表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
14/25

第14話 十二人目・結城葵

 押そうとして、また指を引っ込める。


 俺、朝倉悠真は、結城家の玄関先に設置された銀色のインターホンの前で、完全に不審者をやっていた。


 押すぞ、と決心する。


 一秒後には心が折れる。


 三十秒後に、もう一度押すぞと決心する。


 また一秒後に心が折れる。


 そんなことを何度繰り返しているのか、もう分からない。


 いっそのこと、メモ書きと一緒にプリントをポストに入れて帰ってしまおうか。


 宮野には「インターホンを押したけど誰も出なかった」と言えばいい。うん。それでいい。誰も傷つかない。俺の心も守られる。世界は平和だ。


 そうだ、そうしよう。


 俺は鞄を開け、ペンとメモ帳を探し始めた。


 ガサガサと探り、ようやくメモ帳を取り出す。


 その瞬間だった。


 メモを握った俺の手の甲が、うっかりインターホンのボタンに触れた。


 ピンポーン。


「ひゃあああああああ!?」


 押してしまった。


 押してしまった押してしまった押してしまった!


 やばい。


 やばい。


 出るな。


 誰も出るな。


 頼む、結城家の皆さん。今だけ全員、奇跡的に留守であってくれ。


『はーい』


 ……終わった。


 俺の人生は、ここで終了した。


 タタタタ、と小走りの足音が玄関の向こうから近づいてくる。


 この足音は、凛じゃない。


 愛でもない。


 ママさんでもない。


 もっと軽くて、遠慮がなくて、嵐みたいな足音だ。


 ガチャ!


 玄関の扉が、勢いよく開いた。


「はーい! お、悠真じゃん! 久しぶりー!」


「あ、葵姉……久しぶり」


 そこに立っていたのは、結城家三姉妹の長女、結城葵(ゆうきあおい)だった。


 明るい茶髪に、ゆるくかかったウェーブ。キャミソールの上にゆるいTシャツ、ショートパンツという、季節感よりも開放感を優先したような格好。底抜けに明るい笑顔は、昔から少しも変わっていない。


 桜ヶ丘学園大学の二年生。


 もちろん、俺が生まれた頃からの幼馴染である。


 そして当然のように、俺のリストにも名前を書いてしまった人だ。


 ……いや、今はそのことを考えるな。考えたら負けだ。


「葵姉、帰ってたんだ。確か夏休みはずっと海外を回ってるって聞いてたけど」


「もう大学始まっちゃったからねー。泣く泣く帰国よ。あ、そうだ。あとで悠真にもお土産あげる。なんか変な呪いのお守り」


「呪いなのかお守りなのか、どっちなの……」


「持ってると恋愛運が上がるらしいよ。代わりに浮気すると刺されやすくなるんだって。悠真にピッタリでしょ」


「ピッタリってなんだよ!」


「大丈夫大丈夫。悠真なら刺されても平気でしょ?」


「俺を何だと思ってるの?」


 葵姉はけらけら笑うと、俺の手元にあるプリントの束へ視線を落とした。


「で、悠真は凛のお見舞い?」


「いや、そういうわけじゃないけど」


「うんうん。がんばるねぇ。いやー、青春だねぇ。いっそのこと押し倒して既成事実を——」


「しない! しないから! そんなんじゃなくてこの書類を届けに来ただけだよ。今日中に渡してほしいって頼まれて」


「ふーん?」


 葵姉はにやにやと、からかうように目を細めた。


「まあ、そういうことにしておいてあげよう」


「本当にそういうことなんだけど」


「はいはい。とりあえず入って入って。玄関先で突っ立ってたら、ご近所さんにまた『悠真くん、凛ちゃんの家の前で立たされてた』って噂されるよ」


「またって何!?」


「昔からたまに立たされてたじゃん。凛に怒られて」


「ぐっ……」


 余計な記憶力を発揮しないでほしい。


 葵姉は笑いながら、俺を中へ招き入れようと扉を大きく開けた。


 俺は一歩踏み出しかけて、ふと引っかかった言葉を思い出す。


「……葵姉」


「ん?」


「凛、風邪ひどいの?」


 俺が尋ねると、葵姉の笑顔がほんの少しだけ薄くなった。


 いつもの軽い調子のまま、けれど少しだけ声を落として、葵姉は言った。


「うーん、熱は大したことないんだけどさ」


 そして、玄関の奥へ視線を向ける。


「あの子、ここ何日かずっと元気ないから。今日は一日休めって言って、無理やり休ませたんだよ」


「そう……」


 胸の奥が、きゅっと痛んだ。


「ほら、そんな顔してないで。上がりな」


 葵姉は俺の背中を軽く叩くと、リビングへ案内してくれた。


 結城家には、小さい頃から何度も遊びに来ていた。

 リビングのソファも、壁に掛かった家族写真も、キッチンから漂う柔らかい匂いも、何もかも見慣れているはずだった。


 なのに今日は、妙に遠い風景のように感じた。


 俺は、借りてきた猫みたいにそろそろとリビングの端に立つ。


 すると葵姉が、くるりと振り返った。


「さてと。悠真」


「へ?」


「いつものは?」


「……いつもの?」


「そう。いつもの」


 葵姉はわざとらしく胸に手を当て、大げさにため息をついた。


「あーあ、お姉ちゃん悲しいなー。久しぶりに会えたのに、悠真ってば忘れちゃったんだー」


 心なしか、いつもより葵姉の声が大きい。


「ちょ、ちょっと。大声出さないでよ」


「じゃあ、やって」


「いや、でも、それは……」


「やって」


「……」


 葵姉の笑顔は明るい。

 だが、その目は俺をまっすぐに見ていた。

 

 正直、今はやりたくなかった。

 だけど逃げ場はない。


 俺は観念して、葵姉の前に立った。


 葵姉も楽しげに一歩下がると、両手を後ろで組み、芝居がかった仕草で上目遣いに俺を見る。


 ……そう。


 これが、俺と葵姉の昔からの恒例行事だった。


 小さい頃、俺が一度ふざけて言ってしまった。

 それを葵姉が面白がり、以来、会うたびにやらされる謎の儀式になっている。


 俺は息を吸い込んだ。


「葵姉」


「はい」


「俺の……俺のお嫁さんになってくれ!」


 ……言った。


 言ってしまった。


 昔の俺、何でこんなこと言っちゃったんだ。


 いや、今の俺も何でこんなこと言っちゃってるんだ。


 そして、葵姉はいつもこう返す。


『ダメよ! 私たち、まだ早いわ! せめてあなたがもっと大きくなってから……!』


 そう、大げさな演技で。


 口元に手を当てて、わざとらしく頬を染めて、最後には俺の頭を撫でて終わる。


 そのはずだった。


 葵姉は、恥ずかしそうに顔を斜めに伏せた。

 口元に手を当てる。

 肩を小さく震わせる。


 そして、もじもじと体を揺らしながら言った。


「い、いいよ……ふつつか者ですが、よろしくお願いします」


「……は?」


 時が止まった。


 いいよ?


 よろしくお願いします?


 え?


 何が?


 誰が?


 俺と葵姉が?


「ちょ、葵姉、台詞違——」


「ななななな、何やってるのよーーーー!!」


 背後から、悲鳴みたいな怒鳴り声が飛んできた。


 俺は反射的に振り返る。


 リビングの入り口に、パジャマ姿の凛が立っていた。


 少し乱れた黒髪。

 熱のせいか、それとも別の理由か、赤く染まった頬。

 大きく見開かれた瞳は、俺と葵姉を交互に見ている。


 そして凛は、震える指で俺たちを指さした。


「お、お姉ちゃん!? 悠真!? な、なに結婚しようとしてるのよ、あんたたちはぁぁぁ!」


 葵姉は、にやりと笑った。


「お、やっと元気出たじゃん」


「お姉ちゃゃゃゃん!」


 結城家のリビングに、凛の絶叫が響き渡った。




⭐︎⭐︎第15話につづく⭐︎⭐︎



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ