第17話 三十一人目・和泉美玖②
「私と付き合う?」
「…………へ?」
俺の中の時が止まった。
けれど、玄関に掛かった時計の秒針だけは、やけに大きく聞こえる。
今、何と言った?
私と付き合う?
美玖ちゃんが?
颯太の妹の、美玖ちゃんが?
俺と!?
「え、えっと……」
「どうしたの? 悠真くん、顔赤いよ?」
美玖ちゃんは楽しそうに目を細めながら、さらに一歩近づいてくる。
ふわりと、甘いシャンプーの香りが届いた。
昔は颯太の後ろに隠れるようにして、俺たちのゲームを横から覗いていた子だった。俺が勝つと、「ゆーにい、すごい!」と手を叩いて喜んでくれた、小さな妹分。
その子が今、目の前で、少し大人びた顔をして、悪戯っぽく笑っている。
まずい。
これは、かなりまずい。
俺の中のラノベ脳が、起き上がってはいけないタイミングでむくりと立ち上がった。
『男友達の妹。昔は小さかったのに、久しぶりに会ったら可愛く成長していて、傷心の主人公に「私と付き合う?」と囁く。これは――』
違う違う違う。
落ち着け、朝倉悠真。
相手は中学生だ。俺の倫理観、今こそ全力で働け。リストアップした俺も俺だが、ここで仕事をしなかったら、一生の信用問題だぞ。
分かっている。分かっているのに、心臓だけが勝手に跳ねる。
だって、幼馴染が俺に告白してきたのだ。
いや、告白なのか? 本当に? からかわれているだけじゃないのか? でも「付き合う?」って言ったよな? つまり幼馴染と付き合える? ということは、その先には、もしかして結婚という可能性まで――。
ダメだ。
俺の中のブレーキが、悲鳴を上げている。
「み、美玖ちゃん。それは、その……」
「うん」
「付き合うって、つまり……」
「つまり?」
美玖ちゃんが、にこっと笑う。
「俺とけっこ――」
その瞬間だった。
「美玖ぅぅぅぅぅぅぅっ!!」
二階から、地鳴りのような叫び声が響いた。
直後、階段を転がり落ちる勢いで颯太が現れる。黒髪短髪。昔から変わらない鋭い目つき。だが今、その目は獲物を横取りされた猛獣のそれだった。
「おい悠真ァ! てめえ、俺の妹に何してんだ!」
「何もしてねえよ! むしろされた側だ!」
「された側!? 美玖! お前、何した!」
「えー? 悠真くんが落ち込んでたから、慰めてあげようかなって」
「慰めるぅぅ!? おい悠真、まさか手ェ出したんじゃねぇだろうな!」
「出してない! 指一本触れてない!」
「悠真! 妹に手を出したら、いくらお前でもタダじゃおかねぇぞ! 友情ごと墓に突っ込んでやる!」
「だから出してない! そもそも俺は今日はお前と遊びに来ただけだ!」
「確かにそう言っていた。だが、さてはそれを口実に美玖を口説きに来たんだな!」
「違う! 疑い方が重すぎる!」
俺が必死に否定すると、美玖ちゃんは颯太の背中にぴとっとくっついた。
「お兄ちゃん、怒りすぎ。悠真くん困ってるよ?」
「お前が原因だろうが!」
「だって、お兄ちゃんに妬いて欲しかったんだもん」
……兄に、妬いてほしい?
俺の頭の中で、何かがきしんだ。
俺の聞き違いか?
あれだ。「お兄ちゃんに焼き魚焼いてほしい」とか。そういうやつだ。
「じゃあ今度も、お兄ちゃんとお出かけするとき、腕組んであげるから」
「……うむ。なら、それでいい」
颯太はあっさり満足げに頷いた。
待て。
待て待て待て。
俺は二人を見比べる。
美玖ちゃんは颯太の腕に、自分の腕を当然のように絡めている。颯太も口では怒鳴っているくせに、妹を振り払う気配はまるでない。むしろ、受け入れる姿勢が自然すぎる。
「……ちょっと待て」
「あ? なんだよ」
「美玖ちゃん。颯太と外でも腕組んで出かけるの?」
「うん。よく駅前で買い物して、クレープ食べて、映画観るよ」
「デートじゃねえか!」
「兄妹でデートして何が悪い!」
颯太が即座に叫ぶ。
美玖ちゃんは兄の腕にぎゅっとしがみつき、にこにこと笑った。
「お兄ちゃんと出かけるの、いつも楽しいんだ〜」
「そうかそうか。やっぱり美玖はいい子だな。今度クレープいくらでも奢ってやる」
「やったー。お兄ちゃん大好き!」
違う。愛と同じようなセリフなのに意味が全く違って聞こえた。
「おう!」
颯太の元気いっぱいの声に、俺は頭を抱えた。
何だこれは。
男友達の家に遊びに来ただけのはずなのに、なぜ俺は玄関先で濃厚な兄妹愛を見せつけられているのだ。
そういえば昔からこの二人は距離が近かった気がした。
俺は震える指で二人を指差した。
「お前ら……」
「何だよ?」
「なに?」
兄妹が同時に首を傾げる。
その息の合い方に、俺は確信した。
「お前ら、ブラコンかよ!」
「失礼な。俺はシスコンだ」
「ブラコンは私だよー」
美玖ちゃんは颯太に目いっぱいくっついたまま、俺に向かってぺろっと小さく舌を出した。
「ちっくしょーーーー!!」
俺の絶叫が、和泉家の玄関に虚しく響き渡った。
⭐︎⭐︎第18話につづく⭐︎⭐︎




