第13話 十一人目・宮野沙耶
俺は教室の机に顔を横に突っ伏して、窓の外の青空を眺めていた。
十月になったばかりの空はやけに高く、小さな雲がぽつんと一つだけ浮かんでいる。まるで、行き場をなくした俺の心みたいだった。
昼休みはいつも図書室に行っていた。
けれど、あの日から一週間、俺は図書室に足を向けていない。
廊下ですれ違った栞には、「どうしたんですか? 最近、図書室に来ないじゃないですか」と尋ねられた。
俺は「ちょっと忙しくてさ」と、我ながら下手くそな苦笑いを浮かべて逃げるように立ち去った。
その後も栞からは、定期的に何気ないメッセージが届いている。
『今日の昼休み、図書室静かでしたよ』
『先輩がいないと退屈です』
『ちゃんとご飯食べてます?』
俺はそれに、無難な返事を返すことしかできなかった。
『俺が騒がしいみたいに言うな』
『悪い』
『ダイエット中』
送信ボタンを押すたびに、なぜだか心が苦しくなる。
『凛と、ちゃんと話してください』
絢音の言葉が、ずっと耳から離れない。
だけど俺は、まだ凛とまともに話すことができていない。会わなくてはいけない。言わなくちゃいけないことがある。でもどんな顔をすればいい?
凛に送ったメッセージは既読にもならず、絢音とは廊下ですれ違っても目を伏せられた。
凛にも、絢音にも、栞にも、俺は何も言えないままだ。
「はぁ……」
小さくため息をこぼし、机に額を擦り付けた、その時だった。
「朝倉ー!」
頭上から降ってきた声とともに、ぽこっと小気味良い音がして、頭に軽いチョップを食らった。
「いて! 誰だよ!」
俺がのろのろと顔を上げると、そこには見慣れた顔があった。
肩の少し下で切りそろえた亜麻色のセミロングを、ゆるく内側に巻いている女子。ぱっちりとした目元に、いつも少しだけ楽しそうな笑みを浮かべている。
宮野沙耶。
凛と同じクラスで、俺とも小学校からの付き合いがある。当然ながら、俺の告白リストにも名前が載っている。
「なんだ、宮野か」
「なんだじゃないでしょ。何回も呼んだんだから。上の空すぎない?」
「悪い。ちょっと考え事してて気づかなかった」
「考え事ねぇ。この間生徒会長に呼び出された結果、退学が決まったとか?」
「ああ、うん」
俺は適当に相槌を打つ。
「何よ、冗談なのに張り合いないわね」
宮野は不満げに腰へ手を当て、俺の顔をじっと覗き込んできた。
「最近のあんた、どうしちゃったのよ。凛といい、あんたといい。二人揃って湿気た煎餅みたいな顔して」
「誰が湿気た煎餅だ」
「パリッとしてないって意味。前の朝倉なら、もうちょっと無駄に元気だったじゃん」
「無駄にってなんだよ」
「褒めてる褒めてる」
「絶対褒めてないだろ」
宮野はけらけらと笑ったあと、少しだけ声を落とした。
「凛と喧嘩でもした?」
心臓が、ぎゅっと嫌な音を立てた気がした。
「……別に」
「ふーん。別に、ね」
宮野は俺の反応を見逃さなかったように、じとっとした目を向けてくる。
「まあ、言いたくないならいいけどさ」
宮野沙耶は、昔からこういうところがある。軽い調子で人の懐に入ってくる。
少しだけ、心が軽くなった気がした。
「で、何か用があったんじゃないのか?」
「あ、そうそう。ちょっと頼みがあってさ」
「宮野が俺に頼み……まさか、彼氏になってくれとか?」
ちょっと心が軽くなったからって、宮野相手につい軽口を叩いてしまった。
「アホか。私はもう彼氏いるし」
「そ、そうなんだ」
思ったよりも胸に来た。
俺は頭の中で、リストにある『宮野沙耶』の名前へ、栞が赤ペンでシュッシュッと容赦なくバツ印をつけるところを想像した。
十一人目、告白前に終了。
いや、そもそも今の俺に、誰かへ告白する資格なんてあるのか。
「なに一瞬でしょぼくれてるのよ」
「いや、なんでもない」
「変なの。で、本題なんだけど」
宮野は鞄からプリントの束を取り出すと、俺の机にばさりと置いた。
「凛、今日休みでしょ?」
「……休み?」
知らなかった。
俺が思わず聞き返すと、宮野はきょとんと瞬きをした。
「あれ? 知らなかったの? 風邪だって。聞かなかったの?」
「あ、ああ。最近は、その……一緒に登校してなくて」
「へぇ」
宮野の目が、また少し細くなる。
「やっぱり何かあったんじゃん」
「…………」
宮野は一瞬だけ口を開きかけて、すぐに閉じた。
そして、いつもの軽い笑みに戻る。
「まあいいや。で、凛の家に、どうしても今日渡さなきゃいけない書類があるの。先生に頼まれたんだけど、私、今日は外せない用事があって行けないんだ」
「用事?」
「彼氏と約束」
「そういう用事かよ」
「大事でしょ」
宮野は悪びれもせずに笑った。
「だから、家が隣の朝倉が一番適任。ほら、頼んだよ」
「お、おい、ちょっと待て。俺が行くとはまだ——」
「じゃ、よろしく。ちゃんと渡してね〜」
そう言うと、宮野は俺の返事を待たずに身を翻した。
「ちょ、待てって!」
俺の声には反応せず、宮野はピシャリと教室の扉を閉めた。軽やかな足取りが廊下の向こうへ遠ざかっていく。
教室に残されたのは、俺と、凛の家へ届けるべきプリントの束だけだった。
俺はじっと、そのプリントを見つめる。
白い紙の束が、まるで逃げ道を塞ぐ壁みたいに見えた。
「マジか……」
ずん、と。
心が重い音を立てた気がした。
⭐︎⭐︎第14話に続く⭐︎⭐︎




