第16話 三十一人目・和泉美玖①
「これで三十人目もダメでしたね!」
十月半ばも過ぎて、昼の日差しもようやく和らぎ、図書室の開いた窓から入る風からは枯葉の匂いがした。
「いやぁー、あの一日で五人の時もすごかったですけどねぇ」
栞は楽しげに、軽やかなリズムで赤ペンを走らせる。シュッ、シュッと響くその音は、まるで俺の青春が切り捨てられていくカウントダウンのようだった。
「それにしても不思議ですね。これだけ告白を繰り返しているのに、我が校で噂の一つも立たないなんて。いい加減『告白モンスター出現!』くらいの騒ぎになってもおかしくないと思うんですが」
「誰がモンスターだ」
確かに、自分でも思う。普通ならとっくに学園の要注意人物としてマークされていても不思議ではないはずだ。
ただ、告白未遂で終わっていることが多いのも事実だった。先ほど栞が言った一日で五人の時も告白前に撤退している。
告白が進路相談だと思われたり、ガタイのいいお兄さんが出てきたこともあった。
「まあ、幼稚園や小学校からこの学園に通っているようなお育ちの良い方々は、自分や他人の恋愛事情を言いふらしたりしないんでしょうか」
栞が首を傾げているのを見てから、俺は外に目を遣った。
あの後、絢音に凛と話したことをメッセージで報告した。
絢音からは短く「そうですか」とだけ返ってきた。それからはやりとりしていないし、学校で話すこともない。彼女の声を聞く機会は、集会の壇上で話しているのを見ている時だけだった。
でも。絢音と凛が一緒に歩いて、笑っているのを見た時、俺は心底ホッとした。
なのに、俺はまだこんなことを続けている。
正直、自分でも何をしているのか分からなくなっている。何度も「もうやめよう」と、栞が持つリストをひったくって、破り捨てようとした。
けれど、どうしても手が動かなかった。
俺はもう、凛みたいに誰かを傷つけたくない。
絢音みたいに、誰かに苦しい顔をさせたくない。
でも、それでも。
自分の夢を、笑って捨てられるほど大人にもなれなかった。
幼馴染と付き合って、結婚する。
その可能性がたったの1%だと知ってしまった瞬間から、俺の歯車はどこか決定的に狂ってしまったらしい。
以前、栞に聞かれたことがある。「なぜ、そこまで幼馴染に執着するんですか?」と。
俺自身にもはっきりしたことは分からない。ただ、あの数字を知った時から、この渇望感に脳を焼かれ続けているのだ。
これもまた、絢音への想いを諦めきれない俺の弱さかもしれない。
もしかしたら、誰か一人でもOKしてくれるか、それとも全員の名前にバツがついた時、この渇望から解放されるだろうか。
「……で、今日はどうするんですか?」
栞の声で思考から引き戻される。俺は図書室の机に突っ伏したまま、溜息を吐いた。
「今日は幼馴染の家に遊びに行ってくる」
「家……? まさか。先輩、それは犯罪ですよ。襲いかかるんだったら私にしといてください」
「男だよ、男! ……って、今度はそのにやけ顔とよだれはなんだ! 誤解するな、俺にBLの趣味はない!」
「それは残念ですね。……それにしても、驚きました」
栞が心底驚いたように目を見開いた。
「先輩に、男の幼馴染がいたんですね」
「……お前、俺を一体何だと思ってるんだ?」
「告白モンスター」
ついに栞にまでこの扱い。
お前は俺の味方じゃなかったのかよ。
「で、その幼馴染というのは?」
「あ、ああ。和泉颯太。学校は違うけど近所に住んでて、昔からの幼馴染だよ。今も別の高校に通ってるけど、家が近いからたまに遊ぶんだ」
栞が、なぜか少しだけ目を細めた。
「なんだよ」
「いえ。リストには入っていないんですか?」
「入れるわけないだろ。俺は幼馴染女子と結婚したいのであって、男と結婚したいわけじゃない」
「多様性の時代なのに」
「多様性の時代なのは認める。でも俺の恋愛対象に多様性を求めるな」
そんなやり取りをしつつ、俺は鞄を肩にかけた。
「じゃあ、そういうわけで放課後は図書室来ないから」
「はいはい。その和泉さんに、たっぷり人生相談してきてください。ついでに人間性も矯正してもらえるといいですね」
「俺の人間性はそこまで歪んでないし、多分颯太の方が歪んでいる」
「告白三十連敗してる人が言っても説得力ないですよ」
「三十敗じゃない。愛はノーカウントだし、何人かは実質ノーゲームだ」
「ところで先輩。リストに和泉という名前があるのですが……下の名前が美……」
栞の指摘に、俺は逃げるように図書室を後にした。
◇
和泉颯太の家は、俺の家から歩いて五分ほどの住宅街にある。
小学校の頃から何度も遊びに行った、見慣れた二階建ての家。庭には昔からある小さな柿の木が立っていて、玄関脇には錆びかけた自転車が一台停まっていた。
インターホンを鳴らすと、数秒後、ドタドタと慌ただしい足音が聞こえてきた。
「はーい!」
勢いよく扉が開く。
そこに立っていたのは、颯太ではなかった。
「悠真くん、久しぶり!」
「お、おう。美玖ちゃん、久しぶり」
和泉美玖。
颯太の二つ下の妹で、現在中学三年生。昔は颯太の後ろにくっついて、俺たちのゲームを横から覗き込んでいた小さな子だった。
そのはずなのだが。
目の前に立つ美玖ちゃんは、記憶の中の小さな妹分よりもずっと背が伸びていて、髪も肩のあたりで綺麗に整えられている。制服姿ではなく、淡い色のパーカーにショートパンツというラフな格好だった。
昔は「ゆーにい」と舌足らずに呼んでいた子が、今は少し大人びた笑顔で俺を見上げている。
愛とは全然違う大人びたその姿に、俺は勝手にドキマギしてしまう。
そう。この子も、小学校卒業までに知り合っていて、今でも連絡が取れる女子。
つまり、幼馴染。そしてもちろんリストにも——
「悠真くん?」
「っ!」
危ない。
だめだ。落ち着け、朝倉悠真。確かに美玖ちゃんはリストに載せてはいるが、今日は純粋に颯太と遊びに来ただけだ。
「颯太、いる?」
「いるよー。部屋でゲームしてる。上がって上がって」
「お邪魔します」
玄関で靴を脱いでいると、美玖ちゃんがくすっと笑った。
「悠真くん、なんか疲れてるね」
「まあ、いろいろあってな」
「恋?」
「ぐふっ」
あまりの衝撃に膝カックンされたように崩れる。
「な、なんでそうなるんだ」
「顔に書いてあるもん。『俺は恋愛でボロボロです』って」
「そんな顔してる!?」
「してるしてる。漫画なら、次のページで雨に打たれてる顔」
中学生にまで見抜かれる俺。もう隠密行動には向いていない。
美玖ちゃんは玄関の壁にもたれながら、にやにやと俺を見ていた。
「ねえ、悠真くん」
「ん?」
「そんなに傷ついてるならさ」
彼女は一歩、俺に近づいた。
ふわりと、シャンプーの甘い香りが届く。
「私と付き合う?」
「…………へ?」
⭐︎⭐︎第17話につづく⭐︎⭐︎




