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第2話 二人目・鈴木綾香

「それで結局、結城先輩には見事に振られちゃったわけですか」


「ああ……」


 翌日の昼休み。

 俺は図書室の椅子に座り、栞の前で深く項垂れていた。


 昨日、俺が凛に告白して、目を瞑ってしまった時。


 トン、と。

 胸に柔らかいものは、待てど暮らせど当たらなかった。


 俺がそっと目を開けると、揺れていたはずの彼女の瞳は、左の眉を上げて突然キッと睨みつけるような鋭い目つきへと変わっていた。


「ず、ずっと隣にいたからって、なんでいきなり……バカバカバカ! もう、知らないっ! あんたなんて好きでもなんでもないわよっ」


 そう叫んで、そのまま夕陽の反対へ走り去ってしまったのだ。


 あの時、凛は指で髪先を巻いていなかった。だからあの言葉は彼女の本心なのだ。

 俺は凛から好かれてなどいなかった。あんなに一緒に時間を過ごしたはずなのに。


「はぁ……俺の何が悪かったんだろ」


「何もかもじゃないですか?」


「……なんだかお前、ちょっと嬉しそうだな」


「そ、そんなことないですけど。……ところで、幼馴染との結婚計画はこれで頓挫ですか? 私なら、付き合ってあげなくもないですよ?」


「お前は俺の幼馴染じゃないから恋愛対象外だ」


 俺が即答すると、栞は不満げにぷくっと頬を膨らませた。


 そう、栞は高校からの編入組だ。


 昼休みや放課後によく図書室に入り浸る俺に、図書委員の栞が話しかけてくるようになり、今ではこうして軽口を叩き合う仲になった。だが、残念ながら『幼馴染』という俺の絶対条件は満たしていない。


「まぁ聞いてくれ。幼馴染と結婚する確率が1%ってことは、付き合える可能性自体はもっと高いってことだよな? つまり、百人の幼馴染に告白すれば、一人くらいはOKしてくれる。これはもう数学だ」


 そう。凛に振られた今、俺の幼馴染結婚計画のためにはなりふり構っていられなかった。


「……先輩って数学苦手なんですね」


 苦手? だって1%は百分の一ってことだろ? 栞は数学が得意じゃないのかな?


「いやいや、これは簡単な確率論の話だ」


「まぁいいです。でも、そもそも先輩に幼馴染が百人もいるんですか?」


「幼馴染の定義は曖昧だ。だから俺はこう決めた。小学校を卒業するまでに知り合って、今でも連絡が取れる女子。これを幼馴染とする」


「はぁ」


「さらに、同年齢にはこだわらず、年上や年下も含めるものとする」


「定義を広げる(ガバガバにする)ことで母数を増やしたんですね」


「正確な統計には、十分なサンプル数が必要だからな」


「最低ですね」


「で、徹夜でリストアップしたのがこれだ。ここから凛を消して……よし、残り九十九人だな」


 昨晩、ショックを振り払うようにして書き上げたリストを、ばーんと栞の前に突きつける。


「いい感じに狂ってます。……というか、紙のところどころに水滴が落ちたような跡がありますけど」


「ただの水だ」


「それと、リストの中に、昨日振られた結城先輩のお姉さんや妹さんの名前までバッチリ入ってますけど……」


 栞が指差した名前の備考欄には「凛の姉」「凛の妹」と書き込んであった。


「大真面目だ。俺の人生が懸かってるんだからな」


「……別にいいですけど。で、次は決まってるんですか?」


「ああ、次は——」




 ◇




「はぁ……私のバカバカバカ! せっかく悠真が告白してくれたのにっ」


 昨日、勢いよく彼を振ってしまった私は、一晩中ベッドの上で悶え苦しんでいた。今日も、授業の内容なんて一切頭に入らずに放課後を迎えてしまっていた。


 でも……悠真も、いくらなんでも急すぎる。例えば休みの日に一緒に出かけるとか、そういう定番のイベントをこなして、お互いの意識を高めてから告白してくれていたら……私だって心の準備ができたはずなのに。


 だから昨日は悠真の突然の告白でフリーズしてしまったのだ。指の先一本まで固まってしまい、さらに思ってもいないことを言ってしまった私は、その場から逃げ去ることしかできなかった。


 でも——。


「……ちょっと、言い過ぎちゃったかな。今日、私から謝って……その、OK、しようかな……」


 ポツリと独り言をこぼした私の視界の先に、見慣れた背中が映った。


(悠真? やっぱりあの子の言った通りこんなところにいた)


 帰宅部の悠真が、運動部の部室棟の裏なんかに、何の用があるんだろう?


 だけど、これはチャンスだ。

 私は跳ねそうになる心臓を押さえつけて、声を絞り出す。


「ゆう——」


 声をかけようとした私の言葉は、喉の奥でピタリと止まった。


 悠真の向かいに立っているのは……。




 ◇




 俺の目の前にいるのは、幼稚園の泥んこ遊び時代からの幼馴染であり、現在は陸上部のエースとして活躍する同級生、鈴木綾香(すずきあやか)


 着慣れたジャージ姿に、少し高めの位置で結ばれたポニーテールがよく似合う快活な女子だ。


 俺は緊張でゴクリと唾を飲み込む。

 その音が、いつもよりやけに大きく響いた気がした。

 

 昨日のことがふと頭をよぎる。俺は一瞬だけ唇を噛み締めた。そして、今は目の前の彼女だけを見る。


「綾香……ずっと前から好きだった。俺と、付き合ってくれ!」


 綾香はぽかんと口を開け、手にしていたスポーツドリンクをあわや落としそうになった。


「あっ、あんた、急に何言ってんの?」


「急じゃない! 俺はずっと(幼馴染のことが)好きだったんだ! それに、覚えてるか、あの幼稚園の時に校庭でした約束!」


「約……束。悠真、覚えてたの!?」


「当たり前だろ。幼稚園の時、何度かけっこをしても俺に勝てなかったお前が言ったんだ」


「『大きくなったらもう一回勝負して。そのとき私が負けたら結婚してあげる』……か」


「お前も、覚えてたんだな……」


 綾香の顔がほのかに赤く染まる。それに気付いたのか、彼女は誤魔化すように俺からぷいっと顔を逸らした。


 その可愛さに俺はつい見惚れてしまった。


「あんたこそ、全然勝負してくれないから忘れたんだと思ってた」


「ごめん」


「わかった。いいよ、勝負しよ。私が負けたら、付き合うでも結婚でもしてあげるわよ」


「ほ、ほんとか!」


「な、なによ……そんな嬉しそうな顔して……こっちの身にもなりなさいよっ」


「よし、じゃあ着替えてくる!」




 ◇




 高校のグラウンド。


 まっすぐに引かれた真白な五十メートルのライン。


 気を利かせた陸上部の部員が、スターターとタイム計測の役を買って出てくれている。


 これで舞台は整った。

 あとは、この勝負に勝つだけだ。


 隣のレーンに立つ綾香の横顔を盗み見る。その瞳は少し潤んでいるように見えた。心なしか、あふれ出そうな笑顔を必死に噛み殺すように口元を引き締めている。


「それじゃあいきますよー。位置について」


 部員の声がグラウンドに響き、俺と綾香は同時にスタートの体勢をとった。


 張り詰めた空気が、二人の間を通り抜ける。


「よーい、——ドン!」




⭐︎⭐︎第3話に続く⭐︎⭐︎



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