第10話 十人目・皇絢音④
「ここでいい?」
俺は映画館の入っている商業施設の一角で、見慣れたファストフード店のロゴを指差した。
「ハンバーガーのお店ですか」
「あ、ハンバーガー食べたことない?」
なんたって日本有数の皇グループのご令嬢だ。ジャンクなファストフードとは縁がないかもしれない。
「失礼ですね。ハンバーガーくらい食べたことあります。凛とよく食べてましたから」
むっとしたように言い返し、それから絢音は「あ……」と短く息を呑んだ。うっかり凛の名前を出してしまったことに気づいたのだろう。気まずそうに視線を泳がせる。
「凛はこういうの好きだからな。よし、じゃあ入ろうぜ」
俺は自然に笑って、自動ドアの前に立った。
凛の名前を口にした時、不思議と心の重さも引っかかりも感じなかったことに、自分でも少し驚いていた。
理由はわかっている。俺は、横に並んでホッとしたような顔を見せる絢音の横顔を、ちらりと見つめた。
店内は休日のお昼時ということもあり、学生や家族連れ、カップルで賑わっていた。
俺は両手に持ったトレイを、絢音が待つテーブルへと慎重に置いた。
トレイの上には絢音の照り焼きチキンバーガーと、俺のダブルチーズバーガー。それから二人でシェアするための山盛りポテトフライ。
「ありがとうございます」
「いや、こちらこそ。俺が出そうと思ってたのに」
「気にしないでください。今日はお詫びですから」
注文カウンターで俺が財布を出そうとした瞬間、絢音がサッとスマホをかざして決済を済ませてしまったのだ。生徒会長の仕事の速さに俺はついていけそうにない。
それにラノベでは令嬢の支払いは、ブラックカードか札束だと相場が決まってるのに。現代の令嬢は進んでいるんだな。
「お詫びなんて。今日こうして付き合ってくれただけでも、もうお釣りが出てるよ」
映画代も俺が出そうとして、結局問答の末に割り勘になってしまったから、どこかで絢音に感謝の気持ちを表したいんだけど。
「ふふ。それは何よりです」
「じゃあ、いただきます」
俺がそう言うと、絢音も小さな声で「いただきます」と両手を合わせた。
俺がダブルチーズバーガーにかぶりつくと、向かいの絢音も両手で丁寧に照り焼きチキンバーガーを持ち上げ、小さな口をいっぱいに開けてかじりついた。
「ん。美味しいです」
「それはよかった。それにしても即決してたけど、照り焼き好きなの?」
「はい。……初めてハンバーガー屋さんに連れてきてもらったとき、おすすめされてからはまってしまって」
凛に連れてこられたのだろうか。さっきのこともあって名前を出さないようにしてるのだろう。気を遣わせてしまって申し訳ない気がした。
「美味しいよな。でも……」
「でも?」
ハンバーガーを持ったまま、絢音がこてんと小さく首を傾げる。
「口の周りにタレがつきやすい。ほら」
「えっ?」
俺はテーブルの上の紙ナプキンを一枚抜き取ると、身を乗り出し、絢音の口の端についた照り焼きのタレを軽く拭き取った。
指先越しに触れた頬は、驚くほど柔らかかった。
「…………っ!!」
絢音の動きがピタリと止まり、その顔が瞬く間に真っ赤に染まっていく。
「あ、ごめん。つい」
そういえば先週も栞の頬についたホイップを拭ってしまった。その前に愛とクレープ屋に行った時にも。癖かもしれない。気をつけないと。
ガシャーーーン!!!
背後で何かが派手に床にぶちまけられる凄まじい音が響き渡り、店内の空気が一瞬で凍りついた。
「うおっ!?」
振り返ると、少し離れた通路で誰かがトレイを落としたらしい。ポテトや氷が散乱している。慌てて駆け寄ってきた店員と、落とした張本人がしゃがみ込んで拾っているのが見えたが、人垣に遮られて顔までは見えなかった。
「……そういうことを、いきなりするものではありませんよ。その……びっくりしますから」
俺が視線を戻すと、絢音がぷいっと顔を逸らしながら小声で説教をしてきた。
でも、その口調は溶けそうなほど柔らかくて、瞳は優しく揺れている。
「うん、気をつける」
「凛にもですよ。……あっ」
二度目。無意識に凛の名前を出してしまった絢音は、今度こそしまったというように両手で口を覆った。
だけど、俺は動じずに笑った。
なんでだろう。昨日まで、凛のことを考えるだけで胸が張り裂けそうに苦しかったのに。
「しないよ。絢音だけにしとく」
冗談ぽく笑ってそう言うと、絢音は俯いてしまって、しばらくこちらを向いてくれなかった。
◇
お腹を満たした俺たちは、スケジュール表通りに駅直結の大型ショッピングモールへと足を運んだ。
休日のモールは人が多く、俺たちははぐれないように自然と肩が触れ合うくらいの距離で歩いていた。
洋服屋や本屋を見て回った後、通りかかった雑貨屋になんとなく入る。
その店の棚の前で絢音の足がピタリと止まった。
視線の先にあるのは、棚に置かれたうさぎのぬいぐるみだった。
ピンク色のふわふわとした毛並みで、目付きは悪く、口元も歪んでいる。
絢音はそのうさぎを両手で持ち上げ、じっと目を合わせていた。
それから、ほんの少しうさぎの顔を弄ったり、うさぎの前足をぴこぴこと動かす。
……もしかして、遊んでいるのか?
あの女王陛下とも呼ばれる学園の生徒会長が。やっぱり、何も変わってないんだな。
「うさぎ、欲しいの?」
俺が横から声をかけると、絢音はビクッと肩を震わせて慌てて目を逸らした。
「い、いえ。別に欲しいわけでは……ただ、可愛らしいなと思っただけで」
「絢音は昔からうさぎ好きだよな。ほら、幼稚園の時に『好きな動物を描きましょう』って先生に言われて、画用紙にうさぎばっかり描いてたもんな」
「っ……なんで、そんな事を覚えているのですか……」
絢音が訝しむような目で俺を見上げてくる。
「俺、結構記憶力いいみたい」
少し得意げに胸を張ってみせると、絢音は切れ長の瞳を精一杯ジト目にして、それから呆れたように小さくため息をついた。
「……なんでその記憶力を、少しでも学業に活かせないんですか」
「げっ……なんで俺の成績知ってるの!?」
「内緒です」
口元を手で隠し、ふふっと絢音が意地悪そうに笑う。
(生徒会長の権限どこまで広いんだよっ。まさか全校生徒の成績を完璧に把握してるんじゃないだろうな!?)
俺が内心で冷や汗を流していると、絢音は名残惜しそうにぬいぐるみを棚に戻し、「行きましょうか」と歩き出した。しばらくして、店を出ようとした時。
「あ、ちょっと待ってて」
「え? 朝倉く——」
俺は絢音の言葉を遮り、店に戻り、さっきまで絢音に弄られていたうさぎのぬいぐるみを手に取ると、そのまま足早にレジへと向かった。
数分後。
店の外でぽつんと待っていた絢音の前に戻り、俺は買ってきたばかりのショップ袋を彼女に差し出した。
「ほら、これ」
「……えっ? これって、さっきの……?」
「うん。ハンバーガー奢ってもらっちゃったし、そのお礼。あと、俺の気まぐれ」
袋の中を覗き込んだ絢音は、そこに、ピンク色の、いかにも性格の悪そうなうさぎが入っているのを見ると、パチクリと何度も瞬きをした。
「だ、ダメですよ! 今日は私がお詫びをする日なのに、貴方に買ってもらうなんて……それに、高校生にもなってぬいぐるみだなんて、私には似合いませんし……」
「似合うよ。それに、そのうさぎも絢音に連れて帰って欲しそうだったから」
袋の持ち手を向けて差し出す。絢音は「あ……」と小さく声を漏らし、指先を震わせながら受け取った。
きゅっと、袋を抱きしめるように両腕で大事に抱えて俯いた。
「そういうところだよ、《《悠真》》くん。凛ならって、諦めたのに。これじゃあ私……」
絢音から『悠真くん』と呼ばれたのはいつぶりだろう。小学校に入ってからは朝倉くん。高校になって生徒会長として接してくる時は朝倉悠真さんと呼ばれるようになった。
顔を上げた絢音は、見たこともないような笑顔——いや、違う。
幼稚園の時、途中入園だった絢音はその家柄から少し浮いていた。大人が遠慮するのを見て、子供も遠巻きに見ていたのだ。
でも俺がそんな絢音に「いっしょにあそぼ」と手を差し出した時。絢音はびっくりして、顔を上げて、微笑んだんだ。
今、絢音が見せた笑顔は、その時の笑顔にそっくりだった。
そうだ。俺はあの時、その笑顔に見惚れたんだ。そして今も、この笑顔をもっと見ていたいと思っている自分に気付いた。
俺は拳を握りしめる。
「な、なぁ」
「はい」
「工程表では買い物が終わったら解散だよな」
俺のその言葉に絢音は少し目を伏せた。
「……はい」
「そこには載ってないけど、一緒に行きたいところがあるんだ。その……ダメかな?」
俺の心臓が、暴れて今にも張り裂けそうだ。
それでも俺はじっと絢音を見た。
「……悠真くんが行きたいところなら、私も行きたいです」
⭐︎⭐︎第11話に続く⭐︎⭐︎




