第11話 十人目・皇絢音⑤
プシュー、と。
駅前から乗ったバスのドアが開いた。
バスの座席で揺られている間、俺たち二人の間に会話はなかった。
絢音は膝の上に置いたショップ袋を両手で大事そうに抱え、袋越しにうさぎのぬいぐるみの感触を確かめるように、ずっと優しく撫でていた。俺はずっとその横顔を見ていた。
バスから降りた後、二人で並んで、緩やかな坂道を歩く。
やがて現れた長い石段。それを一段、また一段と登り切った時、目の前の視界がパッと開けた。
「わぁ……」
息を少し弾ませた絢音の口から、感嘆の声が漏れる。
ここは、街全体が一望できる丘の上の公園。
見晴らし台の柵に歩み寄り、絢音は眼下の街並みを見下ろした。
普段はあんなに大きく感じる学園も、まるで精巧なミニチュアのようで、先ほどまで俺たちがいた駅前の線路を走る電車が、おもちゃの鉄道模型みたいにゆっくりと流れていく。
西の空に傾いた太陽が、燃えるような茜色に揺らいでいた。
その光が街を、公園の木々を、色褪せた遊具を、そして並んで立つ俺たち二人を、すべて同じ黄金色に染め上げていく。
「覚えてるか? 幼稚園の時、遠足でここに来たこと」
「……ええ。覚えています」
絢音は前を向いたまま、静かに頷いた。
「あの時は、三人で一緒にシートを広げて、お弁当を食べたんだよな」
「はい。私と、悠真くんと、……凛とで」
絢音の口から紡がれた『凛』という名前。
でも、不思議と昼間のファストフード店の時のような気まずさはなかった。
「お弁当の後は目一杯走り回って遊んで、日が沈む前に帰る時間になったんだけどさ」
「……また、変なことを覚えているんですね?」
俺の言いたいことを察したのか、絢音が少しだけ困ったように眉を下げる。
「帰り際、絢音が『まだここにいるー、さんにんでゆうひみるー』って、先生相手に大泣きして駄々をこねたんだよな」
「っ……忘れてください」
「やだ。可愛かったし」
「もう……」
絢音は耳まで赤くして、誤魔化すように再び夕陽へと目を向ける。
それからしばらく、二人で指差しながら街を眺めていた。学園や公園、街一番の豪邸。隣から聞こえる小さな笑い声が、心地いい。
ざぁ、と。
秋の始まりを告げる風が吹き抜け、足元の雑草を揺らし、絢音の艶やかな黒髪をふわりと空に舞い上がらせた。
彼女は流れる髪を細い指先で押さえながら、風の冷たさを心地良さそうに受け入れて、柔らかく微笑んだ。
その姿が、あまりにも綺麗で。
俺の口から、自然と言葉がこぼれ落ちていた。
「だから、ここで一緒に夕陽を見たかったんだ。見せたかった。幼稚園の時に見た絢音の笑顔が、本当に好きだったから」
「悠真くん……」
「絢音」
「はい」
こちらを向いた彼女の瞳に、夕陽と、俺の姿が映っている。
「今日は、俺の自分勝手な気晴らしに付き合ってくれて、本当にありがとう」
「どういたしまして。……お詫び、ですから」
少しだけはにかむように笑う絢音。
俺は、小さく深呼吸をした。
「俺、凛が好きだ。……好きだった」
「っ……はい」
「昨日の放課後、お前に問い詰められた時にも言ったけど……俺は本気で告白して、振られたんだ。だから、ものすごく落ち込んで、自暴自棄になって、どうしようもないバカなことをいっぱいやらかして……」
さっきまでの心地よい風が、急に冷たく感じた。
さすがに『幼馴染百人のリストを作って告白をしている』なんて、絢音には言えなかった。幻滅されたくない。嫌われたくない。それはただの、醜い自己弁護だった。
今から考えると、幼馴染リストなんて作ってしまった自分が恥ずかしい。穴があったら入りたい。
俺はなんでこう気付くのが遅いんだろう。だから、今は目の前の彼女だけを見ていたい。
「それからは、凛のことを考えるだけで息が詰まるほど苦しかったし、名前を口に出すのも聞くのも辛かった。でも」
「でも……?」
「今日一日、絢音と一緒にいて。絢音が隣で一緒に笑ってくれて。……不思議なくらい、スッと心が軽くなったんだ」
俺は、まっすぐに絢音の瞳を見つめ返した。
瑠奈の言葉が思い浮かんだ。今の俺の目を見たら、瑠奈は何と言うだろう。
「凛のことを完全に忘れたわけじゃない。上手く言えないけど……そんなにすぐには割り切れないし、俺は本当にダメなやつだと思う」
一度言葉を切り、俺は拳を強く握りしめた。
絢音の切れ長の瞳が、不安と期待の入り混じった色で揺らいでいる。
「でも、俺はどうしようもなく……目の前にいる、お前に惹かれてる。隣にいて、心地いいと思ってる」
ドクンドクンと高鳴っていたはずの心臓が、今は嘘のように静かに、確かな鼓動を刻んでいた。
それは、これから口にする言葉が、何かの計算でもラノベの真似事でもない、俺自身の嘘偽りない気持ちだからだと思う。
「俺は、絢音が……好きだ」
絢音は右手を握りしめ、自分の胸元にそっと押し当てた。
大きく見開かれた彼女の瞳は潤み、夕陽の黄金色を反射して輝いていた。
どのくらい時間が経っただろうか。俺はただ、絢音の瞳をずっとみていた。みていたかった。
やがて、彼女の震える唇がゆっくりと開く。
「わ、私も……」
絢音が、言葉にしようとしたその、瞬間だった。
「絢音……? それと……悠真……?」
ザッ、と。
背後の石段を登り切った足音とともに。
ずっと昔から隣で聞いてきた、だけど今はひどく掠れて、消え入りそうな声が、俺の耳に届いた。
この声は……まさか……。
振り返った石段の先に。
信じられないものを見るような目で俺たちを見つめる、凛の姿があった。
⭐︎⭐︎第12話に続く⭐︎⭐︎




