第104話:共存継承戦12
張り詰めていた空気が、わずかに緩んだその時だった。
「……小僧」
低い声が、カナトを呼び止めた。
ヴォルツだった。
ゆっくりと歩み寄る。
杖の音が、コツ、コツと静かに響く。
カナトの前で立ち止まり、じっと見下ろす。
「どこから読んでおった?」
目を細める。
「この展開を、だ」
カナトは少しだけ首を傾げた。
「んー……」
少し考える仕草をしてから、肩をすくめる。
「多分」
視線を上げ、ヴォルツを見る。
「あんたが“共存継承戦の意図”に気づいた時かな」
その言葉に、ヴォルツの眉がわずかに動く。
「……ほう」
カナトは続ける。
「この戦いって、相手を倒すんじゃなくて」
「どう共存するか見せる場だろ?」
「だから」
「最初から敵対する必要ないって思ってた」
ヴォルツは何も言わない。
ただ黙って聞いている。
カナトは軽く笑った。
「まあでも」
頭の後ろに手をやる。
「正直、ここまで上手くいくとは思ってなかったけどな」
少し苦笑する。
「最悪でも」
「引き分けくらいには持っていければいいかなって」
その軽い言い方に、三種族がわずかにざわつく。
ヴォルツは、ふっと鼻で笑った。
「……ほう」
カナトはさらに続ける。
「途中までは結構ヒヤヒヤしてたし」
ちらっと横を見る。
そこにはエフィナが立っていた。
「まさか、あいつがヘソ曲げるとは思ってなかったしな」
あっけらかんと言う。
その瞬間。
「——っ!」
エフィナの顔が一気に赤くなる。
「な、ななな……!」
慌てて俯く。
「ご、ごめん……」
小さな声で謝る。
さっきまでの張り詰めた空気とは違う。
どこか年相応の、あどけない空気がそこにあった。
カナトも、もう戦いの顔ではなかった。
ただの、少し不器用な青年の顔に戻っていた。
その様子をヴォルツは黙って見ていた。
じっと。
カナトを。
その目が、わずかに細められる。
(……なんだ)
その瞬間。
ヴォルツの視界に、奇妙なものが映った気がした。
カナトの背後。
そこに——
無数の影が、重なって見えた。
老若男女。
戦士、商人、村人。
多くの人間たちが、まるでカナトの背を支えるように立っている。
守るように。
押し上げるように。
(……なるほどのう)
一瞬で、その正体を理解する。
実際に見えているわけではない。
だが分かる。
(貴様一人ではない、か)
カナトという存在の背後には
積み重ねてきた“繋がり”がある。
だからこそ——
人を動かせる。
ヴォルツは小さく息を吐いた。
「……面白い」
だがすぐに表情を引き締める。
そして、はっきりと言った。
「だが」
視線をエフィナへ向ける。
「私が負けたのは」
一拍。
「貴様ではない」
その言葉は冷たかった。
「この小僧だ」
断言する。
エフィナはその言葉を、正面から受け止めた。
そして——
ゆっくりと頷いた。
「……はい」
否定しなかった。
「その通りです」
顔を上げる。
「カナトがいなければ」
拳を握る。
「私は、何もできませんでした」
その言葉に、カナトが少し驚いたように目を瞬かせる。
だがエフィナは続けた。
「でも」
一歩前に出る。
ヴォルツと三種族を見渡す。
そして——
深く、頭を下げた。
「お願いします」
その声は真っ直ぐだった。
「もしあたしが魔王になった時」
「至らないところがあったら」
「どうか……助言をください」
静寂が落ちる。
三種族の長たちが、驚いたように目を見開く。
ヴォルツもまた、動きを止めていた。
(……頭を下げた、か)
魔王候補が。
自ら。
頼ると。
その姿は——
弱さにも見える。
だが同時に。
(……)
ほんのわずかに、心が揺れる。
だが——
次の瞬間。
ヴォルツの表情が、冷たく引き締まった。
「……ふん」
鼻で笑う。
杖を強く打ちつける。
「軽いな」
低く言い放つ。
「簡単に頭を下げる王など」
目を細める。
「認められるか」
その声は、断固としていた。
エフィナは頭を下げたまま、動かない。
ヴォルツはゆっくりと背を向ける。
そして——
振り返りもせずに言った。
「いいか、小娘」
その声は、はっきりと響いた。
「貴様だけは」
一拍。
「絶対に魔王にはさせぬ」
断言だった。
揺るぎない拒絶。
峡谷の空気が、再び張り詰める。
だが——
エフィナは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳に、もう迷いはなかった。
峡谷に、低く澄んだ音が響いた。
それは戦いの終わりを告げる合図だった。
上空に展開された魔法陣が淡く光り、記録官の声が全域に響き渡る。
「共存継承戦、終了」
一拍の静寂。
そして。
「勝者——エフィナ・ルア・ファルミナス」
その名が告げられた瞬間、空気が震えた。
エフィナは、はっと息を呑む。
自分の名前が呼ばれたことを、すぐには理解できなかった。
(……勝った?)
胸の奥で、じわりと何かが広がる。
安堵。
達成感。
そして——
「……っ」
同時に、強く締め付けられるような感覚。
手をぎゅっと握る。
(……何とか勝てた)
ただの一勝ではない。
これは、誰かの未来を左右する“選択”の結果だ。
嬉しい。
でも、それ以上に——
(……もっと、ちゃんとしないと)
背筋が自然と伸びる。
その時だった。
「よし」
軽い声が、緊張を切り裂いた。
カナトだった。
両手を軽く叩きながら、場の中央へと歩み出る。
「終わったな」
まるで、いつもの村の一仕事が終わったかのような調子だった。
エフィナが思わず振り返る。
「カナト……」
カナトはにっと笑う。
「でさ」
そのまま、周囲をぐるりと見渡した。
ヴォルツ。
三種族の長たち。
そしてエフィナ。
「これからどうするか、考えようぜ」
あまりにも自然に言った。
その一言に、全員が一瞬固まる。
「……は?」
最初に反応したのは、獣族の長だった。
「どうするも何も……」
巨人族の長も眉をひそめる。
影の一門の長も黙っている。
そして——
「……くだらん」
ヴォルツが吐き捨てた。
杖を軽く鳴らす。
「勝負は終わった」
「これ以上語ることなどあるまい」
踵を返そうとする。
だが。
「まあまあ」
軽い声が、それを止めた。
カナトが、ずいっと前に出る。
「せっかくここまで話したんだしさ」
にこっと笑う。
「このまま解散ってのも、もったいないだろ?」
ヴォルツは眉をひそめる。
「貴様……」
「いや、だってさ」
カナトは気にせず続ける。
「結局、どうやってやってくかちゃんと決めないと意味ないじゃん」
三種族を指さす。
「あんたらもそう思ってんだろ?」
三種族は言葉に詰まる。
確かに、その通りだった。
ヴォルツは舌打ちする。
「……私は関係ない」
「貴様らで勝手にやれ」
再び背を向ける。
——その瞬間。
「はいはい、そう言わずに」
ぐいっ、と。
カナトがヴォルツの腕を掴んだ。
「……何をする、小僧!」
ヴォルツが目を見開く。
そのまま、半ば強引に引き戻される。
「ちょっとだけでいいからさ」
カナトは悪びれもなく言う。
「最初に案出したの、あんただろ?」
「責任取れよ」
にやっと笑う。
ヴォルツは完全に虚を突かれた。
「な……」
言葉が出ない。
そのまま、カナトに引きずられる形で輪の中に戻される。
三種族も呆然とそれを見ている。
エフィナは思わず口元を押さえた。
(……すごい)
こんなことを、あのヴォルツに対してやるなんて。
普通ならありえない。
だが——
当のカナトは、まるで気にしていない。
「ほらほら」
「せっかくいいとこまで来たんだしさ」
「最後までちゃんとやろうぜ」
あっけらかんと笑う。
その顔は、本当にただの青年だった。
打算も、恐れもない。
ただ、当たり前のことを言っているだけの顔。
ヴォルツは、その顔をじっと見た。
(……なんなんだ、この小僧は)
怒る気が、削がれていく。
(くだらん……)
心の中で呟く。
(勝った負けただの)
(主導権だの)
(そんなことにこだわって……)
ふっと、息を吐く。
(……馬鹿馬鹿しい)
杖を軽く地面につく。
「……好きにせい」
諦めたように言った。
だが、その足はもう止まっていない。
輪の中に、残っている。
三種族の長たちが互いに顔を見合わせる。
そして誰からともなく、小さく頷いた。
エフィナはその光景を見ていた。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
(……繋がってる)
ほんの少しだけ。
確かに。
この場に、“共存”が生まれ始めていた。




