべきだよ!」
「え?」
「今すぐ入部届を……! ううん、貴方がその気なら私の劇団に紹介しても……!」
「待って。話が急に別方向へ飛んだ」
「飛んでない! むしろ本筋だよ! やっぱり、あの学芸会の時に朝倉くんはすごいと思った私の目は間違ってなかったんだ!」
そう言って、どこから取り出したのか分からない入部届らしき紙に俺の名前を書かせようとしてきた乃々花を振り払い、俺は脱兎の如く逃げ出したのだった。
「でも、いいと思いますよ。先輩が役者さんになるの」
栞がうっとりとした目つきになる。
「私、付き人兼マネージャーをやります。公私混同しながら、手取り足取り支えちゃいますよ」
「公私混同するな。あと、なんだ手取り足取りって」
「試してみます?」
「いや、やめとく」
そう言うと、栞は不満そうに頬を膨らませた。
「それにだ。幼馴染の役しかできない役者に需要があると思うか?」
世の中に幼馴染の話しかないなら、それも悪くないのかもしれない。
幼馴染とすれ違い、幼馴染と再会し、幼馴染に告白し、幼馴染と結婚する。
そんな舞台だけを渡り歩く役者人生。
だけど世の中は残酷だ。ラノベほど、演劇やドラマに幼馴染は溢れていない。
「じゃあ、桐谷先輩の名前も消しておきますね〜。シュッシュッと」
栞が口ずさむのと同時に、赤ペンが無慈悲な音を立てる。
それにしても。
俺は小さくため息をつく。
「しばらく乃々花には近付かないでおこう」
◇
放課後。
乃々花に見つからないように、ササッと学園を出た俺は、足早に帰路についていた。
だが。
ぐぅぅ。
腹が鳴った。
「……腹減ったな」
俺は通学路から少しだけ逸れる。
金色の看板が掲げられた四角い建物。ナリキンマート、通称“ナリマ”。家から一番近いコンビニがここだった。
自動ドアが開き、ピロリン、ピロリンと電子音が鳴る。
「いらっしゃいませー」
やる気のない声が、店内にゆるく響いた。
「あれ、悠真くんじゃん」
レジカウンターの向こうで、コンビニの制服に身を包んだ女性が、ぱっと顔を上げた。
肩より少し長い栗色の髪を後ろで一つに結び、眠たげなのに妙に人懐っこい目元をした人。
「こんにちは。今日もやる気ない顔だね、春華さん」
「うん、やる気ないからね」
この人は、七瀬春華さん。
俺より五つ年上の大学生で、このコンビニで高校時代からずっとアルバイトをしている。
俺が小学校五年生だった頃、つまり十一歳くらいの頃から知っている人だ。
当時高校一年生だった春華さんは、セーラー服の上からコンビニの制服をゆるく着て、いつもレジに立っていた。
小遣いを握りしめてお菓子を買いに来た俺に、色々なお菓子をおすすめしてきて、俺の小遣いを根こそぎ召し上げる怖い人だった。
「どしたの、その顔。物欲しそうな顔だね?」
「俺をどういう目で見てるんですか」
「青春の万引き犯」
「誤解を生むようなこと言わないでください!」
「悠真くんの場合、盗みたいのは女の子の心だよね」
春華さんは、にやっと笑った。
この人には敵わない。
小学生の頃、凛と喧嘩して一人でこの店に来た時も、レジにチョコを置いた瞬間に「凛ちゃんと喧嘩したでしょ」と言い当てられたことがある。
あの時の俺は、首がもげるほど全力で横に振った。
けれど春華さんは、「そっかそっか」とだけ言って、それ以上は追及しなかった。
そして、チョコと一緒に、温かいココアを一本レジ袋に入れてくれた。
セルフレジに表示されたのは、チョコとココアを合わせた金額だったけれど。
「で、今日は何? 失恋用のチョコ? 現実逃避用の肉まん?」
「マイナスの言葉ばっかりつけないで。てか、効くのか」
「コンビニは現代人の心の保健室だからね」
店内には、肉まんの湯気と、揚げ物の匂いと、季節限定スイーツの甘い誘惑が満ちている。
人生で迷った時、人はコンビニに来るのだと、この人は言った。
なぜなら、ここには何でもあるからだ、と。
「じゃあ……春華さん一つ」
「三億円」
「たっか」
「安いもんでしょ。あたしみたいな超絶美少女を手に入れられるなら。あ、もちろん買えるのは外見イケメン性格超イケメン限定だけど」
「俺、イケメン!?」
「ごめん。間違えて売るところだったわ」
「販売中止の判断が早すぎる」
くそう。俺が金持ちでイケメンだったら絶対に買ってた。
あと、この人、自分のことを超絶美少女って言ったぞ。
確かにかわいいけど。
「肉まんとホットのカフェオレください」
「現実逃避の肉まんと、現実感が薄まるカフェオレ一つ〜」
「そのカフェオレ、変な薬入ってないですよね?」
「さぁ?」
「否定してください」
俺はレジ前に立ち、財布を取り出した。
春華さんが肉まんを包んでいる間、俺はぼんやりとその横顔を見ていた。
昔から変わらないようで、少しだけ変わった。
高校生だった春華さんは、俺にとって完全に大人だった。
たった五歳差。
されど五歳差。
小学生の俺から見れば、十六歳なんて雲の上の存在だった。
だけど今の俺は高校二年生で、春華さんは大学四年生。
そして、幼馴染リストにもバッチリ載せている。
「悠真くん」
「はいっ!?」
「顔がうるさい」
「顔が!?」
春華さんはレジ横の保温棚からカフェオレを取り出しながら、半目で俺を見た。
「また変なこと考えてるでしょ」
春華さんはレジ袋に商品を入れながら、柔らかく笑った。
「それにしても悠真くん、大きくなったよね」
「え?」
「初めて会った時、レジ台に顔が届くか届かないかくらいだったのに」
「そこまで小さくはなかったよ」
「あたしから見たらそんなものだよ。百円玉を握りしめて、お菓子を真剣に選んで」
「やめてください。恥ずかしい」
「それで、凛ちゃんと喧嘩した日は必ずチョコ。嬉しいことがあった日はアイス。落ち込んだ日は肉まん」
春華さんは、包んだ肉まんを俺の前に置いた。
「今日は肉まん。つまり、落ち込んでる」
「……名探偵ですか」
「コンビニ店員は、常連さんの人生をだいたい見てるからね」
「でも今日は腹が空いただけです」
「そういう時もある」
小学生の頃の俺も、中学生の頃の俺も、高校生になった俺も、この人はずっとレジの向こうから見ていた。
気づけば、俺は口を開いていた。
「あの、春華さん」
「ん?」
「もし……もしですよ」
「うん」
「俺が、今から春華さんに告白したら、どうします?」
言った。
言ってしまった。ちょっと卑怯な告白だったけど。
春華さんが一瞬だけ固まる。
それから、ふっと小さく笑った。
「断る」
「即答!?」
「だって悠真くん、まだ高校生でしょ」
「そ、それはそうですけど」
「あたしは大学生。五つ上。あと、勤務中」
「勤務中は関係あります?」
「あるよ。コンビニ店員として、常連の高校生に手を出すわけにはいきません」
春華さんは、レジ袋の持ち手を俺に向けて差し出した。
「俺は手を出してほしいですけど」
「自暴自棄になるものじゃありません」
「自暴自棄だなんて……」
「それにね、悠真くん」
「はい?」
「鼻垂れてる子ども相手にそんな気分になりません」
「俺、そんなに子どもですか」
「子どもだよ」
「えぇ……」
「でも」
春華さんは少しだけ身を乗り出し、俺の額を指先で軽く弾いた。
ぺしん。
「いて」
「子どもは、ちゃんと大人になるから」
俺は額をさする。
「だからね、ちゃんと大人になってから、また告白してちょうだい」
「……分かりました」
「まあ、その頃にはあたし、金持ちイケメンのお嫁さんになってるだろうけど」
「春華さん」
「ん?」
「春華さんって、彼氏いませんよね?」
「いるし! 超いるし!」
「もし、イケメンが現れそうになかったら、俺を頼ってください」
そう言った俺の顔を、春華さんがじーっと見つめる。
「悠真くん……、くれぐれも刺されないようにね」
「へ!?」
俺はつい、鞄につけている葵姉からもらった呪いのお守り人形をチラ見した。
「はい! 三百四十二円ね!」
春華さんの切り替えの早さに俺は苦い笑いが漏れる。
セルフレジで支払いを済ませ、レジ袋を受け取りながら、妙に肩の力が抜けていくのを感じた。
「悠真くん」
「はい?」
「また来なよ」
「もちろん」
そう言って、俺は入ってきた客と入れ替わるように、自動ドアから外へ滑り出た。
しばらく歩いたところで、俺は肉まんの袋を開ける。袋からじんわりと温かさが伝わる。コンビニを出た俺の心の温度と似てる気がした。
心が、春華さんにレンジでチンしてもらったような気分だった。
ほかほかと湯気の立つ肉まんに、勢いよくかぶりつく。
「……うっ!! げほっ!?」
辛い!?
なんだこれ、辛すぎる!
口が燃えるように熱い。そして痛い。
俺の幼馴染愛よりも激しく口が大炎上していた。
俺は手を振るわせながらレシートを確認する。
『超激辛ハバネロまん』
持っていたレジ袋がバサっと道路に落下して、コロコロとカフェオレのボトルが転がった。
「覚えてろぉぉぉ!」
青春ドラマのやられ役みたいな台詞が、住宅街にこだました。
⭐︎⭐︎第21話につづく⭐︎⭐︎




